黒での面接
音が、最初に消えた。次に、色が消えた。
最後に、方向という概念が剥がれた。
黒は暗さではない。底でも壁でもない。定義がないという状態が、皮膚の裏からじわじわ染みてくる。
最原慎一は、そこで待つという行為を初めて正確に理解した。待つためには“後で何かが起こる”と信じる必要がある。ここにはその前提がない。だから、待つことすら難しい。
“声”が落ちてきた。
音としてではない。完成された意味が、脳の表面に置かれる感触で。
「――選べ」
慎一は、喉に手を当てる。声は出せる。だが、出す必要があるかは別だ。
「輪廻か、異世界か」
もう一つの文が、同じ硬さで置かれる。
「どっちを選んでも、俺の給料は上がらないんだろ」
自分の声が黒に吸われ、形を失う。
「給料は、貴様の世界の報酬であろう?」
「違うのか?じゃあなんだ、異世界って言ったら変わるのか?」
「あぁ。能力があったりな。ただ、選べぬがな。その者の性格が形を成す。」
慎一は、笑うべきか悩んだ。
「性格ね。俺のは単純だ。“勝てば正義”。邪魔なルールは壊す」
「壊すことに慣れている者は、壊れることに鈍い」
「忠告か?」
「観察結果だ」
黒の遠くで、微かなノイズが走る。
[ログ] 〈死亡イベント検知〉
[ログ] 〈人格ハッシュ生成 … 完了〉
[解析] 〈傾向:勝利至上主義/規範軽視/損得最適化/感情反応の遅延化〉
[選定] 〈付与方式:性格投影型〉
「異世界。チートは選べるのか?」
「能力は選べぬ」
「やっぱり不親切だな、神様は」
黒に、波紋が走った。
神は、神という名の役割に過ぎないのだと、慎一は直感した。そこに人格があるなら、それは中立の仮面をかぶる訓練を受けている。
「貴様のいう“神”とは、どの程度の像を想定している?」
「善意に満ち、退屈していて、少し皮肉屋」
「皮肉は、観測者の副作用だ」
「じゃあ観測しないでくれ」
「それはできない。観測しなければ、貴様はここに生まれない」
[生成] 〈権限テンプレートの割当 … 対象:最原慎一〉
[権限] 〈定義アクセス:局所・限定/ロールバック不可〉
[警告] 〈不可逆改変は世界に亀裂を残す可能性〉
[注記] 〈権限付与のコスト:精神負荷(軽:頭痛/中:記憶の欠落/重:人格ノイズ化)〉
「コストがあるのは分かる。勝ちにも経費がかかる」
「貴様は経費を後払いにする癖がある」
「それで何度も助かった。支払いは、勝ってからでいい」
「勝てなかった時は?」
「世界のせいにしておく」
「浅ましいな」
その言葉は、責める調子ではなかった。鑑定だった。
「浅ましいことに罪はあるか?」
「罪は物語の内部にしかない」
「じゃあ、貴様の物語では俺は何だ?」
「愚問だな。」
静寂。
その語が落ちた瞬間、黒の内部に薄い白が浮いた。
白は文字だった。見たことのない文字。数字は見慣れたもの。見たことのあるプログラム言語。どれとも違うのに、全部に似ている。
[仕様] 〈能力命名:未定〉
[素案] 〈“System Hack”/“Definition Override”/“世界上書”〉
[備考] 〈命名は物語の進行によりローカライズされる〉
「名前は“システムハック”でいい」
「貴様が名付けるのか」
「名付けは所有だ」
「所有は錯覚だ」
「錯覚でいい。勝てれば」
「――ふむ。命名を受理した」
[確定] 〈能力名:〈システムハック〉〉
[説明] 〈世界の定義に対する限定的アクセス権。観測・理解した対象の上書きおよび構造改変が可能〉
[制限] 〈未観測領域の改変は高コスト/不可逆変更の巻き戻し不可〉
[補足] 〈観測なき上書きは、物語破綻として処理される〉
黒の中に、幾何学が現れた。
輪。線。点。歪んだ木構造。
一本の線が派手に明滅し、詠唱というラベルがついた。
「試すか?」
「何を?」
「解析。見えるかどうか」
「見える」
慎一の視界に、詠唱の構文木が広がる。括弧。演算子。引数。
ひとつ括弧を外すだけで、式は美しく崩れ、熱と光と悲鳴が生まれる。
想像なのに、本物の手応えがあった。
「美しいな」
「私にとって美しいという感覚は、あまり理解のできないものではあるが、整っているだろう?」
[テスト] 〈観測プロセス:合格〉
[テスト] 〈命名プロセス:完了〉
[配備] 〈転生処理キュー投入〉
[転送先] 〈未定義(候補:辺境自治体バラステ周辺)〉
[進捗] 〈■■■■■■■■■■■■■■■■■□□ 90%〉
「最後に訊く。異世界か、輪廻か」
「選択肢に見せかけた確認だろ」
「貴様の責任を、形式上、確定させる必要がある」
「異世界。楽に勝てる場所がいい」
「楽ではない」
「楽にする」
「貴様は、世界を壊すつもりか?」
「世界が先に俺を壊した」
「――そうか」
黒の表面が、薄く笑った気がした。
それが神の感情なのか、観測ノイズなのか、見分けはつかない。
「最後の忠告があれば聞く」
「忠告は物語のためにある。貴様のためではない」
「なら、物語に言え」
[進捗] 〈■■■■■■■■■■■■■■■■■■■□ 99%〉
[付記] 〈転生先の言語環境:自動適応〉
[付記] 〈通貨・栄養・衣服:最低限支給(差別世界の統計に基づく)〉
[進捗] 〈■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 100%〉
[状態] 〈転送:保留(環境同期中)〉
[同期] 〈風/匂い/視線/偏見〉
慎一は、深く息を吸った。
空気はない。だが吸うという行為が、準備を完成させた。
「次は、もう少しマシであってくれ」
黒は、薄い紙のように破れ、向こう側に色が滲んだ。
色が滲み切った瞬間、黒の場所に静寂だけが残る。
役割を終えた“声”――神は、しばし遠い方角を観測し、誰にも届かない声で呟いた。
「浅ましいな。楽な再生を望む人間は、皆異世界へ送ってやっている」
「だがそこに救いはない。ただ理不尽が待っているだけだ」




