あなたのプログラムがバグってるんじゃない?
――視界が揺れた。
転生の目覚めと同時に、都市の夜景が一瞬だけモザイク状に崩れる。
高層ビルの壁面に映るホログラム広告が重なり合い、文字が読めないほどに文字化けを起こしていた。
「……え?」
ネオン街を歩く通行人たちが、同じ姿勢のままぴたりと動きを止める。
まるで誰かが再生ボタンを押し忘れた映像。
そして空から落ちてくる雨粒が、彼女の目の前でふわりと静止した。
一拍置いて――世界が息を吹き返す。
広告は正常に流れ、通行人は何事もなかったかのように動き出し、雨粒は肌を濡らす軌道へと戻る。
リリアンヌは目を細め、唇の端をかすかに噛んだ。
「……今の、何? 世界が“読み込まれる”のが見えた?」
胸の奥に小さなざわめきが生まれる。
それは恐怖ではなく――確信に近い違和感だった。
またしても、あの紅茶会。
高層ビルのVIPラウンジ。床下にはネオン街が広がり、天井からは無音のホログラム広告が揺れる。
――未来都市でも、なぜか必ず紅茶がある。それが余計に不自然だった。
テーブル中央で、ベアトリスがAI端末を操作していた。立体投影されたデータが、ラウンジの暗い空気に淡い光を放つ。
「……妙ね」
ベアトリスの声が、やけに低い。
「この都市のシミュレーションが開始された記録が……存在しない?」
投影データが瞬きをするように乱れ、赤い警告表示が浮かぶ。
> 世界開始時刻:検出不能
> 存在記録:不整合
> 参加者ID:前世界のデータと99.8%一致
シャルロットが眉をひそめる。
「あなたのプログラムがバグってるんじゃない?」
その声に、苛立ちというより“用意された反応”の匂いが混じっていた。
マルグリットは何食わぬ顔で紅茶をかき混ぜ、カップの底を静かに鳴らす。
「……舞台の幕が上がったのに、開演ベルが鳴ってない感じね」
リリアンヌは、息を潜めて皆の様子を観察していた。
記録がない……? つまり、この世界は“最初から用意されていなかった”……?
――カップの中の紅茶がわずかに揺れた。
その表面に、過去の学園世界と宮廷世界がほんの一瞬だけ重なった気がして、彼女は背筋に冷たいものを感じた。
また、あの紅茶会。
未来都市の高層ビルの一角、床一面が強化ガラス張りで、下のネオン街がまるで宝石のように瞬いている。
――なのにテーブルに並ぶのは相変わらず紅茶と焼き菓子。未来感ゼロの組み合わせが、かえって不気味さを増していた。
ベアトリスが小型端末を開き、空中に青白いホログラムが浮かぶ。複雑な数式と都市シミュレーションの記録が、連続するエラー音とともに乱れていた。
「……妙ね」
ベアトリスが呟いた瞬間、ラウンジの空気が微かに張り詰める。
> 世界開始時刻:検出不能
> 存在記録:不整合
> 参加者ID:前世界のデータと99.8%一致
「この都市のシミュレーションが開始された記録が……存在しない?」
彼女の声は、いつもの飄々とした調子ではなかった。
シャルロットが唇を歪めて笑う。
「あなたのプログラムがバグってるんじゃない?」
何気ない一言のはずなのに、どこか芝居がかった響きがあった。
マルグリットはカップをかき混ぜ、銀のスプーンをわざとらしく鳴らした。
「……舞台の幕が上がったのに、開演ベルが鳴ってない感じね」
リリアンヌは息を呑み、紅茶の香りの奥で胸騒ぎを覚える。
記録がない……? つまり、この世界は“最初から用意されていなかった”……?
ふと視界の端で、紅茶の表面がきらめいた。
そこに映ったのは――学園、宮廷、断罪の舞台。過去の世界の残像が、光の反射に一瞬だけ重なった。
リリアンヌは指先に力を込めた。
誰かが、確実に盤面を並べている。
夜風が入り込むガラス回廊。
下を見下ろせば、無数のドローンが監視の光を放ち、街路を走る自動車の群れが規則正しく光の帯を描いていた。
隣を歩くイザベラは、相変わらず完璧な背筋と無表情を崩さない。ヒールの音が規則的に響くたび、人工の街が拍子を刻むようだった。
不意に――彼女は足を止めた。
「規律が乱れると、世界は壊れる……」
その声は囁きとも断言ともつかず、回廊のガラスに淡く反射する。
「……そういう決まりでしょ?」
リリアンヌは思わず振り向いた。
「え……今、何て?」
イザベラはすぐに歩き出し、何事もなかったかのように話題を変えた。
「次の取締役会議、シャルロットは出席するつもりかしら?」
淡々とした声色――だが、その瞳の奥に、一瞬だけ影が走った。
リリアンヌの胸がざわめく。
今の言葉……まるで、彼女もループのことを知っているみたい。
照明が瞬いた。その刹那、街のネオンがわずかに揺らぐ。
世界が、ひび割れている。
夜の街は、ネオンの光で飽和していた。
だが、その光景が――突如として“ノイズ”に飲まれる。
ビルの輪郭がざらつき、ガラスの塔が溶けるように形を失っていく。
通りを歩く人々の顔が、パラパラと紙芝居のように別人に入れ替わった。笑顔が無表情に、老女が少年に――そしてまた元に戻る。
「……っ!」
リリアンヌは反射的に息をのむ。
これは……偶然じゃない。
誰かが――盤面を並べている。
視線の先。遠くの高層ビルに掲げられた巨大スクリーンが、白いノイズに覆われた。
そして、一瞬だけ――オスカーのシルエットが浮かぶ。
「……オスカー……?」
名を呼ぶ間もなく、像は掻き消えた。
次の瞬間には街は何事もなかったかのように元通り。
建物は整然と並び、人々は再び歩き出す。
まるで最初から何も起きていなかったかのように。
だが、リリアンヌの胸に残った確信だけは、もう揺るがない。
――この世界は“創られている”。
そして、その“脚本家”が、確かにこちらを見ている。
ラウンジに戻ったリリアンヌは、窓越しに揺らめく夜景を見下ろしていた。
あのノイズ――街が“剥がれた”あの瞬間が、まぶたの裏で何度も反芻される。
駒が並べられている……。
それも、私以外の誰かの手で。
カップを唇に運ぶ仕草は変わらない。だが、その視線の奥に冷たい確信が宿っていた。
――イザベラ。あの唐突な台詞。
――ベアトリスのAI。世界の“外側”を嗅ぎつけた。
――そして、遠くにちらついたオスカーの影。
舞台はすでに整っている。
次の幕が上がるのを、誰かが待っている。
リリアンヌは小さく笑みを浮かべ、カップをそっとソーサーに戻した。
その音が、やけに響いた気がした。
「――さぁ、次は誰の番かしら。」
ホログラムの明滅が一瞬だけ止まり、窓の外の光が奇妙に沈黙した。
まるで、この世界そのものが彼女の言葉に耳を澄ませているかのように。




