だから、私言ったわよね?
(ああ……、とうとう来たのね)
こちらに突進してくるエリーザを見て、そう思う。
「ヴィオレット! どういうことよ!」
エリーザは、今にも私に噛みつかんとする勢いだ。
「シャルルと結婚すれば玉の輿だと思ってたのに、あの家借金まみれじゃない! あんた、知ってて黙ってたのね!」
私は、小さく溜め息をついた。
「エリーザ、だから、私言ったわよね? 本当にいいのかって。聞く耳を持たなかったのは、あなたじゃない」
「借金のこと、知ってたなら教えるべきでしょ!」
「シャルルの家の借金のことなんて知らないわ。だけどね、ローゼンクランツ家の人達は、これまで私の父からの援助で暮らしてきたの。それが無くなったらどうなるのかしら? って思っただけよ」
「だけど……。あんたとシャルル、あの時、そんな話一言もしなかったじゃない!」
「エリーザ、あの時、私が最初に言った言葉を覚えている? 私は、こんなことになってごめんなさいって言ったの。それはね、もうローゼンクランツ家にお金を渡せなくなった。ごめんなさいっていう意味よ。それから、シャルルは今までありがとうって答えたでしょう? あれは、今までお金を恵んでくれてありがとうって意味よ」
「だけど…だけど! あの時、シャルルは確かにあんたにお金を渡したわ。箱いっぱいの銀貨を、私の目の前で!」
「だから、私言ったわよね? シャルルに、本当にいいのかって。あれが、シャルルが必死で貯めた、全財産だって知っていたからよ」
「なっなっなっ……!」
エリーザの唇は、言葉にならない声を発しながら、ぷるぷる震えている。
父とシャルルの父、ローゼンクランツ伯爵は、昔からの友人だった。ローゼンクランツ伯爵は、私とシャルルの婚約を父に持ち掛け、婚約が成立すると、父の人の良いのに付け込んで、いずれ姻戚になるのだから助けてほしいと縋り、父から金を巻き上げていたのだ。グランベール家の財政が傾いてからも、父は、ローゼンクランツ伯爵に頼まれるがまま、大金を渡し続けた。ローゼンクランツ伯爵一家は、その金で贅沢な暮らしをしていたのだ。
領地に目を向けず、何十年も放置した結果、ローゼンクランツ伯爵領は廃墟同然になり、ローゼンクランツ家に税収はほとんどなかった。実質、父から巻き上げた金だけで暮らしていたようなものだ。グランベール家の財政ががいよいよ傾き、父から渡される金が減っていっても、贅沢がやめられず、終いに借金をして暮らしていたのだろう。
(まあ、あの頃の私も、同じようなものだったけどね)
自分の家の財政が傾いていることに気付かず、父がいよいよ夜逃げを決行しようとする時まで、何も知らずに贅沢に暮らしていた。自分の頭で考えようとせず、何も見ようとせず、与えられる贅沢を、当たり前のように享受していた日々。
父がローゼンクランツ家にお金を渡していると知った時も、何も感じなかった。ただ、ああそうなのねと思っただけ。本当に馬鹿だったのだ。
(だけど、私達は逃げなかった。きちんと借金を返して、やり直そうと足掻いた。だから今があるの。あなたやローゼンクランツ家の人達とは違うのよ)
言ってやりたかったけど、口には出さなかった。
今の私にとって、エリーザは怒る価値などない人間なのだから。
(……そういえば、シャルルとエリーザが付き合いだしたのって、ちょうどグランベール家がにっちもさっちもいかなくなって、いよいよ夜逃げをするって時の少し前よね。もしかして……)
「ねえ、エリーザ。もしかして、シャルルを誘惑するよう、ローゼンクランツ伯爵に吹き込まれたんじゃない? 未来の伯爵夫人には、君の方が相応しいとか何とか言われて」
図星を突かれて驚いたのか、エリーザの顔は真っ赤になった。
おそらく、これ以上父から金を巻き上げられないと踏んだローゼンクランツ伯爵が、次の鴨を、昨年投資で大きな儲けを出したというエリーザの父、イングマール男爵に定めたのだろう。
そう考えると、エリーザも被害者なのかも知れない。だけど、私はあの日のエリーザの言葉を、忘れるつもりはない。
「大丈夫よ、エリーザ。だってあなた達、愛し合ってるんでしょ? あの時、あなたそう言ったじゃない。それに、あなたには立派な実家があるんだから」
「……あんた! 知ってるくせに!」
エリーザは、今日一番の鋭い眼差しで私を睨んだ。
そう、私は知っている。エリーザは、イングマール男爵と再婚した、現夫人の連れ子だ。イングマール男爵とは血の繋がりはなく、おまけに、亡くなった前夫人との子供が6人もいて、その子供達が嫌がったので、エリーザはイングマール家の籍に入っていない。エリーザに、イングマール家の財産に関与する権利などひとつもないのだ。
子供の頃、エリーザが他の子供達に煙たがられていたのは、それも原因のひとつだった。
それでも、ひとつ屋根の下で共に暮らす義理の娘の結婚だ。イングマール男爵も、持参金くらい出しただろう。けれどもその金額は、ローゼンクランツ伯爵が考えていたものより、遥かに少なかったに違いない。
「持参金が少ないと、義父に叩かれたのよ! シャルルは見ているだけで、助けてもくれなかったわ!」
「穏やかで争い事を好まないのが、シャルルの長所じゃない。だから、シャルルは何があっても両親に逆らったりしないわ。あなたも、シャルルのそんな所を好きになったのよね? そうでしょ? エリーザ」
「ああ……あああ!!!」
エリーザの顔が絶望で歪んだ。
その時。
「会社の前で騒ぐのは止めてくれないか」
いつの間にか、商会の入口の前に、会長が立っている。
「申し訳ありません。会長」
「お前……いや、ヴィオレット…様には言っていない。人の会社の前で金切り声を上げている、この非常識な女に言っている」
「なっなっ、何よこの美男子は!」
(美男子……イケメンって言いたいのね)
その時。
「大丈夫ですか? ヴィオレット様」
今度は、慌てた様子でカルロがやって来た。
「あっあんた、一体何なのよ! 家も没落して、婚約者も奪われて、泣き暮らしてるかと思ったら、こんな美男子二人に囲まれてるなんて、どういうことよ!」
(いやいや、エリーザ、今怒るとこそこ?)
「あんたのこと、昔から大嫌いだった。家族に愛されて、友達もいて、優しい婚約者がいて。あんたから、何か一つでも奪ってやりたかった。やっと奪えたと思ったのに……。何で? 何であんたばっかり幸せそうなのよ!」
「連れて行け」
会長が合図をすると、二人の門番がやってきて、エリーザを抱えて、ずるずると引きずっていった。エリーザは、何か叫びながら、されるがままになっている。
(エリーザ。あの時の言葉、そっくりそのままお返しするわ)
「私の前に、二度と現れないでよね!」
それから、数時間後、私は思う。
(何で、こんなことになってるのかしら?)
オリバー村への帰り道。会長とカルロが、何故だか一緒に馬車に乗っている。
「宜しいのですか? オリバー村まで、片道2日ですよ」
「一度、オリバー村へ行ってみたいと思っていたんですよ。私も会長も、ここ数年1日も休んでいませんから、たまにはいいでしょう。ね? 会長」
「ふん」
会長は、不機嫌そうに窓の外を眺めている。
(この人が、こんなだから聞いてるのよ)
「せっかくの休みが、ほとんど馬車の中ということになりますが」
「まあ、それが旅の醍醐味です。それより、先程の女性はお知り合いですか?」
「あっ、先程はお見苦しいところをお見せしました。先程の女性は……。というか、知ってますよね? 貴族のことはだいたい把握していると、先日仰っていましたもんね」
「いやはや、ヴィオレット様には敵いませんね。エリーザ・イングマール。あなたから、婚約者のシャルル・ローゼンクランツを奪った女性ですね」
「その通りです。だけど、エリーザの存在がなくても、シャルルとは婚約破棄になっていましたから。それに、もう過去の話です」
「未練はないのですか?」
「未練、ですか? そんなものはありません。元々、父が決めた婚約ですから」
「ヴィオレット様は……。何というか、商売の時は貴族令嬢らしくないのに、そっち方面は貴族令嬢の思考なのですね」
「よくわかりません。そもそも、恋愛自体よくわからないので。カルロ様は恋愛結婚なのですか?」
「もちろんです。私と妻は、燃えるような大恋愛の末結婚しましたから」
「はあ……。そうなんですね。では、会長は?」
「はい?」
「会長はご結婚されているのですか?」
「ヴィオレット様、この人が愛する女性がいる男に見えますか?」
「いないのですか?」
「この人はね、大の女嫌いなのですよ」
「そうなのですか?」
「これまで、一度も女性とお付き合いしたことがないんですから」
「おまえ、何を……!」
そんなつもりはなかったのに、思ったことが、そのまま口から出てしまう。
「えっ!? その顔で?」
その後、馬車の中には気まずい空気が流れた。




