第16話 新任教師の影
断罪イベントまで、残り十ヶ月。
学院では新学期が始まり、新任の教師が赴任してきた。
「皆さん、今学期から魔法理論を担当することになりました。ダミアン・グレイと申します」
教壇に立ったのは、三十代前半と思われる男性だった。
銀縁の眼鏡に、整った顔立ち。穏やかな笑みを浮かべている。
「魔法理論は、魔法を使う上で最も重要な基礎です。しっかり学んでいきましょう」
生徒たちがざわめく。
「新しい先生、格好いい!」
「若い先生って珍しいわね」
でも、私は――その教師を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
『……原作にいなかった人物だ』
原作ゲームには、このダミアン・グレイという教師は登場しなかった。
つまり、イレギュラーな存在。
『私が原作を変えたせいで、現れた人物なのか?それとも……』
「特に今学期は、全属性魔法についても詳しく解説していきます」
ダミアンの視線が、一瞬だけ私を捉えた。
その目が――どこか、値踏みするような色を帯びていた。
授業が始まった。
ダミアンの講義は、確かにわかりやすく、理論的だった。
「魔力とは、精神力と肉体のエネルギーを変換したものです。そして、属性とは、その魔力の『性質』を決めるものなのです」
生徒たちが熱心にメモを取る。
「通常、人は一つから二つの属性しか持ちません。なぜなら、精神の特性が固定されているからです」
ダミアンが黒板に図を描く。
「しかし、稀に――非常に稀に、全ての属性に適性を持つ者が現れます」
再び、視線が私に向けられた。
「そのような人物は、歴史上でも数えるほどしかいません。エリアナ・ローゼン」
名前を呼ばれて、私は背筋を伸ばした。
「はい」
「君は、どのようにして全属性の魔法を制御していますか?」
周囲の視線が集中する。
「……イメージを切り替えています。炎なら熱を、水なら流れを、それぞれ明確に思い描くことで」
「なるほど。優れた方法ですね」
ダミアンが満足そうに頷く。
「しかし、それだけでは不十分かもしれません。放課後、研究室に来てください。より効率的な魔力制御法を教えましょう」
「……はい」
断る理由はない。
でも、何か引っかかるものがあった。
授業後、レオンとエマが心配そうに近づいてきた。
「エリアナ、あの先生……」
「うん、私も少し変だと思った」
レオンが小声で言う。
「視線が、普通じゃない。何かを観察しているような目だった」
「気をつけた方がいいかもね」
エマが不安そうに言う。
「でも、教師の指導を断るわけにもいかないし……」
「なら、俺たちも一緒に行く」
レオンがきっぱりと言った。
「個別指導だとしても、婚約者として同席する権利はある」
「ありがとう、レオン」
少し、心強くなった。
放課後、私たちはダミアンの研究室を訪ねた。
「失礼します」
ノックをすると、穏やかな声が返ってきた。
「どうぞ」
部屋に入ると、ダミアンが本を読んでいた。
そして、レオンとエマを見て、少し眉を上げた。
「……お連れの方々は?」
「婚約者のレオン・エーデルと、友人のエマです」
「そうですか」
ダミアンは特に気にした様子もなく、微笑んだ。
「構いませんよ。では、皆さん座ってください」
私たちが座ると、ダミアンは魔法理論の本を開いた。
「エリアナ、君の魔力制御について、もう少し詳しく聞かせてもらえますか?」
「はい。私は、まず属性ごとのイメージを――」
説明を始めると、ダミアンは熱心にメモを取った。
「なるほど。では、複数の属性を同時に使う場合は?」
「意識を分割して、それぞれの属性に振り分けます」
「意識の分割……興味深い」
ダミアンの目が、鋭くなった。
「それは、誰かに教わったのですか?それとも、独学で?」
「……レオンに基礎を教わって、後は試行錯誤で」
「そうですか」
ダミアンが顎に手を当てる。
「しかし、それだけの才能を持ちながら、まだ本格的な訓練を受けていないとは。もったいないですね」
「本格的な訓練、ですか?」
「ええ。私は以前、王立魔法研究所に所属していました。そこで、特殊な魔力適性を持つ人々を指導していたのです」
ダミアンが立ち上がり、本棚から古い書物を取り出した。
「この本には、全属性魔法の使い手たちの記録が残されています。彼らがどのように力を制御し、どのように発展させていったか」
本を開くと、古い文字で記録が綴られていた。
「興味深いことに、全属性の使い手には共通点があります」
「共通点?」
「ええ。彼らは皆、通常の人間とは異なる『何か』を持っていた」
ダミアンが私を見る。
その視線が――まるで、秘密を見透かすような目だった。
「特別な経験、あるいは……特別な出自」
心臓が、一瞬だけ早く打った。
でも、表情は変えない。
「私は、特に特別なことはありませんが」
「そうですか。では、五歳の時に高熱を出したことは?」
「……!」
どうして、それを知っている?
「調べさせていただきました。あなたの家族の記録を」
ダミアンが穏やかに笑う。
「五歳の誕生日に高熱を出し、三日間意識不明だった。そして、目覚めた後、性格が変わったと記録されています」
レオンの顔色が変わった。
「それは、単なる成長では?」
「そうかもしれませんね」
ダミアンが本を閉じる。
「ただ、その時期から、エリアナの魔力適性が顕在化し始めたのも事実です」
「……それで、何が言いたいのですか?」
私が聞くと、ダミアンは肩をすくめた。
「ただの好奇心です。魔法研究者として、全属性の謎を解明したいだけですよ」
そう言って、微笑む。
でも、その笑顔が――どこか、不気味だった。
「今日は、これで終わりにしましょう。また何かあれば、いつでも研究室に来てください」
「……はい」
研究室を出ると、三人とも無言だった。
廊下を歩きながら、ようやくエマが口を開いた。
「なんか……怖かった」
「ああ。普通の教師じゃないな、あれは」
レオンが険しい表情で言う。
「エリアナ、これから一人であの教師に会うのは避けろ」
「うん……」
私も同感だった。
ダミアン・グレイ。
彼は、何かを知っている。
あるいは、何かを探っている。
『気をつけないと……』
その夜、部屋で一人考えていた。
ダミアンの言葉が、頭から離れない。
『五歳の時の高熱』
転生した時のことだ。
前世の記憶が蘇った時、確かに高熱を出して倒れた。
それを、ダミアンは調べていた。
『ただの研究者なのか?それとも……』
もしかして、黒幕と繋がっている?
あるいは、黒幕そのもの?
わからない。
でも、警戒は必要だ。
ノックの音がして、アレクが入ってきた。
「エリー、新任教師のこと、レオンから聞いた」
「お兄様……」
「気をつけろ。あの男、調べさせてもらったが、経歴に不審な点がある」
「不審な点?」
「ああ。王立魔法研究所に所属していたのは本当だが、三年前に突然退職している。理由は不明だ」
アレクが真剣な顔で続ける。
「それに、その後の行方がわからない。突然、今年になって学院に赴任してきた」
「……怪しいわね」
「お前が全属性魔法の使い手だとわかって、接触してきた可能性が高い」
アレクが私の肩に手を置いた。
「何か変なことがあったら、すぐに俺かレオンに知らせろ。いいな?」
「うん。ありがとう、お兄様」
「お前を守るのは、兄の役目だからな」
アレクが優しく微笑む。
その笑顔に、少し安心した。
でも――不安は消えなかった。
ダミアン・グレイの正体は?
そして、彼の目的は?
断罪イベントまで、残り十ヶ月。
新たな謎が、物語に加わった。
次回予告:
ダミアンへの警戒を強めるエリアナたち。しかし、彼は巧妙に近づいてくる。一方、マリアたちと共に断罪回避の計画を練り始める。そして、学院で奇妙な事件が発生し――




