第6話
ルティアを聖女の園から追放することに成功してから、五ヶ月半が過ぎた頃。
「園長……今の言葉、本当なのですの?」
感極まった様子で訊ねるシレーヌに、聖女の園の園長は厳かに首肯する。
「有識者も含めて話し合った結果、今期の聖女はシレーヌくん……君に決定した。正式な発表は半月後の聖女降臨の儀になるが、まあ、通例どおりならば、その頃にはもう王都中に知れ渡っていることだろう。まったく、君たちくらいの年頃の娘は、どうしてああも口が軽いのか……」
毎回聖女候補には、誰が聖女に決定したのか口外しないよう言い含めているのに、すぐに漏れてしまう。
さりとて、貴族の令嬢に対して箝口令など敷けるわけもなく。
毎回毎回、凄まじい早さで聖女決定の噂が広まることに対する園長の愚痴を、シレーヌは満面の笑顔で受け止めていた。
あの卑しい平民の女を追い出し、やっと聖女の座を確約されるところまでこぎ着けることができた。
半年前から聖女になることが確実視されていたあの女と違って、通例どおり半月前、つまりはギリギリまでわからなかったことは些か屈辱ではある。
だが、今も鮮明に記憶に残っている、顔を灼かれ、地面をのたうち回って悲鳴を上げているあの女の醜態を思い出せば、そんな屈辱もどこかへ吹き飛んでいくというもの。
それに今頃あの女は、どこも行く当てがなくて、住むところもなくて、ゴミを漁らないと生きていけないような惨めったらしい目に遭っているはず。
野垂れ死んでいる可能性も充分あり得るが、それはそれで笑いが止まらないというもの。
それに引き換え自分は、王国の防諜を司るモラン公爵家の娘という立場に加えて、聖女の座も掴み取ることができた。
爵位の低い令嬢たちと違って玉の輿など狙う必要はないが、聖女という社会的地位を手に入れたことで、より高貴で、より素敵な殿方とお近づきになりやすくなったのは間違いない。
いや、むしろ、公爵令嬢でなおかつ聖女の自分ならば、殿方に選ばれるのではなく、こちらから殿方を選ぶ立場に立てるかもしれない。
未来を思えば思うほど笑いが止まらなくなりそうだが、自分はあくまでも淑女であり、聖女であるので、そんな内心はおくびにも出さずに、恭しく一礼してから園長室を後にした。
(それにしても、思いがけず暇になってしまいましたわね)
今日は、聖女の園にいる聖女候補全員が教師陣の面談を受けることになっている。
その面談が、今期の聖女の決定、ならびに、聖女になれなかった者たちの進路について聖女の園側が把握、場合によっては相談に乗るために執り行われていることはさておき。
今日は面談が終わり次第自由時間になっており、聖女に決まったことを伝えるためか、一番最初に面談を受けることになったシレーヌは、期せずして暇を持て余す格好になっていた。
リアラとエスメルを筆頭とした友人たちの面談が終わるのを待つという手もあるが、彼女たちの面談が後ろの方に回されていた場合は、やはり暇を持て余す格好になってしまう。
(それなら……たまには荷物持ちを連れて、商業都市でお買い物というのも悪くありませんわね)
今から向かえば昼頃には到着するので、商業都市で昼食をとるのも良いかもしれない。
方針が決まったところで、シレーヌは、貴族の令嬢たちの箱馬車が駐車してある、聖女の園の前庭へ足を向ける。
その足取りは、聖女になることが決まったからか、踊るような軽やかさだった。
◇ ◇ ◇
あの日以降、ルティアは、アルトスの呪具作りを手伝うようになった。
生き物の死骸を用いたものなど、生理的に無理なものはさすがに手伝えなかったし、そもそもアルトスがやらせはしなかったけれど。
毒草の調達や、木や藁の人形の制作など、できる範囲のことは手伝うようにしていた。
そういった意味では、五ヶ月半という月日相応に二人の仲は進展したと言えるかもしれないが、
「ルティア、そこの本を取ってくれ」
「これですね」
「「……あ」」
ちょっと相手の手に触れただけで、二人して顔を赤くして後ずさってしまうところを見るに、肝心なところの進展は牛歩よりも遅い有り様になっていた。
その日――
商業都市に買い出しに行くことに決めていた二人は、昼前に家を出ることにする。
いつもどおりにアルトスが王都で借りてきた小型馬車に乗り、二人仲良く並んで御者台に座りながら、ルティアは〝これから〟について提案する。
「いっそのこと、二人で大陸を旅してみるというのは、どうでしょうか?」
「旅?」
気質としては引きこもり寄りのアルトスが、微妙な顔をする。
ある程度予想していた反応に苦笑しながら、ルティアは話を続けた。
「正確には、落ち着いて暮らせる場所を見つけるための旅です。人の役に立てる呪具を作るための道を探す以前に、王都の近くだとわたしもアルトスさんも、しがらみが多すぎると思って」
「君の言いたいことはわかる。王都というか、このレアム王国にいる以上、王国は僕に一生ろくでもない呪具を作れと命じてくるだろうからな。だから僕も、王都から離れることを考えたことがあるが……情けない話、今の環境を捨てる勇気が、どうしても持てなくてな……」
自嘲するような笑みを浮かべながら、アルトスは言う。
ルティアは顔が赤くなっていくのを自覚しながらも、それこそ勇気を振り絞って、アルトスの背中を押す言葉を返した。
「わたしと一緒でも、勇気……持てないですか?」
自然、アルトスの顔も赤くなっていく。
「君と一緒なら……持てる……気がする」
こういうやり取りをした後は決まって、気恥ずかしさのあまり二人とも黙り込んでしまう。
けれど、ルティアもアルトスも、むず痒いけど心地良いこの沈黙が、そう嫌いではなかった。
(勇気……か)
沈黙の心地良さに身を委ねたまま、ルティアは心の中で呟く。
(勇気を持たなくちゃいけないのは、わたしの方ですね……)
アルトスと一緒に暮らすようになってから五ヶ月半経った今も、ルティアは、自分が聖女候補であったことも、半年前の時点で聖女になることが確実視されていたことも、伝えていない。
そして、シレーヌに、治癒術が効かない液体を顔に浴びせかけられ、半顔を灼け爛れさせられたことも。
(液体については、お墓まで持っていくしかありませんけど……液体以外は、ちゃんとアルトスさんに伝えないと……)
覚悟を決めたルティアは、熱が引いた顔を上げて、真っ直ぐにアルトスを見つめる。
「アルトスさん。帰ったらお話したいことがあるのですけど……聞いて、くれますか?」
「今じゃ駄目なのか?」
何の気なしなアルトスの問いに、ルティアはかぶりを振る。
「はい。落ち着いた場所で、二人きりでないと、話す勇気が持てなさそうなので」
「勇気……か」
と、先程ルティアが心の中で呟いた言葉をそっくりそのまま呟いてから、アルトスは首肯を返す。
「わかった。まあ、君が話そうとしていることが僕の想像どおりなら、確かに、家の中の方が話しやすいだろうしな」
自分の素性について話そうとしていることがバレている。
ある程度でも、お互いの心が通じ合っていることが嬉しい反面、気恥ずかしさも覚えてしまったルティアは誤魔化すように笑うばかりだった。
ルティアに釣られて笑みを浮かべていたアルトスだったが、ふと何かを思い出した顔で「勇気といえば」と呟き、言葉をつぐ。
「ルティア。今日こそは勇気を振り絞って、〝あの店〟で昼食をとらないか?」
〝あの店〟とは、商業都市にある、アルトスおすすめのレストランだった。
これまでにも、商業都市に来る度に、アルトスはそのレストランで食事をすることを勧めてきた。
けれど、レストランで食事をするとなると、顔を隠しているフード付きの外套を脱ぐ必要があるため、ルティアは勧められる度にやんわりと断っていた。
しかし今回は、
(帰ったら、わたしの素性を、顔を灼かれた経緯を話すつもりでいるのに、外で〝素顔〟を晒すことを恐がっていては話になりませんよね)
それに、アルトスおすすめのレストランについては、興味自体は持っていた。
だから、彼に言われたとおりに勇気を絞って、ルティアは笑顔でこう返した。
「ええ。そうしましょう」
◇ ◇ ◇
予定どおり昼頃に商業都市に到着したシレーヌは、荷物持ちのために同行させた二人の下っ端執事を引き連れて、レストラン探しに勤しんでいた。
「お嬢様。あの店はいかがでしょうか?」
「駄目よ。あの店、お肉を煮込む匂いがきついんですもの」
執事の提案を、シレーヌは素気なく却下する。
却下した軒数は、これでもう五軒目だった。
「はぁ……家人に任せたわたくしが馬鹿でしたわね」
そう吐き捨てると、商業都市でも指折りの名店として知られているレストランに足を向ける。
選択肢としては無難で面白みに欠けるが、もうこれ以上店探しのために歩き回るのは面倒で疲れるという気持ちの方が強かった。
名店ゆえに混雑している可能性が高いので、シレーヌは件のレストランに到着し次第、店前面の壁に設けられている大きな窓から、席が空いているかどうかを確かめるよう執事たちに命じる。
だが、
「なあ、あの方って……」
「やっぱり、そうだよな?」
執事たちがいつまでも経っても報告に戻ってこなかったので、シレーヌは深々とため息をついてから二人に歩み寄った。
「あなたたち、空席の確認もまともにできませんの?」
「「も、申し訳ございません!」」
二人揃って慌てて頭を下げる中、シレーヌはもう一度ため息をついてから訊ねる。
「それで、〝あの方〟って誰のことですの?」
執事の二人は頭を上げ、顔を見合わせてから答える。
「お嬢様。ダルード様の命で呪具をお作りになられている、天才呪術師のアルトス様のことはご存じですか?」
ダルードとは、シレーヌの父親の名前であることはさておき。
ルティアの顔を灼いた際はお世話になったこともあって、しっかりとアルトスのことを憶えていたシレーヌは、興味深そうに肯定した。
「ええ、知ってるわよ。ていうかあなたたち、アルトス様に会ったことがあるの?」
「はい。アルトス様の家に泊まり込んで呪具の開発を急がせるよう、執事長に命じられたことがありますので」
「ああ、そういうこと。で、天才呪術師様はどちらになるのかしら?」
「あちらのテーブルにいる、白色とも銀色ともつかない髪色をした若い男の方が、アルトスになります」
そんな執事の言葉を聞きながら、はしたないとは思いつつも、窓から店内を覗き込もうとしたシレーヌだったが、
「同席している女性が顔の半分を布帯で隠しておりますので、そちらを目印にした方がわかりやすいかと」
もう一人の執事の言葉を聞いた瞬間、「まさか」と思いつつも食い入るように店内に視線を巡らせ……白とも銀ともつかない髪色の男と楽しそうに食事をしているルティアを認め、これ以上ないほどにまで目を見開いた。
(はぁ~~~~~~~~~~~~~っ!?)
なんであの女が、卑しい平民のあの女が、こんな名店で食事をしてますの?
しかも、一緒にいる殿方が、お父様お抱えの天才呪術師ってどういうことですの?
いいえ、そもそも……そもそもそもそもそもそもそもそもそもそもっ!!
なんであの女が笑ってるのよっ!?
なんであの女が楽しいそうにしてるのよっ!?
わたくしに屈辱を味わわせたあの女には惨めったらしい人生がお似合いなのにっ!!
なんであんな幸せそうにしてるのよっ!!
(許せない……許していいはずがない……!)
心の底から、そう思った。
平民の分際で、高貴なわたくしに屈辱を味わわせたあの女には、地獄に落ちる義務がある。
だというのに、その義務を放棄して、まるで天国にいるかのようにあの女は笑っている。
到底許されるものではない。許していいはずがない。
(今一度、身の程というものをわからせる必要がありますわね)
問題は、その方法だ。
父親にお願いすれば、天才呪術師ごと一緒に地獄に叩き落とすことも可能だろう。
だが、〝ごと〟というのが気に入らない。
あの女の頭がこちらの想像以上におめでたかった場合、たとえ地獄に叩き落とされてもアルトスと一緒なら幸せ~とか、吐き気を催すような結果に終わりかねない。
あの女を地獄に叩き落とすためには、アルトスとの仲を引き裂く以外に他にない。
幸い、そちらに関しては手段に困ることはないだろう。
(忌々しいことに頭も回るあの女なら、自分の顔を灼いたのがアルトス様の呪具であることに気づいてるはず。そして二人の様子を見る限り、あの女は、アルトス様にそのことを伝えていない……!)
だったら、やることは簡単だ。
だがそれを実行に移すには、アルトスが、あの女と別行動をとった瞬間を狙う必要がある。
(このまま尾行して――というのは、さすがにめんどくさいですわね)
シレーヌはしばし思考を巡らせ……鬼のような形相で黙り込んでいた主に恐れ戦いていた、二人の執事に訊ねる。
「聞かせてちょうだい。アルトス様は、馬車を持ってらっしゃるの?」
二人は顔を見合わせ、揃ってかぶりを振る。
「馬車というか、馬自体持っていません」
「森の中に家を建ててらっしゃるので、馬車だと乗り入れるのが難しいですし」
「そう」
と、素気なく返してから、再び思考を巡らせる。
レアム王国には乗合馬車は存在せず、馬車を持たない平民は、遠出する時や荷物を運ぶ際に馬車を借りるのが一般的になっている。
王国の命令で呪具を作っているアルトスは一般的な人間とは言い難いが、馬車を所有していない以上、遠出の際は馬車の貸し出しを利用している可能性が高いはず。
(この五ヶ月半の間、王都であの女を見たという話は聞いたことがない。そもそも、ちょっとでもまともな神経をしていれば、王都に近づきたいとは思わないはず)
となれば、馬車を借りる時も返しに行く時も、アルトス一人で行動している可能性が高い。
(とはいえ、ここまではあくまでもわたくしの推測。まずは、確証を固める必要がありますわね)
指針は決まった。が、行動に移すのは昼食を済ませてから。
そう結論づけたシレーヌは、執事の一人に、アルトスが本当に馬車で来ているのかを調べるよう命じた後、自分は優雅に、あの女とは別の店で昼食をとることにしたのであった。