百回目は……選べよ、リリアンヌ
夜の雨に濡れた高架下。ネオンが舗装路に反射し、光の帯が乱反射していた。
――来る。
リリアンヌは胸の奥で何かが軋むのを感じた。背後から、耳障りな高周波音。次の瞬間、闇を裂く光弾が彼女の肩先をかすめる。
「っ……!」
瞬時に身をひねり、車止めの影に転がり込む。衝撃で舗装の破片が飛び散った。
頭上を滑るように通過するドローンが赤い閃光を放つ。
そこへ、ベアトリスの声が通信機越しに響いた。
『リリアンヌ、頭を下げて! 侵入コード流すわ――』
次の瞬間、追撃してきた二機のドローンが同時に停止。くぐもった駆動音を残し、まるで糸の切れた人形のように墜落した。
護衛車のエンジン音が近づく。シャルロットが運転席から身を乗り出し、怒鳴る。
「乗って! こんな路地で撃ち合う気?」
助手席のイザベラは、ただ涼しい顔で周囲を見渡した。
「警備網に穴が開いてるわね……おかしいと思わない?」
その落ち着きが、逆に不気味だった。――まるで、最初からこの襲撃を知っていたかのように。
リリアンヌは濡れた髪を払い、無言で車に飛び乗った。心臓の鼓動がまだ速いままだったが、視線だけは鋭くイザベラを捉えていた。
追跡を振り切った直後の路地裏。雨に濡れたホログラム広告がバチバチと火花のようなノイズを発し、映像が崩れた。
――人影が滲む。
広告のパネルの前に、まるで切り抜かれた影が浮かび、その輪郭が次第に実体化していく。
「……やはり、ここにいたか」
低く落ち着いた声。
現れたのは、どこか時代錯誤な装いの男だった。宮廷風の礼服の袖口には、未来都市特有の金属繊維が組み込まれ、左胸には見慣れぬ発光パーツが埋め込まれている。――過去と未来の継ぎ接ぎのような姿。
「オスカー……」
リリアンヌの指先が無意識に震える。直前までの銃火と追撃よりも、この男の出現のほうが心臓を強く締めつけた。
オスカーは敵意を見せなかった。ただ、深い湖のような瞳でこちらを見つめる。
「また危ないところだったね。……君は、相変わらず死に損なう」
皮肉でも挑発でもなく、ただ事実を確認するような声。
「助けに来たつもり?」リリアンヌは冷ややかに言い返す。
「違う。君の選択を見届けに来ただけだ」
オスカーの唇が、意味ありげにわずかに歪む。
路地裏の光がわずかに揺らいだ。頭上のホログラム広告が走査線のようなノイズを放ち、世界がかすかに歪む。
オスカーは壁に背を預け、深い影の中から静かに言葉を落とした。
「……俺は“記録者”だ。お前の転生を、すべて見届けてきた。」
リリアンヌの胸が一瞬だけ凍りつく。
「記録者……?」
「だが俺自身も舞台の一部だ。」
彼は淡々と続ける。
「駒として配置され、役を演じ続けている。世界が変わろうと、記憶だけが剥がれずに残る。……降りられないんだ、この盤面から。」
雨粒が一瞬だけ宙に止まり、すぐに落ちる。街の呼吸が乱れている。
オスカーは目を伏せ、低く吐息をもらした。
「君を救うために舞台を壊すか……それとも舞台を完遂させて君を終わらせるか。……俺は、その狭間でずっと揺れている。」
「救う……? ふざけないで。」
リリアンヌの声が鋭くなる。
「あなたは“観客”のつもりで、私の人生を眺めてるだけでしょう。」
オスカーの唇がわずかに動いた。微笑とも、痛みともつかない表情。
「――百回目は……選べよ、リリアンヌ。」
その言葉と同時に、路地裏のネオンが一斉にちらつき、世界が瞬きするように暗転した。
オスカーの淡々とした声が路地裏に響く。
「……君を救いたい。それだけだ。」
その言葉に、リリアンヌの胸の奥で何かがざわめいた。だが彼女は即座に顔を上げ、視線で反撃する。
「救う?」彼女の唇が冷たく歪む。
「違うわ。あなたはただの観客。私の人生を眺めて、数字でも数えているだけ。」
オスカーの瞳がわずかに揺れる。しかし言葉は返ってこない。
「何百回でも何千回でも、あなたは“見ているだけ”なんでしょう?」
リリアンヌの声は鋭い。けれどその胸の奥では――彼の言葉が嘘ではないと、直感していた。
(……違う。あの目は、知っている。私のすべてを……。)
強がりでしかないと、自分でも分かっていた。
だからこそ彼女は目を逸らさない。
「私は私よ。あなたの駒じゃない。」
わずかな沈黙が落ちる。
オスカーはただその瞳でリリアンヌを見つめ返し、何も言わずに雨の中へ姿を溶かしていった。
すれ違いざま、オスカーの手がリリアンヌの手首を掴んだ。冷たくも熱い、矛盾した感触。
彼の瞳が真っ直ぐに射抜いてくる。
「――百回目は……選べよ、リリアンヌ。」
その瞬間、世界が息を止めた。
頭上のネオンがすべて一斉にフリーズし、ホログラム広告は静止画のまま歪んでいる。通りを行き交う人々も、車のライトさえも――まるで舞台の照明が切られたかのように。
音が消えた。風の音も、遠くの警備ドローンの羽音も。
ただ、彼の声だけが現実に突き刺さる。
「……!」
掴まれた手首を振り払おうとした瞬間、オスカーの輪郭がノイズに飲み込まれた。
粒子のように崩れ、街の闇に溶けていく。
次の瞬間、世界は何事もなかったかのように動き出した。
ネオンが瞬き、人々が歩き出す。まるで演出に合わせて舞台が再開したように。
(今のは……偶然じゃない。世界が、あの言葉に反応した……?)
リリアンヌは固く唇を噛んだまま、まだ熱の残る手首を押さえた。
リリアンヌは夜空を見上げた。
ネオンに照らされた雲の隙間から、星がちらりと覗く。
「百回目……? なら、これは九十八回目……」
彼の言葉が、ただの脅しではないことを、本能で理解していた。
頭の奥で、小さな警鐘が鳴る。何かが確実に、そして計算通りに進んでいる――。
視線を落とすと、遠くの高層ビルの巨大スクリーンに一瞬だけ文字が映った。
“99→100”
次の瞬間には、普通の広告に戻っている。
しかしリリアンヌの胸には、微かに鼓動より速く走る緊張感が残った。
舞台はまだ終わっていない――次はどんな断罪イベントが、彼女を待つのか。




