第一話:地球はまだ重い
宇宙のアルバイト募集は、だいたい胡散臭い。
駅前の掲示板に貼ってあったチラシは、白地に青文字で、やけに清潔感があった。
──宇宙関連業務・短期
──学生可・未経験歓迎
──高時給・安全管理徹底
安全管理徹底、という言葉を見た瞬間、俺は少しだけ不安になった。
法学部三年、三枝克明。
家賃が払えず、奨学金は限界で、「安全」という言葉を信用するには、少し現実を知りすぎていた。
説明会は、郊外の貸会議室で行われた。
集まったのは二十人ほど。
学生の隣には、履歴書に空白がありそうな中年男性。
その向こうには、目つきの鋭い若い女。
誰も、誰とも目を合わせなかった。
「なあ、ここって本当に宇宙行くの?」
隣の席から、やけに明るい声がした。
振り向くと、短髪で、少し日に焼けた男がいた。
古賀光一、と名札に書いてある。
「さあ……たぶん」
「たぶんかぁ。でも、時給いいよな」
彼はそれだけで、もうこの仕事を気に入っているようだった。
説明が始まる。
宇宙補修ステーション。
民間委託。
簡易作業。
判断は管制が行う。
「現場での独断はありません」
担当者は、何度もそう言った。
俺は、その言葉をメモした。
──後で必要になる気がした。
後ろの席で、誰かが手を挙げた。
「危険じゃないんですか?」
「リスクは最小限です」
即答だった。
その言い方が、少しだけ速すぎた。
説明会が終わったあと、古賀が言った。
「なあ、三枝」
「なに」
「受かったらさ、焼肉行こうぜ」
「気が早いな」
「人生、勢いだろ」
そのときは、笑った。
焼肉の話を、本気にしていなかった。
説明会の帰り、古賀はやたらと饒舌だった。
「いやあ、久しぶりにワクワクしたわ」
「宇宙ってだけで?」
「宇宙ってだけで」
彼は、そういう男だった。
理由よりも先に、気持ちが動く。
「三枝はさ、なんで来たの?」
「金」
「正直だな」
「法学部は、夢じゃ飯食えないんだよ」
「へえ。じゃあ将来は弁護士?」
「たぶん、なれない」
「じゃあ?」
「まだ考えてない」
古賀は少し考えてから言った。
「それ、いいな」
「どこが」
「まだ考えてない、って言えるの」
その言い方が、妙に真面目だった。
数日後、採用通知が来た。
俺と古賀、そして水野ミカ。
顔合わせの日、初めて水野とちゃんと話した。
彼女は工学部の四年で、端末を触る指が、まるでピアニストみたいに滑らかだった。
会話よりも、機械の方が得意なタイプだと、すぐにわかった。
「正直に言います」
開口一番、そう言った。
「私は単位のためです。研究室の推薦条件に“実地経験”が必要で」
「じゃあ、やりたくて来たわけじゃない?」
「やりたくないわけじゃない。ただ、感情で選んでないだけ」
古賀が笑った。
「それ、俺と真逆だな」
「そうですね」
「でもさ、そういう人がいると助かる」
水野は一瞬だけ、視線を上げた。
そこに、パイロットの大庭が入ってきた。
年齢不詳。
表情が少なく、背筋がまっすぐ。
「俺は操縦担当だ」
それだけ言った。
それ以上、自己紹介はなかった。
訓練は、拍子抜けするほど短かった。
宇宙服の着脱。
非常時の連絡手順。
判断は必ず管制が行う、という繰り返し。
「現場判断はしません」
講師は何度も言った。
「皆さんは、指示を待つ立場です」
古賀は、何度か怒られた。
宇宙服のロックを閉め忘れたり、ケーブルを絡ませたり。
「向いてないかもな、俺」
休憩中、そう言って笑った。
でも、不思議と誰も本気でそうは思わなかった。
古賀は、同じミスを二度しなかった。誰よりも早く来て、誰よりも遅くまで残った。
「妹がさ」
訓練の合間、古賀はよくその話をした。
「今年、受験で」
「何学部?」
「知らん」
「知らないのかよ」
「文系っぽい。雰囲気で」
言いながら、彼は資料を真剣に読んでいた。
ある日、訓練後に古賀の実家に寄った。
古い団地。
玄関に、妹の合格祈願のお守りがぶら下がっている。
「兄ちゃん、また変なバイト?」
妹は呆れた顔で言った。制服姿で、参考書を小脇に抱えている。
「宇宙だから」
「意味わかんない」
古賀は笑った。
妹も、少しだけ笑った。
兄妹は、似ていた。
その笑い方が、宇宙で見たものと、まったく同じだった。
出発前夜、三人で飯を食った。
「なあ」
古賀が言った。
「俺、もし宇宙で死んだら──」
「やめて」
水野が即座に遮る。
「そういう話は、縁起が悪い」
「冗談だよ。焼肉の予約、キャンセルするなって言おうとしただけ」
でも、その目は笑っていなかった。
「冗談でも言わない」
古賀は少し驚いた顔をした。
水野は、箸を持ったまま続けた。
「確率論的に、事故は低い」
「……うん」
「でも、ゼロじゃない」
その場に、少しだけ沈黙が落ちた。
大庭が初めて口を開いた。
「だからこそ、判断は管制がやる。俺たちは、手を動かすだけだ」
その言葉を、俺はなぜか、強く覚えていた。
翌朝、輸送艇に乗り込む。
地球は、まだ近かった。
重力も、会話も、全部そこにあった。
このときの俺たちは、まだ「帰る前提」で話をしていた。
輸送艇の窓から、地球が小さくなっていく。
古賀は、その景色を見ていた。
水野は、端末を見ていた。
大庭は、計器を見ていた。
俺は、全員の横顔を見ていた。
──このときの顔を、忘れたくなかった。




