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第3話

 すでにこの世を去っている呪術の師匠がレアム王国に仕えていた縁で、アルトスは王国の命令で、捕らえた敵国の間者(スパイ)に使う、尋問用というよりは拷問用に等しい呪具の開発をやらされていた。


 治癒術が効かない溶解液。

 体の内側を呪いで蝕み、服用者に地獄の苦しみを与える毒液。

 何をされても眠ることはおろか、気を失うことすらできなくなる呪いにかかる薬液。

 どれ一つとっても人道的とは言い難い呪具を、王国の命令のもと次々と作り出した。


 だが、アルトス自身は呪術を人の役に立てたいと思っており、そんな心中とは裏腹に人を傷つけ、苦しめる呪具の開発ばかり命じられる現実に、心が摩耗していた。


 アルトスとて、王国に全く抗議しなかったわけではない。

 人を傷つける呪具ではなく、人の役に立てる呪具を作りたいと、連絡役の人間に訴えたこともあった。

 しかし、人を呪う術で人の役に立てる物が生み出せるわけがないだろうと、鼻で笑われる結果に終わってしまった。


 ならばと、聞かれたことになんでも答える呪いにかかる飲水(いんすい)の呪具を開発した。

 間者(スパイ)から情報を引き出すという意味ではこれほど有能な呪具はなく、これさえあれば、もうこれ以上人を傷つける呪具を作らずに済むと思っていたが……なぜか王国は、この呪具の受け取りを(かたく)なに拒んだ。

 逆に、情報を引き出すことよりも相手が苦しむことを優先した呪具を作るよう命じられた。


 その時、アルトスは悟った。

 王国が望んでいるのは、敵国の情報ではなく、敵国の人間が苦しむ様を観賞することにあることを。


 最早、この王国(くに)には愛想が尽きた。

 けれどアルトスには王国から出て行く勇気が、ひいては今ある環境から飛び出す勇気がなかった。

 人を苦しめる呪具ばかり作ってきたことに自責の念を抱いていたせいか、自死を選ぶことの方がはるかに勇気がいらなかった。


 こんな最低でろくでもない人間は、苦しんだ末に死んだ方がいい。

 そう思って、体の内側を呪いで蝕み、服用者に地獄の苦しみを与える毒液を改良した、呪殺の毒液で自殺を試みたが――



「おかしなことになってしまったな……」



 自室のベッドに寝転がりながら、アルトスは独りごちる。


 自己紹介の後、少しだけお互いの身の上を話すの流れになったが、どうにもあのルティアという少女、住んでいた場所を追い出されてしまい、どこにも行く当てがないとのことだった。


 自分には関係のない話だったので、さっさと追い払って今度こそ死のうと思っていたが……目の前にいる少女が、自分よりも余程生きることに絶望しているように見えてしまい、



『新しく住む場所を見つけるまでの間なら、ここにいてもいいが』



 つい、こんなことを提案してしまった。

 自分でも、どうしてこんなことを口走ったのか理解できなかった。


「僕が追い払ったせいで死なれてしまったら、それはそれで寝覚めが悪いからな」


 死ぬことを考えていたくせに、寝覚めの悪さを気にする自分をおかしく思う。

 その一方で、こちらの提案をルティアが呑んだのも、おそらくは自分と同じ理由だろうと思う。

 もっとも向こうは寝覚め云々が理由ではなく、彼女自身が言っていたとおり、苦しんでいる人間を放っておけないことが理由のようだが。


「それにしても、僕が開発した呪殺の毒液すら浄化するほどの治癒術……いったい何者なんだ?」


 見た目は大人びているが、どこか垢抜けないところを見るに、彼女の年齢はおそらく一〇代半ばから後半くらい。

 聖女の園にいる少女たちが、大体それくらいの年齢だったはずだ。


 普通に考えれば、ルティアは聖女候補である可能性が高い。

 顔を布帯で隠しているところを鑑みるに、何かしらの事故で顔が傷ついてしまい、聖女の園を追い出された――そう見るのが妥当だが、


「昔ならいざ知らず、今の聖女が扱うレベルの治癒術で、僕が開発した呪殺の毒液を、ああも完璧に浄化することなんてできない。その候補に過ぎない人間なら、なおさらだ。そもそも聖女以上の治癒術の使い手が、癒えない傷を顔に負っているのもおかしい」


 自分が開発した治癒術が効かない溶解液ならば、彼女といえども治癒することはできないだろうが、そんなものが聖女の園に出回ることは天地がひっくり返ってもあり得ない。

 なぜなら自分が開発した呪具は、非人道的な尋問に使われているせいもあって機密扱いになっている。

 尋問が行われている王城の外に流出したことが発覚すれば、大事(おおごと)になるのは避けられない。


「さすがに、それはないか」


 そう結論づけたところで、重くなってきた瞼に抗うことなく目を瞑る。

 意識がゆっくりと眠りに落ちていく中、治癒術の効かない毒液を開発すれば、ルティアが傍にいようが自殺できるかもしれないと考えたが。

 そこまでして目の前で自殺なんてされたら、さすがに彼女が可哀想だ――と思ったところで、不意にとある事実に気づき、目を開く。


「この状況……年下とはいえ、異性と同棲することになるのでは?」


 なるのでは?――どころか、まさしく〝なる〟ことはさておき。

 気質としては引きこもり寄りの彼に、異性と付き合った経験などあるはずもなく。

 自分が軽率な提案をしてしまったことに今さらながら気づいたアルトスは、悶々とするあまり、寝付けるまで実に四時間の時を要したのであった。



 一方――



 客室のベッドで横になっていたルティアは、アルトスと一緒に住むことを選んだ自分に、今さらながら頭を抱えていた。

 なぜなら、


(よくよく考えたらこの状況……男の人と二人きりで同棲することになるのでは!?)


 気づくのが遅すぎるという点も、異性と付き合った経験がないという点も含めて、案外似た者同士かもしれない二人だった。




 ◇ ◇ ◇




 翌朝。

 案の定と言うべきか、あまりよく眠れなかったルティアは、欠伸をしながらベッドから身を起こし……頭を抱える。


 自分が助けなかったら自殺を完遂していたアルトスを、このまま放っておくことはできないという理由(言い訳)があるとはいっても、出会ったばかりの異性と同棲することになるなど、およそ聖女を目指していた者の所業とは言い難い。

 それも、聖女の園を追い出されたその日の内にときているものだから、抱えた頭は殊更(ことさら)重かった。


 だからといって、ここでアルトスを放っておくのは、それこそ聖女を目指していた人間のやることではないので、ルティアは覚悟を決めて部屋の外に出る。


 直後、


「「……あ」」

 

 全く同じタイミングでアルトスも自室から出てきて、二人の間の抜けた声が廊下に響き渡った。


「えっと……おはよう……ございます……」


 異性と同棲しているという実感がますます湧いてしまったルティアは、頬が無駄に熱くなっていくのを感じながらも、ぎこちなく挨拶する。


「ああ……うん……おはよう……」


 アルトスもまた同じ実感が湧き、同じように頬に朱が差し込んでいたが、もうすでにいっぱいいっぱいになっているルティアが、相手の様子に気づける道理はなかった。


「あの……これから……どうします……?」

「とりあえず……朝食に……する……」

「あ……そうですね……わ、わたしが……お作りしましょうか……?」

「そ、そうだな……うん……任せる……食料庫(パントリー)に保管してある物は……好きに使っていい……」


 二人して俯き加減で、しどろもどろなやり取りを交わす。

 ルティアは基本的には人見知りしない方だが、状況が状況なせいか、どうしてもいつもどおりに振る舞うことができなくなってしまう。


 それからもう少しモダモダした後、アルトスに勧められて近くの川で顔を洗い、キッチンを借りて朝食の支度に取りかかる。 

 さすがに額面どおりに食料庫(パントリー)を好きに使うのはどうかと思ったので、使う食材はパンと干し肉だけに留め、残りは顔を洗いに行ったついでに採ってきた葉菜(ようさい)を使って、サンドイッチとスープを(こしら)えた。


 呪具の研究室にいるから、朝食ができたら呼びに来てくれとアルトスに言われていたので、ルティアは研究室へ向かい、控えめに扉をノックする。が、返事はなく、もう少し強めにノックするも(なし)のつぶて。

 いよいよルティアは眉をひそめるも、この研究室が昨日アルトスが自殺を試みた部屋であったことを思い出し、青ざめる。


 異性と同棲することになって、いっぱいいっぱいなっていたという理由もあるが、起床直後のアルトスの様子からは、また自殺しようなどという素振りが微塵も見受けられなかったせいで、彼から目を離すことがどれほど危険なことであるのかを完全に失念していた。

 今度は苦しむ声すら上がらないほど、静かに死のうとしているのかもしれない――そう思ったルティアは、一も二もなく扉を開き、大声を上げる。


「アルトスさんっ!」


 しかし、それでもなお返事はかえってこなかった。

 だがその理由は、ルティアが想像していたものとは全く違ったものだった。


 アルトスが机にかじりついたまま、毒々しい草や、虫の死骸、掌よりも小さい人型の木人形を一心不乱にすり棒で磨り潰していたのだ。

 ルティアが部屋に入ってきたことに気づきもしない、凄まじい集中力だった。


 また自殺を試みていたわけではないとわかり、ルティアは安堵を吐き出すと、邪魔をしては悪いと思って彼の作業が終わるのを待った。


 それからわずか一分後、


「……ふぅ」


 一段落ついたのか、アルトスは吐息をつき、何とはなしにこちらの方に振り返って……今さらながらルティアの存在に気づいて、ビクリと椅子から飛び跳ねた。


「い、いたのか……」

「は、はい……二回ほどノックをしたのですが……返事がなくて……その……」


 また自殺しようとしていたのではないかと思った――とは、さすがに言えず、口ごもってしまう。

 そんな心中が顔に出ていたのか、アルトスは一つ息をついてから、やはり訥々と答えた。


「さすがに……君を置いて自殺したりなんか……しないさ……」


 言われて、ルティアは「ん……?」と小首を傾げてしまう。

 それを見て、アルトスが「む……?」と眉をひそめる。


 そして、二人して先程の言葉の内容を脳内で反芻(はんすう)し……二人してボッと音を立てて、瞬時に顔を沸騰させた。


「ちちち違うぞ! いいい今のは! 君にここに住めばいいと言っておきながら、自殺するような無責任なことはしないという意味で!」

「そそそそうですよね! わわわわたしもそういう意味だと思ってました!」


 ちなみに、先程アルトスがあんなことを口走ってしまったのは、異性と二人きりの状況に慣れないあまり、つい言葉足らずになってしまったことであるのはさておき。

 当然のように会話が続かなかった二人の肩に、ずしりと沈黙がのしかかる。


 ややあって――


 ルティアは、自分はこういう沈黙が苦手なのかもしれないと思いながらも、部屋に入ってからずっと気になっていたことを訊ねた。


「あの……調合していたのは……どういった効果の呪具なのですか……?」


 アルトスは答えようとして口を開きかけるも、どこか後ろめたそうに顔を逸らし、


「どうせ、隠し通せるような話でもないか」


 と諦めたように呟いてから、ルティアの問いに答えた。


「この液体を浴びせかけた人間に、()()()()()()()激痛を与える液体型の呪具だ」


 呪具の話ゆえに調子が戻ったのか、先程までのしどろもどろっぷりが嘘のようなアルトスに対し、ルティアは、より訥々とした声音で返す。


「浴びせかけた人間に……激痛を与える液体……ですか……」


 どうしても、否が応でも、自分の顔を灼いたあの液体を想起してしまう。

〝まさか〟という思いが、脳裏をよぎってしまう。


 ルティアの様子がおかしいことにはアルトスも気づいているが、どうやら「話の刺激が強すぎたか」という程度にしか思っていないらしく、ここが重要な部分だと言わんばかりに彼女の言葉を訂正した。


「あくまでも、()()()()()()()だがな」

「何の異常もなく……とは?」

「言葉どおりだ。浴びせかけられた箇所は、皮膚が爛れるわけでも、肉が溶けるわけでもない。ただ激痛を与えるだけだ」

「それに……何の意味が……?」

「意味なんて知るか。僕はただ、相手の肉体を損なうことなく何度でも拷問できる呪具を作れと王国(くに)から命じられたから、それに従っているだけだ。でなければ……こんな不愉快極まりない呪具など作ったりしない」


 投げやりに答える、アルトス。

 もうこれ以上、人を傷つけることだけを目的にした呪具なんて作りたくない――それを理由に自殺を試みた彼が、傷つけることなくただ人を苦しめる呪具を作ることに、どれほどの苦痛を覚えているのか。


 自殺を阻止したことを後悔する気は微塵もないが、どうしても後ろめたさを感じてしまったルティアは口ごもってしまう。

 そんな彼女の様子を見て質問は終わったと思ったのか、話は終わりだとばかりにアルトスは言った。


「朝食にしよう。君も、そのために僕を呼びに来たのだろ?」




 ◇ ◇ ◇




 気まずい――そう思いながら、アルトスはルティアとともにリビングに向かっていた。

 呪具の話を聞いて以降、ルティアは顔色が優れない様子だった。

 人を傷つける呪具を作りたくないと言っていた人間が、ああも非人道的な呪具を開発していることに引いてしまったのかもしれない。


(だから、王国(くに)に命令されて作った呪具の話なんてしたくなかったんだ)


 だが、呪具の受け取りや王国からの命令を伝えるために、連絡役がこの場所を訪ねてくる以上、アルトスがどういった呪具を作っているのかを隠し通すのは困難がすぎるというもの。

 ゆえに、諦めてルティアに話したわけだが、彼女の様子を見る限り、その判断は失敗だったかもしれないとアルトスは思う。


(一緒に住むと言っても、どうせ一時だ。必要以上に気を遣わなくてもいいだろ)


 そんな言葉で無理矢理自分を納得させたところで、リビングに到着する。


「スープ、温め直しますね」


 そんなルティアの気遣いに対して、気まずさのあまり口ではなく首肯で返してしまい、余計に気まずい思いをしてしまう。

 

 温め直したスープがテーブルに並んだところで、アルトスはサンドイッチに手を伸ばし……なんとなくルティアの視線が気になったので、何年かぶりに「いただきます」と言ってからサンドイッチを掴み、口に運んだ。

 ルティアが「いただきます」を返す中、サンドイッチを咀嚼(そしゃく)する。


(まあ、普通だな)


 具材をパンに挟むだけの、料理と呼んでいいかもわからない代物だ。

 誰が作っても、そう大きな違いが出るものではない。

 バターや調味料が揃っていれば話は違ってくるかもしれないが、生憎この家にある調味料は塩のみ。

 当然、バターなどという気の利いた物は置いていない。


 そういった意味では、こちらも似たり寄ったりだろうと思いながら、スプーンで掬ったスープを口に運び……思わず目を見開いてしまう。


美味(うま)い……!」


 口から零れた賛辞も、思わずだった。

 小麦粉を混ぜたのか、サラッとしたとろみのスープは思いのほか口当たりが良く、短時間で仕込んだとは思えないほどに味に深みがあった。


「干し肉と葉菜でお出汁(だし)をとって……塩で味を調(ととの)えてみました……」


 賛辞がこそばゆかったのか、照れくさそうにしながらもルティアは言う。

 たぶん、僕が同じようにやってもここまで美味しくはならないだろうな――と思いながらも、再びサンドイッチを口に運び……再び目を見開く。


 合うのだ。

 スープの味付けが、サンドイッチに完璧にマッチしているのだ。

 普通だと思っていたサンドイッチが、普通ではなくなったのだ。


 そこから先はもうあっという間だった。

 気がつけばサンドイッチを平らげ、スープを飲み干していた。


「ごちそうさま」


 と言いながら、アルトスは軽い危機感を覚えていた。

 今この瞬間、目の前にいる少女に胃袋を掴まれた――その自覚によって生まれた危機感だった。


 呪具の件もあって、正直、ルティアがこの家に長居することはないだろうと思っていた。

 けれど今は、現金な胃袋が、ルティアに少しでも長くこの家に居てほしいと願い始めている。

 ゆえに、危機感を覚えずにはいられなかった。

 異性との同棲に長期間耐えられるほどの甲斐性が、自分にあるとは思えなかったから。


 などと、自分の世界に入っていたところで、ふと気づく。

 呪具の話を聞いて以降優れなかった彼女の顔色が、今は随分と和らいでいることに。


 よせば良いのにと思いながら、アルトスはつい訊ねてしまう。


「どうした?」


 途端、ルティアの小首がわずかに傾く。

 それを見て、「どうした?」だけでは、言った本人ですらも何を訊ねているのかさっぱりわからない有り様になっていることに気づき、慌てて言い直す。


「その……なんとなく……君が嬉しそうにしているように見えたんだ」


 言われて、ルティアの頬がわずかに紅潮し、わずかに緩む。


「それは……勿論、嬉しいですよ……」


 そして、


「だってわたし……料理はちょっと……自信がありますから……」


 口元を綻ばせるようにして笑った。


 初めて見せるルティアの笑顔を前に、トクン――と、生まれてこの方一度も聞いたことがない浮かれた音色が、左胸から聞こえたような気がした

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