崖っぷち
そうはいっても、どうやって鍵を奪えばいいのだろう。
解決策が見つからないまま、朝になり、昼休憩の時間になってしまった。
その間も、鍵を奪う方法を考え続ける。
「難しい顔して、何を考えているのさ」
「リル? ドレーゼン子爵から、鍵を奪う方法を考えてるに決まってるじゃない」
「はっ?」
「えっ?」
立っていたのは、昨日の黒髪の踊り子だった。
「えっ? リルは!?」
「パンのお代わり貰いに行ってたよ〜」
厨房の裏口から、リルが出てくる。
(やってしまったわ! リルってば、いつの間にいなくなってたのよ!)
「……今のは、聞かなかったことにして下さい」
踊り子のイエローサファイアの瞳が、微かに揺れた。
「あんた達、いったい何者だい?」
「……詳しい身分は明かせません。私達は、苦しむドレーゼン子爵領の人々を救う為、ドレーゼン子爵が行っている横領の証拠を掴みに来たんです」
「ただ者じゃないとは思っていたけど、そんなだいそれた事をしようとしていたとはね。……わかった。協力するよ」
「えっ!? 本当にいいんですか?」
「ああ。あたしも、あの男は大嫌いさ。蛇みたいな狡猾な目をして、気味悪いったらないよ。大金をくれるというから留まってたけど、いいかげん嫌になっていたところさ。それで、あたしは何をすればいいんだい?」
「ドレーゼン子爵が身に着けているペンダント。あれが必要なんです」
「ああ、あれか。あの趣味の悪い蛇のやつ。あれは難しいね。前にあたしの仲間が面白がって触ろうとしたら、思いっきり手を引っ叩かれたからね。……そうだね。今夜宴がある。あいつは普段は潰れるほどは飲まない。だけど、今夜はあたしがあいつの気を引いてやる。その隙に、あいつにたらふく酒を飲ませるんだ。あいつを酔い潰れさせて、ペンダントを奪う。できるかい?」
「はい! ありがとうございます! あっ…」
「あたしは、サンドラだよ。よろしくね」
「はい、よろしくお願いします!」
「ます!」
その夜、宴が開かれた。
天まで届きそうな炎の周りを、踊り子達が、幻想的な音楽に合わせて妖艶に踊る。
それを、特等席で食い入るように見つめているドレーゼン子爵。その横に、私とリルは立っている。酒を注ぐ給仕係のメイドに交代を申し出ると、大喜びで交代してくれた。よほど嫌だったらしい。
村人も招待されていて、30人ほどの村人が、地べたに座り、配られた酒を飲み食事をしている。
それから、ドレーゼン子爵が個人的に雇っているという騎士が5人、こちらも酒を飲み雑談をしていた。
三杯飲んだところで、ドレーゼン子爵はもういいと言った。まだ全く酔っていない。
その時、音楽のリズムに合わせて腰を振りながら、サンドラがこちらに向かってくる。ドレーゼン子爵の前まで来ると、左手の人差し指でドレーゼン子爵の顎をくいと上げる。そして、一つターン。シャンシャンと音を鳴らしなから揺れるバングル。美しい黒髪が、ドレーゼン子爵の鼻の先ではためく。
(今だわ)
ぽーとなって惚けている子爵のグラスに、強い酒を注ぐ。
「どうぞ」
子爵は、流されるままにそれを口に運び、一気に飲み干した。
「ぐぅ…! 随分強い酒だな」
「申し訳ありません」
その後、酒が回り、頭が働かなくなったドレーゼン子爵は、私達に勧められるままに、グラスに注がれた酒を飲み続け、しまいにテーブルに突っ伏して眠ってしまった。
一人の騎士が子爵を運ぼうとする。手伝いますと言い、一緒に子爵の体を支える。この騎士の気を逸らせなければ、ペンダントを奪えない。サンドラが、また助け舟を出してくれる。
「騎士様、こっちで一緒に飲みましょうよ」
騎士がサンドラを見た瞬間、子爵の首からペンダントを奪い、エプロンのポケットにしまう。
それから、リルと二人で、執務室に向かった。
ドアの鍵はかかっていない。
(今頃、ドレーゼン子爵はベッドに運ばれて、夢の中ね)
子爵以外に、この部屋に来る者はいない。
(焦っちゃダメよ)
やはり、ペンダントの後ろが開くようになっていた。中から鍵が現れる。金庫の鍵穴に刺し、右に回す。ガチャリという音が響き、金庫の扉が開いた。
金庫の中には、数え切れないほどの金貨が入っていた。横領で手に入れた金貨だろう。その横に、一冊のノートが置かれていた。中を開く。元の税と、上げられた後の税との差額。つまり、子爵が懐に入れた額。それが、日付順、領地ごとに詳細に記載されていた。
(間違いない。裏帳簿だ)
「リル、見つけたわ! オリバー村に戻ろう!」
その時、物凄い音を立てて、ドアが開いた。
酔い潰れて寝ているはずのドレーゼン子爵が、そこに立っていた。
「お前たち!」
「どうしてよ! あんなに酔い潰れていたのに!」
「私はな、どんなに酔っ払おうが、寝る前に金庫の金を数えてからでないと、眠れないんだあ!」
5人の騎士が、雪崩のように部屋の中に押し寄せる。
「取り押さえろ!」
その時、リルがステッキをかざし、呪文を唱えた。リルの足元に、魔法陣が浮かび上がる。
「ヴィオレット! 来て!」
リルが手を伸ばす。
「なっ何だ、これは!」
「まさか……魔法!?」
リルの元へ走る。私の手がリルの手に届くまで、ほんの数センチだった。
騎士が私を押し倒し、私の体は、勢いよく床に転がった。
(せめてこの帳簿だけでも! リルと裏帳簿さえ村に戻れば、何とかなるわ)
「リル!」
リルに向けて裏帳簿を投げた。
「ヴィオレット!」
だけど……。
リルが騎士に腕を引っ張られて捕まるのと、魔法陣が消えるのは同時だった。裏帳簿だけを連れて、魔法陣は消えてしまった。
次の瞬間、意識が遠のく。
「リ…ル………」
目を開けると、暗闇だった。完全な暗闇ではない。微かな光。
(ああ、月明かりか……)
「リル!?」
飛び起きようとして、両手が後ろで縛られていることに気付く。
「ヴィオレット?」
すぐ近くで、リルの声がする。
段々と、目が慣れてくる。両手を後ろで縛られたリルが、すぐ側に転がっていた。
「リル! 大丈夫!?」
「うーん…。何とか」
リルがもぞもぞしながら、体を起こす。
(どれくらい意識を失っていたんだろう?)
宴に来ていた村人達の声が聞こえる。まだそんなに時間は経っていないらしい。
さっきまで宴をしていた場所にいるようだ。それにしても、やけに騒々しい。何かを地面に打ち付けている音が響く。
「目が覚めたか」
私を捕まえた騎士が、側に立っていた。見張り役なのだろう。
「……何を、しているんですか?」
「決まっているだろう。お前たちを火炙りにする準備だ」
「はぁ!?」
「魔女は火炙りと、昔から決まっているだろ」
(冗談じゃないわよ! 何なのこの人、騎士の風上にも置けないわね。ドレーゼン子爵に雇われるくらいだもの。ろくなもんじゃないわ。それより……。とにかく、私がメイドじゃなくて、前当主の娘だと知らせないと)
「リル、魔法を解いてちょうだい」
「むりぃ! 両手を縛られているから、ステッキが出せない!」
「ちょっとあなた!」
「何だよ!」
「この子の縄を解いて!」
「解いてと言われて解くやつがどこにいる!」
「この子はまだ子供なのよ」
「どこが子供だ! 18歳くらいだろ」
「それは魔法で…」
「魔法? やはりお前たちは魔女なんだな」
「だから、そうじゃなくて……。私…、私は、ヴィオレットよ! 前の当主であるグランベール家の娘、ヴィオレット・スカルスゲルドよ!」
「お前は馬鹿か! お前の顔のどこが貴族だ! この嘘つきめ」
「トイレ!」
リルが叫んだ。
「トイレ行きたい! 腕をほどいて!」
「その手に乗るか! 大人しくしていろ!」
「ほんとにトイレなの! 縄! ほどけ!」
「うるさい!」
騎士がリルを足蹴にし、リルが勢いよく地べたに転がった。
「リル! あんた! リルになんてことするのよ!」
「お前もだ!」
騎士に足蹴りにされ、私も地べたに転がる。
起き上がらなければと思うのに、体が動かない。
あの時、魔法陣と一緒に、裏帳簿も消えた。裏帳簿だけが村に戻り、みんな驚いただろう。今頃、マーレイ村に向かって来てくれているはずだ。だけど、オリバー村からマーレイ村まで、早馬でも2日かかる。絶対に間に合わない。
顔を上げると、満天の星が、うるさいくらいに瞬いていた。その中で、ひときわ輝く満月が、地べたに転がる私とリルを照らす。
(考えてみたら、私って本当は死んでるはずなのよね)
父が夜逃げをするぞと言ったあの夜、私は死ぬはずだった。
(強制力だっけ? やっぱり、死ぬ運命の登場人物は、死ぬ運命ってことなのかしら? どうせ死ぬことになるなら、火炙りより、盗賊に殺されたほうがマシだったかな)
リルを見る。もぞもぞと動きながら、また起き上がろうとしている。
(だけど、あの時死んでたら、リルに会えなかったな)
小リスみたいに可愛いリル。
(それに、村のみんなにも会えなかった。お父様とお兄様もやり直せなかった。ローゼマリーとも語り合えなかった。カトリーヌやアニエスとも再会できなかった。最初は胡散臭かったけど、実は良い人のカルロにも会えなかった。それから……、あの男)
銀色の髪、アメジストの瞳。いつだって無表情で、私を睨んでくるあの男。だけど、ずっと私の味方でいてくれた、無駄にイケメンのあの男。
(ああ、私、テオのこと好きだったんだなぁ)
会いたかった。叫び出したいくらい会いたかった。
(だけど、ダメ。どうしても、ダメ)
私は死ぬ運命なのかもしれない。だけど、リルは違う。こんなところで、こんな死に方をしていい子じゃない。小リスみたいに可愛いリル、私の愛しの魔女っ子。
(リルだけは、絶対に助けないと…!)
「大人しくしているようだな」
ドレーゼン子爵の声が聞こえる。地べたに寝転がっている私からは、ドレーゼン子爵と騎士達の足元が見える。
「準備が整った。移動させろ」
命令された騎士が、私とリルの体を起こす。
私は言った。
「私は、魔女です」
「何だ、懺悔でもする気か」
「私は魔女です。火炙りでも何でも構いません。だけど、この子は違います。魔女ではありません。魔女ではない者を火炙りにしていいのですか? あなたの名誉に傷がつくのではないですか? 今すぐに、この子を解放してください!」
「違う! ヴィオレットは魔女じゃない!」
リルが叫んだ。
「リル、黙って!」
「違うもん! 魔女はリルだもん! ヴィオレットは魔女じゃない! 火炙りはリルだけでいいの!」
「うるさい! お前が魔法を使ったのをこの目で見たぞ。そしてお前はこいつの仲間だ。二人とも魔女だ。魔女は火炙りで死ね! おい! こいつらを、さっさと柱に括り付けろ!」
騎士たちが、抵抗する私とリルを、無理やり立ち上がらせようとする。その時だった。
「その手を離せ!」
心臓に響く、いい声が聞こえた。
それは、私が一番聞きたかった声だった。