第三話:管制が沈黙した日
異変は、あまりにも普通の形で始まった。
「管制、こちら南側外壁。次のチェックポイントに移行する」
水野の声が、淡々と通信に乗る。
『……』
一拍、間が空いた。
「管制?」
『……』
古賀が無線で言った。
「トイレかな」
冗談として、ちょうどいい間だった。
水野がもう一度呼ぶ。
「管制、応答してください」
沈黙。
ノイズすらない、完全な沈黙。
通信ランプは点灯している。
切れているわけじゃない。
ただ、向こうが沈黙している。
「通信ログ、確認する」
水野が言う。
その声が、少しだけ低くなった。
大庭が操縦席から言った。
「こっちでも再接続を試す」
古賀は、外壁に固定したまま、周囲を見ていた。
「なあ」
「ん?」
「宇宙ってさ」
「今は雑談の時間じゃない」
「いや、なんか嫌な感じしない?」
そのとき、警告音が鳴った。
短く、低い音。
ステーション全体のセンサーが、同時に何かを検知した音だった。
「未登録デブリ群、接近」
水野が即座に言う。
モニターに、点が現れる。
ひとつ、ふたつ──いや、違う。
「……多い」
点は、増えていく。
まるで、星がこちらに向かって流れてくるみたいだった。
「軌道予測、表示する」
水野が操作する。
線が引かれ、二つの太い進路が浮かび上がった。
「自動回避は?」
俺が聞く。
「無理」
水野は即答した。
「計算が追いつかない」
「管制は?」
古賀が言う。
水野は答えなかった。
その代わり、通信ログを画面に出す。
最後の受信時刻は、五分前。
「……死んでるわけじゃない」
水野が言う。
「でも、今は来ない」
大庭が言った。
「操縦に集中する」
「俺がやれるのは、ここまでだ」
彼の声は、はっきりしていた。
逃げている感じは、なかった。
それが、逆に重かった。
「三枝」
水野が言う。
「技術的な判断、できる?」
俺は、正直に首を振った。
「法学部だ」
「……そうだった」
法律は、いつだって後からやってくる。
事故が終わってから、正しかったかどうかを判定する。
でも、今は、事故の最中だ。
俺には、何もできない。
水野は、深く息を吸った。
「じゃあ」
彼女は言った。
「私しかいない」
その言葉は、決意というより、事実確認だった。
古賀が、無線越しに言った。
「なあ」
「……なに」
「俺、外だよな」
水野は、答えなかった。
答えられなかった。
「進路A」
彼女は言った。
「南側非居住区。外作業員が一名」
「退避は?」
俺が聞く。
「無理。時間がない」
古賀が、軽く笑った。
「だよな」
「進路B」
水野は続ける。
「推進剤タンク付近。爆発確率、八割」
八割、という数字が、やけに具体的だった。
頭の中で、無意味な計算が始まる。
八割で三人死ぬ。
二割で全員助かる。
でも、Aを選べば、古賀は確実に死ぬ。
確実、という言葉が、やけに冷たかった。
「デブリ到達まで、四十秒」
大庭が言った。
「判断しろ」
それは、命令じゃなかった。
事実だった。
四十秒。
人の命を決めるには、長すぎるのか、短すぎるのか
古賀が言った。
「なあ三枝」
「……なんだ」
「妹さ」
「うん」
通信が、ぷつりと途切れた。
言いたいことは、まだあったはずだ。
でも、時間が足りなかった。
水野の手が、震えていた。
彼女は、それを見て、
左手で右手を押さえた。
「……ごめん」
誰に言ったのかは、わからない。
スイッチが、押された。
それだけだった。
光。
振動。
警告音。
そして、静寂。
「外作業員……反応なし」
大庭が言った。
古賀のスーツは、画面から消えていた。
誰も、すぐには何も言えなかった。
ステーションは、生きている。
それだけが、事実だった。
管制から、ようやく通信が入ったのは、すべてが終わったあとだった。
『……こちら管制。回線障害が発生していました』
水野は、何も答えなかった。
窓の外を見ると、デブリが、静かに流れていた。
もう、危険はなかった。
すべてが、終わったあとだった。




