潜入捜査
作戦に必要なもの。それは情報だ。
テオとカルロが商会の力を使い、ドレーゼン子爵の情報を集めてくれる。
「ドレーゼン子爵は、今王都の屋敷にはいない」
「そうなのですか?」
「はい。商会の調査によると、マーレイ村にいるようです」
「マーレイ村?」
元は、グランベール家の領地だった村だ。
農作物がよく実り、人口はそれ程多くないが、豊かな村。
「マーレイ村は確かに良い所です。視察か何かでしょうか?」
「それが……。マーレイ村に視察に行った際、そこに滞在していた踊り子達に心を奪われて、その踊り子達を無理矢理引き止め、3日に一度は宴を開き、贅沢三昧をしているようで……。しばらくは、マーレイ村に留まるのではないかと、諜報員が言っておりました」
(本当に、ろくでもない奴なのね)
それから、スカルスゲルド商会と取り引きがあり、マーレイ村のドレーゼン子爵邸に出入りしている商人に、メイドの口を利いてもらう。
突然当主が長期間滞在することになり、人手が足りていないらしく、来られるならすぐに来てほしいと返事を貰い、私とリルは、マーレイ村に行くことになった。
「しまった!」
「どうしたの? リル」
「知ってる人がいる場所にしか、ワープできないんだった。呪文を唱える時に思い浮かべた人の所に、ワープする仕組みだから」
「それじゃあ、マーレイ村にワープできないじゃない!」
マーレイ村までは、馬車で片道4日、早馬でも2日はかかる。
「あっ! 去年まで配達の馬車の御者をしていたロビンが、マーレイ村にいますよ。ご両親の看病のために、故郷のマーレイ村に帰ったので」
「ロビン…ロビン」
「おでこの広いそばかすロビンよ!」
「あっ、思い出した!」
「それじゃあ、出発よ!」
そうして、私とリルはマーレイ村にワープした。
着いた先は、木造りの小さな家の裏庭。窓からロビンの姿が見えた。
「ロビン、久しぶり!」
「はっ?」
ロビンが、訝しそうに目を細める。
(あっ! 私達、ヴィオレットでもリルでもないんだった)
そそくさとその場を離れ、ドレーゼン子爵が滞在する屋敷に向かった。
「ねえ、リル、名前を決めておいた方がいいんじゃない?」
「うーん、リルはリルでいいけど、ヴィオレットは変えた方がいいかもね」
「そうよね。前の当主の娘の名前だと、気付く人がいるかもしれないものね。何がいいかしら? ヴィ…ヴィ…ヴィヴィアナ!」
「却下! お金持ちっぽい」
「ヴィ…ヴィ…ヴィクトリア!」
「もっと却下! もっとお金持ちっぽい」
「ヴィ…ヴィ……」
「ヴォリーは?」
「いいわね! ヴォリーにするわ!」
屋敷に着くと、メイド長の元に案内される。メイド長は、とても疲れた顔をしていた。
「本当に助かったわ。視察で一泊だけする予定だったのに、急に長期間この村に滞在することになって……。王都からは数人のメイドしか連れてきていなかったし、メイドを募ろうにも、税が上がったせいで、村から逃げていった人が大勢いるというし、本当に困っていたのよ。スカルスゲルド商会の紹介なら、身元も確かだしね」
「こちらこそ、雇って頂き、ありがとうございます」
「ます!」
「挨拶の所作が、随分きれいね。まるで貴族様よ」
「ははは」
「まあ、いいわ。それで、二人にやってもらう仕事だけれど……」
「私達、ものすごーく掃除が得意です」
「です!」
「それなら、掃除係をお願いしようかしら」
「ありがとうございます」
「ます!」
メイド長は、掃除の手順を説明しながら、私達に屋敷の中を案内してくれた。途中、明らかに他と違う、豪奢な細工が施されたドアを見つける。
(絶対にこの部屋だ)
「この部屋は、掃除しなくてもいいのですか?」
「この部屋はいいわ。当主様の執務室だから。細かい人でね。新人が掃除するのを嫌がるのよ」
「メイド長様、とっても疲れた顔をしてらっしゃいますよ。私達、本当に掃除が得意なんです。私達が掃除をしますから、メイド長様は休んでください」
「ください!」
「そう? 当主様も夕方まで帰ってこないし、お願いしようかしら。宜しく頼むわね」
メイド長を見送り、執務室に入る。鍵は常にかかっていないようだ。
裏帳簿の在り処を探すつもりだったけれど、探すまでもなかった。
「これって……」
「うん。絶対この中だね」
棚の上に、大切な物はみんなこの中に入っていますと言わんばかりの、頑丈そうな金庫が置いてあった。細かい細工が施され、金箔まで塗られている。
「これは、さすかに鍵がないと開けられないわね」
「リルの魔法も、金庫を開けるのは無理」
「とにかく、鍵を探しましょう」
掃除をしながら、部屋中の引き出しという引き出しを開けて、鍵を探す。壁掛けの後ろも、机や椅子の裏も、カーペットの下も探す。
「鍵、ないね」
「そうね、お父様が言っていたドレーゼン子爵の性格からすると、肌身離さず持っているんじゃないかしら? リル、少し様子を見ましょう」
その後全ての掃除を終えて、昼休憩を貰った。
厨房の裏口を出たところにあるベンチに腰掛けて、リルと一緒にパンとチーズを頬張る。
(もし、ドレーゼン子爵が、鍵を肌身離さず持っているとしたら、どうやって奪えばいいんだろう)
その時、聞こえてきた不思議な音の響きに、ふと我に返る。
数人の女性が、前の小道を歩いていた。露出した肌に、きらびやかな装飾のついた、オーガンジーの布を纏っている。
踊り子だ。バングルとアンクレットについた飾りが擦れ合い、シャンシャンという不思議な音を響かせている。
じっと見つめていると、一人の踊り子と目が合った。
ウエーブがかかった黒髪。情熱的なイエローサファイヤの瞳。
「あんた、何ジロジロ見てるのさ!」
「あっ、ごめんなさい」
「はっ?」
「えっ?」
「あんた、あたしと口なんか利いていいのかい?」
「えっ? どうしてですか?」
「あんたらはいつも、こんな格好して恥ずかしくないのかだの、あばずれの集まりだのって、陰口を言って、あたしらを無視するじゃないか」
「そうなんですか? とっても綺麗なのに」
「きれい…だって?」
「神秘的で、とっても素敵です」
「はははっ、そんなこと、初めて言われたよ」
そう言って、顔をくしゃくしゃにして笑う。
「あんた、変わってるね。名前は何ていうんだい?」
「ヴォリーです。この子はリル」
「気に入ったよ、ヴォリー。また話そう」
そう言って、踊り子は去っていった。
夕方、トレーゼン子爵が帰ってきた。メイド達は、玄関の前で一列になって出迎える。
油で塗り固められた黒い髪。蛇のような目つき。変なヒゲ。絵に描いたような悪人顔だ。
(私ってば、どうして、こんな男に領地を託してしまったんだろう)
後悔してもしきれない。だけど、落ち込んだり嘆いたりする無駄な時間なんてない。
その時、ドレーゼン子爵がつけているペンダントが目に入った。二匹の蛇が絡み合い、一つの卵を咥えている趣味の悪いペンダント。それを見た瞬間わかった。それが鍵だと。
時々、シャーリー宝石店にこんな注文があった。
大事な鍵を、自分以外の人間には鍵とわからず、常に身につけられるようにしたいと。
そんな注文が入った時は、鍵を専用のペンダントトップで覆い、チェーンを付けて、首から下げられるようにした。あのペンダントも、ペンダントトップの裏側が開くようになっていて、そこから鍵が出てくる仕組みになっているはずだ。
問題は、ドレーゼン子爵から、あの鍵を奪う方法。
(浴室係になれば、鍵を奪えるかも。さすがに、お風呂に入る時には外すわよね)
ドレーゼン子爵は、食事の後で入浴をするらしい。
メイドの待機室で夕食をとりながら、浴室係を代わってもらうタイミングを待つ。
前の席に座っている、若いメイドが言った。
「私、今日浴室係なのよ。誰か代わってくれないかしら」
これはチャンスと口を開こうとすると、別のメイドが言った。
「ほんと気味が悪いわよね。蛇みたいな目をしちゃってさ。お風呂に入る時ですら、あの変なペンダントを外さないんだから」
「そうそう。あの悪趣味なペンダントに少し触れただけで怒り出すんだから、嫌になっちゃう」
(これは、浴室係になっても、鍵を奪うことはできなそうね)
「あなた達、今日からでしょ? 何処から来たの?」
「私達は……。オリバー村です」
「です!」
「オリバー村って前の当主様のところでしょ。ラベンダー畑が出来て、凄く栄えてるって聞いてるわよ。何でまた、わざわざこんな村に来たわけ?」
「ちょっと、事情があって……。お二人は、この村に住んでいるんですか?」
「そうそう。生まれた時からこの村よ。それにしても、前の当主様の時は良かったわよね。税も高くなかったし、収めた税で、頑丈な橋を作ったり、堤防を作ったりしてくれたのよね」
「そうそう。あと、教会も修繕してくれたしね。今は最悪。稼いでもほとんど税金に消えていくし、ドレーゼンのやつは、村で流行り病が流行ったって何もしてくれない。行く宛がある人は、みんな出て行っちゃったんだ」
「お二人は出ていかないんですか?」
「両親が畑をやってるからね。畑を捨てて出ていくなんて出来ないって言うんだ。私は両親を置いていけなくて、この村にいるの」
「私は、妹が体が弱くて、長距離を移動できないんだ。それに、やっぱり生まれ育った村だからね。簡単に出ていけないよ」
「あ〜あ、せめて、税が下がればいいんだけどなぁ」
領地民が何の不安もなく暮らせるよう、その生活を守るのが当主の務め。それなのに、ドレーゼン子爵は、みんなをこんなにも苦しめている。
(あの蛇野郎。絶対に横領の証拠を掴んでやるわよ!)