いつもの“紅茶会”ね
窓の取っ手に手をかけた、その瞬間。
視界の端に、庭園の白いテーブルが見えた。
「あら……?」
淡い陽光を浴びながら、四つのシルエットが優雅に腰かけている。
距離があるのに、誰かはすぐに分かった。立ち方、カップの持ち方、動きの一つひとつが、それぞれの性格を雄弁に語っているから。
「……あの集まりは、いつもの“紅茶会”ね。」
リリアンヌはわずかに口元をゆるめた。
何度目だろう、この光景を見るのは。
百回以上転生を繰り返した今となっては、彼女たちの顔ぶれを見ただけで、次に起こる“お約束”すら手に取るように分かるのだった。
リリアンヌの視線が、窓の外の少女たちを順に撫でていく。
まず目に入ったのは、背筋を糸のように真っすぐに伸ばし、片手に本を開いているシャルロット。
「彼女はいつも冷静沈着で、何をしても動じない才女。……逆に言えば、面白味がなさすぎるのが難点ね。」
隣で、ベアトリスがカップを持ったままふらりとよろけ、あわやテーブルクロスを引っ張りそうになっている。
「お約束のトラブルメーカー。油断すると余計な騒ぎを呼び込むのよね。」
その隣では、イザベラが姿勢を正し、きっちりとメモ帳を開いて何やら書き込んでいた。
「努力家で負けず嫌い。完璧主義が逆に足を引っ張るタイプ……まぁ、それも毎回のことだけれど。」
最後に視線を送ったのは、カップを両手で包み、ただのんびりお茶を楽しんでいるマルグリット。会話にはろくに加わっていない。
「マイペースでおっとり……だけど彼女が一番、無意識にフラグを踏むのよね。」
リリアンヌは小さく息を吐いた。
「――毎回、この顔ぶれを見ると、またフラグをどう回避しようか考えさせられるのよね。」
窓越しに見下ろす四人の少女たちの姿に、リリアンヌの唇がわずかに歪む。
「――まったく、変わらないわね。」
視界の中でシャルロットが本を閉じ、イザベラが何やら熱心に書き込み、ベアトリスがまた何かをひっくり返しそうになり、マルグリットが相変わらずおっとりと紅茶を啜っている。
「毎回、この顔ぶれを見ると……またフラグをどう回避しようか考えさせられるのよね。」
軽い吐息とともに、窓に指先を添える。百回以上繰り返してきた転生の記憶が、淡い déjà vu のように胸を満たす。
「彼女たちが物語にどう絡むのか、私が知らないはずがない。……だからこそ、油断ならないのよ。」
窓の外で少女たちの笑い声が響く。それは無邪気な調べにしか聞こえない――この世界の“筋書き”を知らなければ。
リリアンヌは指先で窓枠を軽く叩き、名残惜しげに外の景色をもう一度見下ろす。
紅茶会の笑い声が風に乗って微かに届く――まるで、これから始まる劇の開幕ベルのように。
「さて……今日も一幕、始まるのね。」
小さなため息と共に窓を閉めると、薄いカーテンが揺れて光を遮る。
その瞬間、彼女の表情から淡い微笑みが消え、冷えた貴族令嬢の仮面が戻った。
足音を響かせて窓辺を離れる。
――そして次の瞬間、扉をノックする音が部屋の静寂を破った。
朝の支度を終え、鏡の前で髪を整えていたそのとき――勢いよくドアが叩かれた。
「リリアンヌ様! 殿下直々のご招待です!」
息を弾ませながら入ってきた侍女が、封蝋の押された一通の招待状を両手で差し出す。赤い封蝋には王太子家の紋章がくっきりと刻まれていた。
リリアンヌは一瞥し、表情ひとつ変えずに受け取る。
「……そう。ご苦労さま。」
淡々とした声に、メイドは期待していた反応が得られず、きょとんと瞬きをした。
(……またこのパターン。舞踏会で断罪イベント発生、ね。教科書通りすぎて笑えるわ。)
内心で肩をすくめつつ、封を切ることもなく机の上に置く。
「殿下直々ですのに……開封なさらないのですか?」
侍女の問いに、リリアンヌはわずかに口元をゆがめた。
「後で目を通すわ。どうせ“華やかに着飾って来い”とでも書かれているのでしょう?」
この世界で百回以上くり返された茶番――舞踏会の招待。そしてその先に待つ、悪役令嬢の断罪劇。
リリアンヌにとっては、もはや驚きでも恐怖でもなかった。
招待状を机に置いたまま、リリアンヌはふと窓辺に歩み寄った。
学園の庭園が、朝の光にきらめいている。噴水の縁に咲く白い花々、その向こうに見慣れた王子の姿があった。
――王太子オスカー。
彼は群がる生徒たちの視線をものともせず、一人の少女にまっすぐ視線を送っていた。
腰まで届く明るい栗色の髪、初々しい立ち振る舞い。おそらく――今回のヒロイン。
周囲の令嬢たちがざわつき、ひそひそ声が風に乗って届く。
「誰?」「殿下が話しかけてる?」
(はいはい、出会いのシーン。ここで“特別なヒロイン”として目をかける――百回目でも演出が変わらないのがこの世界の美学ね。)
リリアンヌはため息まじりに口角をわずかに上げ、カーテンを揺らす風を払うように窓を軽く閉じた。
昼下がりの回廊。磨き上げられた大理石の床に、ステンドグラスの色彩が淡く映り込む。
リリアンヌが歩いていると、前方の柱陰で令嬢たちのひそひそ声が耳に入った。
「ねえ聞いた? リリアンヌ様が、新入生のあの子に嫌がらせを――」
「やっぱり……」「まあ、いつものことよね」
足を止めることなく、リリアンヌは優雅に通り過ぎる。
背後で囁きが尾を引いたが、彼女は振り返りもしなかった。
(放っておけば勝手に膨らむ。悪役令嬢の評判なんて、シナリオ上の燃料だもの。)
足音だけが静かに回廊に響く。彼女の視線はまっすぐ前を向いていた。
支度を終え、姿見の前に立つ。淡い光沢のあるドレスに身を包み、手には王太子の封蝋が押された招待状。
封を切るまでもない――書かれている内容など、もう百回以上見てきた筋書きだ。
「この程度のフラグ、百回やってきた私には朝飯前。」
鏡の奥で、自分が薄く笑う。
脳裏には、過去の断罪劇が次々とよぎる――
処刑台に立たされる自分。
盛大な舞踏会で婚約破棄を告げられる自分。
馬車で国外へ追放される自分。
結末のバリエーションは豊富でも、結局“破滅”というゴールは同じ。
けれど今の彼女は、恐れなど微塵もない。
「……まあ、今回はどう料理してみせようかしら。」
扇子を軽く鳴らし、リリアンヌはくすりと笑った。
招待状をテーブルの上に音もなく置き、リリアンヌは手元の小さな銀鈴を軽く鳴らした。
涼やかな音色が部屋に響く――まもなく、執事オスカーが姿を現すだろう。
「準備を整えておいて。舞踏会は……波乱の予感がするわ。」
鏡の前で崩れぬ微笑を浮かべながら、紅い扇子をぱたりと閉じる。
(断罪イベント? いいわ。百回目ともなれば、茶番劇の筋書きくらい暗記してる。)
その視線には、不安も怯えもない。あるのは退屈と、わずかな愉悦だけ――。




