どうせ“断罪イベント”の舞台でしょうに
リリアンヌは机に広げた書類を淡々と整理していた。
婚約者である王太子から届いた報告書――いや、実際には侍女が届けただけのつまらない連絡文――を一瞥し、退屈そうにペン先を弄ぶ。
「お嬢様……」
控えめな声とともに、執務室の扉が恐る恐るノックされた。
入ってきたのは若いメイド。両手に白手袋をしているのが妙に目立つ。よほど緊張しているのだろう。
「殿下より、お届けものがございます」
銀盆に載せられた封書は、深紅の封蝋で厳重に閉ざされていた。浮き彫りになった王家の紋章が、いやに誇らしげに光っている。紙の質感は滑らかで、薄いのにしっとりと重みがある。見る者に王権の威光を思い知らせるようだ。
リリアンヌはわざとらしく微笑み、封筒を指先でつまみ上げた。
「ご苦労さま」
一言だけ言って、優雅に封を切る。
――舞踏会の招待状。
予想通りの文面に、口元が自然と弧を描く。
(また舞踏会ね。……どうせ“断罪イベント”の舞台でしょうに。)
まるで退屈な予定表に印をつけるかのように、彼女は手元の手帳にさらりと赤いペンで印をつけた。
昼下がりの学園の中庭は、初夏の陽射しにきらめいていた。噴水の水音と、遠くから聞こえる鳥のさえずりが穏やかな空気を作り出している――が、その空気は一瞬でざわつきに変わった。
「殿下がお通りだ……!」
誰かの小声が伝播し、貴族子女たちが一斉に姿勢を正す。
ゆったりと歩いてくるのは、王太子アルベルト。金糸のような髪が陽に透け、その一挙手一投足に人々の視線が吸い寄せられる。
そのとき――。
向かい側から歩いてきたのは、新入生らしき少女。質素な制服に身を包みながらも、無垢な瞳が印象的だった。
アルベルトの視線が、ふと彼女に留まる。
わずかに口角が上がった。周囲の女生徒たちが小さな悲鳴を漏らす。
「な、なに……?」
少女は戸惑いを隠せない様子で立ち止まる。それでも礼儀正しくスカートの裾をつまみ、深くお辞儀をした。
「……」
アルベルトは何も言わず、しかし目だけがその姿を追う。
噂好きの生徒たちが視線を交わし、ささやきが飛び交った。
(――はい、これでフラグ成立。)
廊下の端でその光景を眺めていたリリアンヌは、ため息混じりに扇子をひらひらさせた。
(この視線一つで“運命の出会い”扱いなんだから、学園の連中は単純ね。)
リリアンヌは机の上に広げた書類に目を落としていた。淡々とペンを走らせる指先が、コンコンと扉を叩く音で止まる。
「お嬢様、王太子殿下からの……」
メイドが緊張した面持ちで差し出した封筒には、王家の紋章を押した深紅の封蝋。上質な紙の光沢が、いやでもその権威を主張していた。
指先で封をなぞりながら、リリアンヌは冷ややかに微笑む。
(また舞踏会ね。……どうせ“断罪イベント”の舞台でしょうに。)
封を開けるまでもなく、彼女の中ではすでに結末が見えている。
この後に続く台詞や行動として、「招待状を適当に脇に置く」「特に驚かない」「百回目のような倦怠感を強調」などを加えると、さらに“悪役令嬢として慣れすぎている”雰囲気が強まります。
昼休みの廊下は、人目を避けるにはうってつけの場所――けれど噂話が広まるには、さらにうってつけだった。
「聞いた? リリアンヌ様、また侍女を泣かせたらしいわよ。」
「本当? あの殿下ですら、最近は距離を置いているとか……」
小声で交わされる言葉は、わざとらしく抑えられていて、逆に耳障りだ。
廊下の端をゆっくり歩いていたリリアンヌは、扇子を軽く開いて口元を隠した。
(はいはい。いつものやつね。)
ちらりと視線を向けただけで、ひそひそ声が一瞬にして止まる。
それでも彼女は何事もなかったかのように歩みを進めた。
(これで“悪役令嬢らしさ”がまた補強されたってわけ。百回も繰り返せば、もう慣れっこよ。)
リリアンヌは机に広げた書類を片付けていた。ちょうどそこへ、メイドが小走りでやってくる。
「お嬢様……こちらを」
恭しく差し出された封筒は、深紅の封蝋でしっかりと閉じられている。
蝋に刻まれた王家の紋章が、陽光を受けて微かに光った。紙は手に取るまでもなく上質とわかる厚み。
「まあ、殿下からの……?」
扇子の端で封をなぞり、リリアンヌは小さく笑った。
(また舞踏会ね。……どうせ“断罪イベント”の舞台でしょうに。)
その声音に浮つきはない。ただ、何度も繰り返された筋書きをなぞる者だけが持つ、退屈そうな響きだった。
夜の王宮は、まるで宝石箱をひっくり返したようだった。
長い回廊を満たすシャンデリアの光が、磨き抜かれた窓ガラスに反射し、壁に煌めきを散らす。赤絨毯は二人の足音を吸い込み、ただ淡々とした気配だけが残った。
リリアンヌは王太子オスカーの隣を歩いていた。
完璧なドレスの裾を引きずることなく進むその姿は、まるで絵画の中から抜け出してきたかのよう――少なくとも、傍から見ればそう映るだろう。
けれど当の本人は、豪奢な空気にも、張り詰めた緊張感にも興味を示さない。
ため息を飲み込みながら、つまらなそうに思考を巡らせる。
(また、同じ舞台ね……百回目ともなると、緊張感も薄れるものだわ)
壁の燭台が揺らぎ、二人の影が長く伸びる。
王宮の夜は美しい――けれどリリアンヌにとっては、ただのデジャヴにすぎなかった。
長い回廊を、赤絨毯が沈黙のまま飲み込んでいく。
リリアンヌは王太子オスカーの隣を歩いていた。
隣を行く青年は、相変わらず絵に描いたような気品を纏っている。礼儀正しく微笑みはしているが、その眼差しはどこかよそよそしい。
靴音だけが、二人の間を埋める唯一の音だった。
壁に並ぶ燭台の炎がゆらりと揺れ、その光が二人の影を長く引き延ばす。
(相変わらず、仲睦まじい婚約者ごっこね……)
リリアンヌは唇の端をわずかに上げ、内心でだけ皮肉を呟いた。
――また、同じ舞台ね……)
(百回目ともなると、さすがに胸の高鳴りも薄れるものだわ。)
回廊に漂う静謐な空気さえ、もはや退屈な儀式の一部。
豪奢なシャンデリアの光も、赤絨毯の重厚な色も――初めての転生では眩しくて仕方なかったのに、今では古びた舞台装置のように見える。
(さて、今回はどんな断罪劇を見せてくれるのかしら……)
リリアンヌは表情ひとつ動かさず、内心で小さく笑った。
(……あの顔ぶれね。)
(百回目ともなると、もう驚きもしないけれど――こうして勢ぞろいすると、やっぱり何かが起こる気しかしないわ。)
リリアンヌは唇の端をわずかに持ち上げ、視線を正面に戻す。
(どうせ舞踏会は“断罪イベント”の舞台。さて、今回はどんな幕が上がるのかしら……。)
バルコニーの扉の向こうから、弦楽の音色と人々のざわめきがかすかに漏れてくる。
リリアンヌは赤絨毯の上で足を止め、手にした扇子を軽く鳴らした。
(……さて、幕が上がるわね。)
深く息を吸い込む。
背後でオスカーが何か言いかけた気配があったが――
彼女は振り返らず、そのまま歩き出した。
(百回目の舞台――鼻をくすぐるのは、断罪イベントの香りね。けれど……ふふ、結末なんて、まだ誰にも決めさせはしないわ。)会場の扉がゆっくりと開かれ、まばゆい光と華やかな拍手が二人を飲み込む。その瞬間、リリアンヌは唇の端をわずかに上げ、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
「――さて、百回目の悪役令嬢。今日も華麗に散るか……それとも、この舞台を支配するのは、私かしら。」




