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斑雪の虚構  作者: 綾高 礼


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第十話


 長野は籠を背負い、ヤマギシのスマートグラスを装着していた。毎日のように使用していた生活の一部でもある機器を、数日も使わないだけで変な気分だった。

 暗視モードは本人しか使えないようになっているので、非常用のライトを点けていた。


 このライトや暗視モードの機能さえヤマギシは知らなかったらしく「やっぱり私が行こう」と何度も言っていたが、とうとうチハが怒りはじめたので大人しく引き下がった。


 食料庫の梯子を登って扉を開けると中には穀物や乾燥した山菜などが保存されていた。


「これって手前からとったらいいのかな、それとも奥から?」


 少し考えたがよく分からなかったので、長野はとりあえず奥に入って、籠に入りきるだけ稲の束を入れていくことにした。


「うん?」


 ある程度入れ終えたところで、封筒のようなものがあることに気づいた。先までは稲の下に隠れていたので全く気がつかなかった。


「なんだろう、これ、紙?」


 長野はライトを正確に照準し、封筒の中に原稿用紙の束が入っているのを見つけた。今更ながら勝手に見てはいけないような気がしてきて、すぐに戻すか迷ったが「これも取材だ」と何とも都合のいい作家みたいな口ぶりで冒頭だけを読んでみることにした。


【No.1008の患者について】


 どきっとした長野は、これ以上本当に見てはいけないと思ってそれでも気になるのでぱらぱらと何枚か捲ることにした。


「長野さん」

「ひっ」


 外からヤマギシの低い声が呼んだ。長野は慌てて稲で原稿を隠した。


「はい」

「稲はとれたかね」

「あ、はい。もう大丈夫そうです」

「そうか……もうすぐタケノコご飯が炊けるから。お吸い物もある。早く帰ってきなさい」

「はい。すぐ降ります」


 長野は冷や汗をかきながら封筒に原稿用紙をちゃんとしまってから、再度稲で隠し、食料庫をあとにした。


 お椀からほかほかの湯気を立てるタケノコの炊き込みご飯は、三人の胃を刺激して鳴らせた。ふっくらとした米粒の上に採れたてのタケノコやニンジン、フキ、木の芽が散らされていて、とても美しい色をしていた。


「ダイチ。カンシャ。アイ」とチハが言ったあとに「いただきます」とヤマギシが続いた。


 長野はお箸を器用に使いながらお米を口に入れて幸せそうな顔をしているチハを横目で眺めていると、目があって「どうしたナガノ、食べないのか? 水煮とは風味が違うぞ、風味がな」と何故か勝ち誇ったようだった。


「はい、いただきます」


 長野は慌てて食べたのでむせた。


「もう忙しないやつだな。風味に驚いちゃったのか? えぇ?」

「ふ、風味もすごくいいんですけど、とにかく美味しくて。優しい味っていうんですか、まさかタケノコがこんなにも旨味があったなんて」


 タケノコを口に入れて噛んだときの程よい食感。と共にみずみずしさと甘みが炊きたての醤油風味のご飯と溶けあって鼻からいい匂いの湯気が出そうだった。

 長野は、つい急ぎ足で箸を動かしてしまって、またむせた。

 その度にチハを見ると嬉しそうな変な顔で長野を見つめていた。ヤマギシは黙々と箸を動かしながらも時々、鋭い瞳を走らせて長野を観察していた。


「はあ美味しかった。ご馳走さまでした」


 お吸い物は市販で売っているものだったが、それも美味であった。


 長野が山に来てから一週間が経った。今日は一日雨が降っていたので、長野は起きてからもダラダラと寝転がって、リュックサックから取り出したノートとペンにアイデアやメモを書いたり書かなかったり、雨音につられてうたた寝を繰り返していた。


 つい意識が飛んで戻ってきた頃には、いつもとは違った意外な光景を目にした。

 チハが机に向かって、鉛筆を握っていたのだ。ヤマギシが前に立って、チハに問題を書いたプリントを解かせていた。


「おいヤマギシ。ここの意味が分からない」

「ちょっとは自分で考えるのも大事だ」


 長野はチハが一体何を勉強しているのかとても気になったが、邪魔しないでおくことにした。それはそれで長野にとっても納得がいくものでもあった。


「おいナガノ。お前は算数が得意か?」

「え、あ、いや別に得意っていうかどちらかと言うと苦手ですけど」

「おいヤマギシ。街の女でも算数は苦手らしいぞ」

「長野さんは国語が得意なんだ」

「そうなのか?」

「いや得意って言われるとそこまでテストの点も良くなかったような」

「おいヤマギシ。勉強なんて本当に意味があるのか? ほら見ろ。大人なのに床でゴロゴロしながら紙に落書きして偶にうたた寝してるんだぞ」

「長野さんはあれでもチハの何倍もの勉強をしてきてるんだ」

「あれでもか?」

「あれでもだ」


 長野はなんだかいたたまれなくなって、正座をしてノートに向き合った。

 締め切りまで残り二週間を切った長野は、ネタもアイデアも整理がつきそうだったので、そろそろ山を降りることを真剣に考えていた。


 ここでの生活は自分でも驚くほどに楽しく新鮮な時間だった。長野にとって自然は一番かけ離れた存在と言っても過言ではなく、そんな環境でそう思えたのも、全部二人のお陰だった。これからどうするのか。未だに自分の中で答えが見つかっていない。

 きっとどの選択をとっても正解でも間違いでもありそうで、それでも一つだけどうしても行動を起こさなくては帰れないと思った。

 チハが夕方になって鹿を狩りに出かけた頃を見計らい、長野はヤマギシと向き合った。


「ヤマギシさん。このNo.1008の患者ってなんのことですか?」


 ヤマギシもその瞬間がきっと訪れることを予期していたのか、あまり驚きを見せなかった。落ち着いた様子で長野が手にとって見せた例の封筒を見つめて「……それは、山で見つかった患者のことだ」と静かに言った。


「山で、見つかった? 患者?」

「ああ」

「他人の私がこんなことを聞くのは失礼だと思いますが、チハさんとヤマギシさんってどういったご関係なのですか?」

「君に教えるつもりはない」

「分かりました。じゃあいいです。あと勝手に封筒の中身を見てしまってすいませんでした」

「脅しているつもりか?」

「いえ別に」

「警察に通報するつもりなのか?」

「気が向けばそうするかもしれません。でも多分しません」

「なぜ?」

「二人には本当に感謝しきれないほどお世話になりましたから。それに……山に降りる前にきっと私を葬るつもりでしょ?」

「そんなことはしない」

「嘘を、つくな? ですよ」


 ヤマギシは小さく口元だけで笑ってみせて、瞳の奥底はじっと長野の顔を据えていた。

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