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第4話

 ルティアがアルトスと一緒に暮らすようになってから、一週間の時が過ぎた。


「アルトスさん、食器の用意お願いできます?」

「ああ。スープ皿はこれでいいか?」


 異性と付き合ったことがない二人といえども、一週間も経てばそれなりには慣れていき、たどたどしかったやり取りも今やすっかり自然なものになっていた。


 だが、


「「……あ」」


 食器を受け取る際、互いの指が触れてしまい、二人して大袈裟に後ずさってしまう。


「ご、ごめんなさい!」

「ききき気にすることはない! たたたただちょっと指が当たっただけだ!」


 どういうわけか、アルトスの方が動揺が大きいことはさておき。

 異性に対する免疫力の低さだけは、如何(いかん)ともしがたいルティアだった。


 朝食を食べ終え、水を汲むために川に向かう最中(さなか)、ルティアは思う。


(なんだか、思った以上に居心地が良くなってきちゃってますね。アルトスさんとの生活)


 異性と同棲することには、やはりまだ抵抗を覚えている。

 けれど、アルトスが思いのほか紳士的な人間だったおかげか、その抵抗も随分と和らいできている。


(それに、アルトスさんって手先とかは凄く器用なのに、自分のこととなると凄く不器用で、そういうところが放っておけないというか……可愛いというか……)


 ふと己の内から湧いてきた感情に気づき、ブンブンとかぶりを振る。

 年上の男性を相手になんて失礼な――と自戒する。


(でも、その不器用さが……)


 自殺という最悪の選択をとらせた――そんな言葉は、心の中でも紡ぐことができなかった。


 一週間という時が流れたせいか、アルトスからはもう、自殺しようという気持ちは消え失せているように見えた。

 けれど、いつその気持ちがぶり返してもおかしくない危うさが、彼の内に(くすぶ)っている気がしてならなかった。


 まだしばらくは放っておけない。自分がこの家を出る時は、彼がもう絶対に自殺なんて選択をとらないと確信した時だと肝に銘じる。

 一週間前、自殺を考えていた自分のことは棚上げにしながら。

 この家を出ることを考えた際に、なぜか、チクリと、胸に痛みを覚えたことに首を傾げながら。


 川から戻り、汲んできた水を貯水用の壺に流し入れていると、


「ルティア。ちょっといいか?」


 アルトスに呼ばれて、食料庫(パントリー)へ向かう。

 呼ばれた理由について察しが付いていたルティアは、彼が口を開く前に訊ねた。


「食料の備蓄について、ですか?」


 アルトスの希望もあって、同棲中はルティアが料理を担当している。

 ゆえに食料庫(パントリー)の備蓄に関しては、今やルティアの方が正確に把握しているくらいだった。


「ああ。君が森で食材を調達してくれているおかげで思った以上には持ったが、さすがにそろそろ王都(まち)に買い出しに行った方がいいんじゃないかと思ってな。……食材とか、調味料とか、欲しい物があったら言ってくれ」


 わずかな沈黙。そこからの、自分一人で買い出しに行くと言わんばかりのアルトスの物言いに、ルティアは一つの確信を得る。


(やっぱりアルトスさん、わたしが聖女候補だったことに気づいてるみたいですね……)


 ルティアは、自殺を試みたアルトスを高度な治癒術で(たす)けた。

 聡明な彼ならば、その時点でもうこちらの素性に気づいていてもおかしくないと、ルティアは思っていた。

 ルティアは自身の事情について「住んでいた場所を追い出された」とだけ伝えたが、この様子だと「住んでいた場所」が聖女の園の寮であることにも、まず間違いなく気づいているだろう。

 

 ゆえにアルトスは、聖女の園がある王都に一人で買い出しに行くような物言いをしたのだ。

 自分を追い出した聖女の園には近づきたくないだろうと、ルティアのことを(おもんぱか)って気を遣ってくれたのだ。


 優しさまでもが不器用なアルトスのことをますます好ましく思いながら、ルティアは「大丈夫です」「わたしも行きます」と返そうとする。


 だが、


「……っ……ぇ……?」


 なぜか、うまく声が出ない。

 なぜか、気持ちの悪い汗が全身が滲み出てくる。


 実際に自殺しようとしたアルトスほど深刻ではないというだけで、聖女の園を追放され、顔の半分が灼け爛れたことにショックを受けて自殺を考えていたのは、ルティアも同じ。

 自分よりも深刻な相手にかまけてその事実に向き合ってなかっただけで、心の傷が癒えたわけでも、ましてや乗り越えたわけでもない。

 王都に向かうことを、聖女の園に近づくことを意識しただけで、まともに声が出せなくなっているのが何よりの証拠だった。


「お、おい! 大丈夫か!?」

「だぃ……ぅ……っ」


 アルトスが心配そうに声をかけてくれたが、ルティアはろくに言葉を返すことができなかった。

 過呼吸すら起こしそうな有り様のルティアを前に、アルトスは数瞬考え込んでから口を開く。


「だったら――」




 ◇ ◇ ◇




 翌日。

 アルトスはルティアを連れて、王都から馬車で一時間のところにある商業都市に買い出しに訪れていた。

 王都に買い出しに行く話をしただけで過呼吸を起こしかけた、ルティアを気遣っての行動だった。


 まずはアルトスが一人で王都に向かって小型の馬車を借り、居を構えている森に戻ってルティアを乗せてから、商業都市へ向かった。

 正直、王都で買い出しすることに比べたら手間も時間もかかってしまうが、


(まあ、どうせ買い出しするなら、ルティアと一緒の方が効率が良いしな)


 それに、気晴らしくらいにはなるかもしれない――などと思ったところで、僕は何を考えているんだと小さくかぶりを振り、隣を歩くルティアを横目で見やる。

 布帯を巻いているとはいえ、顔の怪我は極力人目に晒したくないのか、ルティアは外套(がいとう)に付いているフードを目深に被っていた。

 そんな彼女の様子は、商業都市に来るのは初めてなのか、少し落ち着きがないものの大体はいつもどおり。

 昨日見せた異常な様子は、毛ほども見受けられなかった。


 横目とはいえ、あまりジロジロ見ていると気づかれてしまう恐れがあるので、アルトスは進行方向に視線を戻す。

 幾何学模様の石畳が特徴的な大通り。

 それを挟み込む形で軒を連ねる、三角屋根の建物。

 都市の規模と行き交う人の数は王都と比べても遜色なく、活気にいたっては王都以上。


 この商業都市にしろ王都にしろ、騒がしい街はあまり好みではないが、物が揃っているいう一点においては、この二都を超える街はレアム王国には存在しない。

 ゆえに多少の騒がしさには目を瞑り、されどあまり長居せずに済むよう効率良く街を回るために、アルトスは思考を巡らせようとするも、


(まずは市場に向かって……いや、待てよ。どうせなら、ルティアのために服を買ってあげた方がいいのではないか? 見たところ彼女が持っている服は……こう言っては失礼だが、いつ駄目になってもおかしくないくらいに粗末な、普段着用のオーバーチュニックと寝間着の二着だけのようだからな。それに顔に巻いている布帯も――……)


 などと考えていると、狙ったようなタイミングで、道行く先に服飾店が見えてくる。

 丁度いいと思ったアルトスは、服飾店に立ち寄ることをルティアに伝えようとするも、


(……いや、待てよ。服を買ってあげる行為は、遠回しに「ずっと家に居てほしい」と言っていることにならないか?)


 言うまでもなくただのさすがに考えすぎだが、当のアルトスはそうは思っておらず。

 モダモダと考え込んでいる内に、服飾店を通り過ぎてしまったのであった。




 ◇ ◇ ◇




 商業都市に来るのは初めてだという理由もあるが、いつ、何時、自分のことを知っている人間と出くわすかわからない状況に、ルティアはそわそわしていた。


 今日は聖女の園の休養日ではないので、聖女候補の誰かと出くわす可能性はないと思っていい。

 だが、ルティアのことを知っている王都民が商業都市(こっち)に来ている可能性は、決して低くはないだろう。

 そこまでわかっていてなお商業都市までついて来たのは、あまりアルトスの優しさに甘えすぎてはいけないという思いがあってのことだった。


 アルトスは確かに、ルティアが聖女候補であったことに気づいている。

 けれど、そこまで気づいていて、なおかつルティアの名前を聞いても何もピンときていないところを見るに、ルティアが()()()聖女候補であったことには気づいていない、というか知ってすらいないと見て間違いないはずだ。

 知っていれば、彼の性格ならば、王都民も訪れる商業都市を買い出し先に選んだりはしなかっただろう。


 素性もろくに話さないのに、無理に詮索したりせずに、家に置いてくれている。

 あまつさえ、こちらのことを(おもんぱか)ってくれている。

 そんな彼の優しさが傷ついた心と体に染み入る。心地良さすら感じる。


 けれど、だからこそ、その優しさに甘えすぎるのは良くないとルティアは思う。

 なぜなら、その優しさゆえに彼は傷ついているのだから。

 王国の命令で、人を傷つけることだけを目的にした呪具を作らされる日々に耐えられず、自殺を選んでしまうほどに、深く深く傷ついているのだから。


 聖女の園を追放されたとはいっても、何かしらの形で人々の助けになりたいという想いには(いささ)かの陰りもない。

 優しくしてくれる彼に報いるためにも、傷ついた彼の心を癒やしてあげたいと心の底から思う。


 そのためにも、彼の優しさに甘えすぎてはいけない――ルティアは、再三自分に言い聞かせた。



 そして――



「すごい! 胡椒が売ってますよ、アルトスさん!」

「値段も悪くないし、どうせだから一緒に買っておくか」


 そんなやり取りを交わしたところで、ルティアははたと我に返り、はたと気づく。

 この二時間、アルトスとの買い物をすっかり満喫してしまっている自分がいることに。


 アルトスに優しさに甘えすぎてはいけないと、散々自分に言い聞かせていたのに。

 自分のことを知っている王都民と出くわすことを、あれほど恐れていたのに。

 アルトスと二人で街を回って買い物をすることが楽しくて。

 ただ食材と調味料を買い回っているだけなのに、本当に、今まで経験したことがないくらいに楽しくて。

 買い物に夢中になっている自分に気づくのに、二時間もかかってしまった。


 思い返してみれば、自分の人生には〝楽しい〟という感情が入り込む余地は、あまりなかったかもしれないとルティアは思う。

 母親は自分を産んですぐに他界し、父親は子育てを放棄して蒸発。

 親戚中をたらい回しにされる中、教会の日曜学校で教養と治癒術を学び、独り立ちするために聖女の園の試験を受けて、なんとか合格した。

 そこからは、ただただ必死に教養と治癒術を磨き続けて、〝あんなこと〟になって――


「どうした? 疲れたのか?」


 いつの間にか、ボーっとしていたようだ。

 心配げに訊ねてくるアルトスに、ルティアは慌ててかぶりを振った。


「い、いえ! 大丈夫です!」

「……本当か?」


 念を押すように訊ねてくるアルトスに、ルティアは再びかぶりを振る。


「ほ、本当に大丈夫です! わたし、こう見えて体力には自信がありますから!」


 その言葉をひとまずは信じることにしたのか、アルトスは何か言おうとして……だけどすぐには言葉を紡げなくて、散々モダモダした末にこんなことを言ってくる。


「だったら……最後に少しだけ、寄り道してもいいか?」

「はい……構いませんけど」


 もとよりルティアには、アルトスの申し出を断るという選択肢を持ち合わせていない。

 だけど、相手がなぜか妙に緊張しているせいか、緊張(それ)伝染(うつ)ってしまったせいか、返答は二つ返事とはいかない歯切れの悪いものになってしまう。


 アルトスは安堵したように一つ息をつくと、逸る気持ちを抑えるような足取りで歩き始める。

 そんな彼の後をついて行き、辿り着いた場所は、平凡な店構えをした服飾店だった。


 だからこそルティアは特に何も考えず、アルトスに続く形で店内に入ったが……店構えに比べていやに格式が高い内装と、驚くほど高額な服飾が整然と陳列されている様を見て、思わず瞠目してしまう。


「あ、あの……アルトスさん……入るお店を間違えたりとか……してません?」

「確かに思ったよりも高価だが、まあ、これくらいの値段なら大丈夫だろ」


 まさかの言葉に、ルティアはますます瞠目してしまう。

 だが、よくよく考えてみれば、アルトスに呪具の開発を命じているのは、レアム王国という国そのもの。

 アルトスの気持ちはともかく、金払いという点に関しては悪いなんてことはあり得ないだろう。


 と、得心していたルティアだったが。

 本当に目を(みは)らされるのは、ここからだった。


「ルティア……その……なんだ……欲しい服があったら言ってくれ。普段着る服が一着しかないのも、さすがに不便だろ?」


 アルトスの頬がなぜか微妙に赤くなっていることにも気づかずに、ルティアは全力でかぶりを振る。


「いえいえいえ! お構いなく! こんな高価な服を普段から着るなんて恐れ多いですから!」


 後半の言葉には同意だったのか、アルトスが「言われてみれば確かに」という顔をしていたので、ルティアは安堵しかけるも、


「だが、顔に巻いている布帯に関しては、安物というわけにはいかないだろ」


 最も触れられてほしくないところを触れられてしまい、血の気が冷えていく感覚がルティアを襲う。


 だが、


「その布帯の下に、いったいどのような傷が隠されているのかは知らないし、詮索する気もないが……安物をぎした布帯よりは、綺麗で上質な布帯を巻いていた方が傷には(さわ)らない……はずだ。多少高かろうが、それだけはここで買っていくぞ」


 それ以上の優しさに触れられたことで、むしろ血の気が温かくなっていくのをルティアは感じる。

 そのせいか、心なしか、頬が火照っているような気がして、つい顔を逸らしてしまう。


 アルトスはアルトスで、自覚できるほどにまで頬が火照ってきたせいで顔を逸らしてしまい……気まずいけれど、どこか心地良い沈黙が二人を包み込む。


 店内には他に客がいないせいもあってか、店員が暖かい目で成り行きを見守る中、やはり沈黙に耐えられなかったルティアが先に口を開く。


「あの……傷の方はもうほとんど治ってますので……今のままでも大丈夫……です」

「〝ほとんど〟ということは……完治したわけではないのだろ? だったら……やはり買い換えるべきだと思うが……」


 同棲を始めた当初を彷彿とさせる、しどろもどろなやり取り。

 気恥ずかしいけど、やはり、どこか、心地良い。


「そのとおりかもしれませんけど……わたしなんかのために高価な物を買うなんて……その……勿体ないですし……」



「勿体なくなどないッ!」



 突然アルトスが大きな声を上げて、ルティアも、店員も、ビクリと驚いてしまう。


「僕が君に買ってあげたいんだ! だから、勿体ないことなんて一つもない!」


 熱の籠もった言葉と視線を前に、瞬く間に顔が沸騰したルティアは、ただ「はい……」と返すことしかできなかった。

 我に返ったアルトスも、今自分が何を口走ったのか正しく理解してしまい、ルティアと同様、瞬く間に顔が沸騰してしまう。


 その後――


 顔の火照りが引いてから、アルトスは、ルティアの顔の傷を隠すのに適した布帯がないか店員に訊ねた。

 布帯の正確な大きさについてルティアが伝えたところ、店頭に並んでいる物に、該当する大きさの布帯はないと言われたが。

 店員が思いのほか親身になって対応してくれたおかげで、特注で、しかも格安で、普段使いの二枚と予備の一枚――計三枚を、顔帯として仕立ててくれたのであった。

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