スカルスゲルド商会
市場で、ラベンダー石鹸を作るための材料と道具を揃える。助かったのは、この世界に苛性ソーダが存在すること。
(作者様、ありがとう!)
前世の中学時代、私はクラスメイトに頼み込まれて、人数合わせのために科学部に入部していた。
実験で作ったものを貰えるのが嬉しくて、何だかんだ真面目に活動していたので、そこそこの知識はある。中でも石鹸はよく作っていたから、作り方は脳にインプットされている。
使うのは我が家の台所。ジェシカ達三姉妹に協力してもらい、試行錯誤の末、2ヶ月掛かりで、ラベンダーの香りが程よく香る、淡い紫色の石鹸が完成した。
「ヴィオレット様、この石鹸も市場で売るんですか?」
最初はそれも考えた。それだと、売上で材料を買い、石鹸を作り、またその売上で材料を買うという自転車操業になってしまう。
この石鹸は、王都や周辺の町や村にも流通させたい。その為には、すでに流通網を持っている商会の力が必要だ。
「この石鹸は、たくさんの人に使ってもらいたいの。だから、王都にある商会に売り込みに行くわ」
それから、王都にある全ての商会に手紙を書いた。会長に会いたいので、時間を作ってほしいと。返事が来たのは一通だけ。スカルスゲルド商会。食品から生活雑貨、装飾品や美術品まで、手広く商売をしている、今この国で最も勢いのある商会だ。
伯爵令嬢だった頃、ドレスはいつも、スカルスゲルド商会の仕立て屋を呼んで仕立てていた。自分で言うのもなんだけど、かなりの上客だったと思う。返事を貰えたのは、そのおかげだろう。
一通だけでも返事を貰えたのは、ありがたいことだ。だけどそれは、スカルスゲルド商会に断られたら、もう後がないということでもある。絶対に失敗できない。
「いざ、勝負よ!」
私は、王都に向かった。
スカルスゲルド商会本社。王都の一等地にある、ゴシック風の大きな建物。
豪華な装飾で飾られた応接室に案内されたものの、歓迎されている様子はない。さっきから1時間近く待たされているけれど、お茶のひとつも出てこない。
(もしかして、忍耐力を試されているのかしら?)
それから少しして、二人の男性が部屋に入ってきた。
最初に入ってきのは、栗色の髪に、ペリドット色の瞳をした男性。歳は20代半ばだろうか。
にこにこしているけれど、目は笑っていない。以前の私なら騙されていただろうけど、前世の記憶がある今ならわかる。これぞまさに、うさんくさい笑顔ってやつだ。
そしてもう一人。銀色の髪。美しいアメジストの切れ長の瞳。陶器のような肌に、彫刻のような顔立ち。前世の言葉でいうところの、超絶イケメンだ。
こちらは打って変わって、鉄壁の無表情を崩さない。瞬きをしなければ、作り物かと思うくらいだ。
(それにしても……。不機嫌そうなイケメンって、何でこんなに迫力があるわけ? 無駄に怖いのよ! ヴィオレット、怯んじゃダメよ!)
にこにこしている方が言った。
「お初にお目にかかります。こちらが、商会会長のテオ・スカルスゲルド。私は、補佐役のカルロ・ランカスターです」
「本日は、貴重なお時間を割いて頂き、ありがとうございます。ヴィオレット・グランベールと申します」
「グランベール家は、王都の屋敷を引き払い、田舎に引っ越したと聞いておりましたが……。それで、本日は何の御用でしょうか?」
「今日は、商談をしに参りました。スカルスゲルド商会の力を借りて、流通させたい品物があるのです」
「ほう。それで、その商品とは?」
「こちらです」
私は、持ってきたラベンダー石鹸20個を、テーブルに置いた。
「これは……石鹸ですか?」
「はい。これは、ラベンダー石鹸です」
「ラベンダー…ですか。ヴィオレット様は、こちらを、貴族相手に売るおつもりですか?」
「いいえ、この石鹸は、平民向けのものです」
作り物みたいに動かなかった会長の眉が、ぴくりと動いた。
この国で、石鹸は日用品として流通している。流行り病の予防の為に、石鹸を使うよう国も推奨している。けれど、平民の間に、石鹸を使うことは根付いていない。
この世界には、前世のような便利な家電はない。平民は、手にあかぎれや湿疹を作りながら、家事をこなし、仕事をしている。そのあかぎれだらけの手に、今流通している石鹸はしみる。だから、平民は石鹸を使いたがらない。体を洗うのも、平民は頻繁にお風呂に入れず、普段はお湯や水で体を拭くだけ。石鹸はほとんど消費されず、年に一度買い足せば間に合うくらいだ。
「ヴィオレット様はご存知ないでしょうが、貴族と違って、平民は石鹸など買わないのですよ」
「わかっています。けれど、このラベンダー石鹸は、今流通している石鹸とは違うのです」
「確かに、色目は今の石鹸より美しいですが」
「色だけではありません。ラベンダーには、抗菌作用、消毒作用があります。これは、湿疹や虫さされに効果を発揮します。それから、保湿作用。これは、皮膚の乾燥を和らげ、なめらかにします。そしてもう一つ。ラベンダーには、皮膚の新陳代謝を促し、新しい皮膚の再生を早めてくれる作用があるのです。これは、傷や火傷に効果を発揮します。この石鹸には、それらの効能があるラベンダーエキスが、たっぷり入っているのです」
「ラベンダーに様々な効能があるのはわかりました。しかし、この石鹸を使うことで、今仰ったような効果が現れるかどうか、確証はありませんよね?」
「仰る通りです。そこで、この石鹸をこちらに置いていきます。実際に使って、この石鹸の効果を確かめて頂きたいのです」
「……この石鹸の代金は払わないぞ」
会長が、初めて口を開いた。心臓に響くような低い声だ。つまり、いい声だということ。
「もちろんです。これは、サンプルですから」
「サン…プル?」
「それでは、良いお返事をお待ちしております」
スカルスゲルド商会から連絡があったのは、それから1ヶ月後のことだった。
前回と違うこと。まず、案内役が丁寧。そして、席に着くとすかさず紅茶が出てくる。しかも最高級の茶葉のものだ。
(これは、手応えありと思っていいのかしら?)
応接室に入ってきた補佐役のカルロは、頗る上機嫌だった。
「ヴィオレット様! 遠いところをわざわざありがとうございます」
相変わらず笑顔はうさんくさいけれど、声のトーンが1オクターブ高い。そして、会長はというと、相変わらずの無表情だ。
「ヴィオレット様! このラベンダー石鹸は、ヴィオレット様がおっしゃる通りの、素晴らしい品物でした」
カルロが合図をすると、ドアが開かれ、メイド服を着た女性と、騎士の制服を着た男性、それから、農夫らしき男性が入ってきた。
「まずはこちらのメイド。とあるお屋敷の洗濯室で働いています。その為、この者の手は常にあかぎれだらけでした。ところがです。ラベンダー石鹸を使って1ヶ月。あかぎれは、ここまで改善したのです」
メイドの手は、色素沈着はあるものの、新しいあかぎれや湿疹はなく、なめらかになっている。
ラベンダーの瘢痕作用であかぎれが治り、ラベンダーの保湿効果で肌が保湿され、あかぎれが出来にくい肌に改善されたのだ。
「そしてこちらの騎士。彼の背中は……。見るに堪えないほどブツブツだらけでした」
(ブツブツ……。あっ、あせもね。)
「しかし、ラベンダー石鹸を使ってたったの2週間で、彼の背中を覆っていたブツブツは、完全に消え去ったのです」
(ラベンダーの殺菌作用と抗炎症作用で、あせもが消えたのね)
「あの、見るに堪えないブツブツが……!」
(だから、あせもね)
「そして、こちらの男性。この者は、農作業中に、ブヨに刺されたのです。慌ててラベンダー石鹸で洗ったところ、赤みが引き、痛みが消えたのです!」
(そうそう、ラベンダーは虫刺されにも効果があるのよね)
「その上、この者の足には頑固なあれが……!」
「あれ…ですか?」
「はい。私の足には長年治らない水虫がありました。ところが、頂いた石鹸で毎日洗い続けたところ、水虫が改善されたのです」
(うんうん。ラベンダーには抗真菌作用もあるから、水虫にも効くのよ)
「この者達の他にも、ラベンダー石鹸を使った者は、皆何らかの効果を感じ、全員が、これからもラベンダー石鹸を使い続けたいという意見でした。ヴィオレット様、ラベンダー石鹸は本当に素晴らしい。これは必ず売れます。我々と一緒に、売って売って売りまくりましょう!」
「はい!」
「ただ…。契約の前に、条件を提示させて頂きたいのです」
「もちろんです」
会長が、低いいい声で言った。
「このラベンダー石鹸を、一ついくらで売ろうと考えている?」
「一つ、500ブロンズです」
前世のお金に換算すると、400円ほどだ。
「それなら……。我々と商店の取り分は、一つ300ブロンズだ。つまり、スカルスゲルド商会が、この石鹸を一つ200ブロンズで買い取り、350ブロンズで商店に卸す。商店が500ブロンズで売る。そっちの儲けは一つ200ブロンズ。その条件をのめるか?」
オリバー村のラベンダーは、リルの魔法のおかげで刈り取り放題。そして、どれだけ刈り取ってもただなのだ。数さえ売れれば、十分儲けが出る。
「はい。もちろん、それで構いません」
「では、契約成立だ。前金で5000シルバー払おう。その金で、量産体制に入れるよう準備をしてくれ」
「はい! ありがとうございます」
「ヴィオレット様、それでは、細かいところを諸々詰めて、契約書を交わしましょう」
それから、三人で話し合って取り決めを決め、契約書にサインを交わした。
(やったわ! オリバー村のラベンダー事業の始まりよ)