思いもよらぬ出来事
次の日、朝から日帰りの観光客がやって来て、村は賑わい始める。昼過ぎには、ペンションとスパラベンダースの宿泊客もやって来て、ますます賑わうだろう。
テオとカルロはスパラベンダースに視察に行き、私は、ローゼマリーとジュリアンと、グランベール邸でお茶を飲んでいた。
ローゼマリーが言う。
「いつ発つんですか?」
「今日の昼過ぎには発つわ。王都まで、2日もかかるんだから」
それから、ローゼマリーが耳打ちする。
「上手くやってるみたいですね」
「そうかしら?」
言われてみれば、シャーリー宝石店のことで忙しかったことを除けば、日々は平穏だった。
スカルスゲルド邸は、静かで住み心地が良いし、テオと二人きりの朝食も、全く苦ではない。仕事の話が終われば、お互い無言になり沈黙が続くのに、それを負担に感じたことはなかった。
あんなに無表情で、すぐに私を睨んできて、何を考えているかわからない人なのに、つくづく不思議なものだ。
それに、結婚してから一度も思っていなかった。オリバー村が恋しいと。
(変ね。オリバー村のみんなが、こんなに大好きなのに)
少しして、父がやって来る。私とテオの結婚パーティーを無事に開けたので、頗る上機嫌だ。
スパラベンダースから帰って来たテオとカルロも加わって、みんなで昼食を摂る。
食事を終えた頃、憔悴した様子の、ジェシカとナタリーとマドレーヌがやって来た。
「三人とも、どうしたの?」
「実は……。私達、午前中に隣町に行ってきたんです。商店が大きくなって、村で何でも手に入るようになったので、暫く行ってなかったんですけど……」
「今日は三人とも遅番で、ヴィオレット様に、村にはない、何か珍しいお土産を渡したくて……。そしたら、あんなに賑わっていた市場が閑散としていて、露店も殆ど出ていなかったんです」
「それで、前に繕い物の仕事をくれていたおかみさんを訪ねたんです。そうしたら、今の当主様になってから、どんどん税金が上がっていって、今では、グランベール家が治めていた頃の、5倍の税金を払わされているそうなんです」
「なっなんだと!」
父が、困惑した声を上げる。
今の当主様とは、グランベール家が没落した際、オリバー村以外の全ての領地を引き受けて貰った、ドレーゼン子爵だ。
「それで、ほとんどの露店の店主が、町を出ていったそうで……」
「それだけではありません。道路も、橋も、公共の建物も、崩れたり壊れたりしたところが放置されていて、あんなに綺麗だった町が、見る影もなくなっていたんです」
「どういうことだ? 徴収した税は、その土地と民のために使われなくてはならない。そんなに高い税を徴収しておいて、一体何に使っているのだ」
テオが言った。
「グランベール家が領地を譲ったのは、ドレーゼン子爵だろ。ずる賢くて、金にがめついと評判の男だ。恐らく、表向きは元々の税金の額を徴収していることにして、税を上げた分の差額は、自分の懐に入れているのだろう」
「それって、横領じゃない!」
「あんなに評判の悪い男に領地をやるなんて、人選を間違えたな」
あの頃、グランベール家の借金返済の陣頭指揮を執っていたのは私だ。ドレーゼン子爵に、領地を譲ると決めたのも私。父は書類にサインをしていただけだ。
「私のせいです。ドレーゼン子爵に領地を譲ると決めたのは私です」
「いや、ヴィオレットのせいではない。グランベール家の当主は私だ。全ての責任は私にあるのだ」
ナタリーが、おずおずとした様子で言った。
「それが、隣町だけではないんです。ドレーゼン子爵が治める全ての領地が、同じような状態になっていると……」
「では、わしがドレーゼン子爵に譲った領地の民だけでなく、ドレーゼン子爵領の全ての民が苦しんでいるというのか!」
「当主様、みんなを助けてください!」
(マ…マドレーヌが、喋ったわ!)
人見知りでめったに口を利かないマドレーヌが、声を上げた。それだけ切実な思いなのだろう。
「そうは言ってもなぁ……」
父が口籠り、テオが口を開く。
「領主から領地を奪う方法は二つある。戦争を起こし、その戦争に勝つことだ」
「いかんいかん! 戦争などすれば、一番苦しむのは領地民なのだ」
「それなら、方法は一つしかない。ドレーゼン子爵を失脚させ、当主の立場から追いやることだ。ドレーゼン子爵には子供も近しい親族もいない。ドレーゼン子爵さえいなくなれば、領地は他の家門のものになるだろう」
「ドレーゼン子爵を失脚させるには、どうすれば……」
「税を横領している証拠を手に入れることだ。それを王に見せれば、ドレーゼン子爵から爵位を剥奪するだろう。まあ、証拠など残しているとは限らないが」
「いや……。数回しか会ったことはないが、あの男は、恐ろしく細かい男だった。金に関してのことなら、必ず細かく帳面をつけているはずだ。王家に提出しているものとは別の、表には出せない帳面が存在するはずだ」
「裏帳簿というやつだな」
「それじゃあ、その裏帳簿を手に入れられれば……」
「しかし、どうやって?」
「潜入捜査なんてどうですか?」
「潜入捜査?」
「例えば……。ドレーゼン子爵邸にメイドとして潜り込んで、裏帳簿を奪うんです」
「メイドとして潜り込むって、一体誰が?」
「もちろん、私です」
みんなが、私を見て一斉に沈黙した。
(えっ? 何で? いい案だと思ったのに)
テオが溜め息をついた。
「お前は気づいていないのか?」
「えっ?」
「お前のような顔のメイドなどいない」
「はっ?」
カルロが言う。
「ヴィオレット様のような美人は、そこいら辺にはいないという意味ですよ」
「カルロ!」
「確かに、ヴィオレットの顔では注目を集めてしまうかもしれん。下手をしたら、ドレーゼンのやつに気づかれるぞ」
「お父様まで…」
「それじゃあ、私が行きます!」
ジェシカが言う。
「ダメよ! 危険な目に遭うかもしれないのよ」
「ヴィオレット、お前は、自分も危険な目に遭うかもしれないとは思わないのか!?」
(そんなことはわかっている。だけど、私には責任があるのよ)
「お父様! そもそも、グランベール家が没落し、ドレーゼン子爵に領地を譲りさえしなければ、こんなことにはならなかったのです。私達には、苦しむ領地民を救う責任があるのではないのですか? 私達が救わないで、誰が救うというのです!」
その時だった。
「呼ばれなくてもジャジャジャジャーン!」
そんな声に振り返ると、小リスみたいな顔をした、私の愛しの魔女っ子が立っていた。
「リル! どうしたの!? 会いたかった!」
リルを抱きしめる。
「うん。リルも!」
「リル! いつの間に村に来ていたんだ」
「うーんとね、たった今。あれで来たの」
リルが指差す先を見る。床に円形の模様が浮かび上がっていた。
(あっ、これ、見たことある。前世で、アニメとか、漫画で見たやつだ)
「魔法陣!」
「そう! ヴィオレット、よく知ってるね。これは、ワープ専用魔法陣。今、師匠から特訓されてるんだ。それで、練習のついでに来てみたの」
「何これ?」
「魔法陣? ワープ?」
みんな戸惑った様子で、魔法陣を遠巻きに見ている。
「この上に立って、リルが呪文を唱えれば、好きな場所に瞬間移動できるんだよ。リルが呪文を唱えない限り発動しないから、近づいても大丈夫だよ」
その時、テオとカルロの存在を思い出す。
恐る恐る振り返ると、テオは溜め息交じりに言った。
「お前の交友関係は、随分広いんだな」
「それより、みんなして深刻な顔して、どうしたの?」
リルに事情を話す。
「ふーん?」
リルは、ほっぺたをぷくぷく膨らませながら何か考えている。それから、ローブの下から魔法のステッキを取り出すと、宙にかざした。
「それじゃあ、こんなのは?」
リルが呪文を唱えると、光の粒が私を包んだ。
次の瞬間。
「えっ!?」
「ヴィオレット様?」
みんなが困惑した声を出す。
「えっ? みんなどうしたの?」
「ヴィオレット、かっ鏡を見てみなさい」
鏡の中に、知らない女の子が映っていた。濃いブラウンの髪に、同じ色の瞳。一度見ても、何度か瞬きをしたら忘れてしまいそうな、特徴のない顔だ。
「変身魔法だよ。習ったばっかりだけど、結構得意なんだ。凄いでしょ!」
「凄いなんてものじゃないわ! これって、もしかして誰にでも変身出来るの?」
「ううん。この世に存在している人には変身出来ないよ」
「それじゃあ、私は今、この世に存在していない女の子ってことね」
「そういうこと」
「これなら、潜入捜査が出来るわね! ちょうど、潜入捜査向きの顔だもの」
「ヴィオレット! まさか一人で行く気か!」
「リルも行くよ!」
リルは、自分にステッキの先を向けて、呪文を唱えた。リルが光に包まれる。光の粒が消えると、知らない女の子が立っていた。
栗色の巻き毛。アッシュグレーの瞳。知らない女の子だけれど、ほっぺたのぷにぷにはそのままだ。
「どう? 18歳くらいに見える?」
「ええ、どう見たって18歳よ!」
「証拠を見つけたら、魔法陣でぱっと帰ってこよう。それならみんなも安心でしょ?」
その時、テオが声を上げた。
「俺も行く。剣の腕には自信がある。俺を連れていけば更に安全だ。俺にも魔法をかけろ!」
「それは無理」
リルが即答する。
「リル、どうして?」
「あの人、絶対に魔法がかからないタイプ」
「……ああ。そうなのね」
その時、何を思ったのか父まで声を上げる。
「わしが行こう。リル、わしに女の子になる魔法をかけなさい」
(何考えてるのよこのおじさんは! 絶対に足手まといでしょ!)
「いえ、お父様はこの村の当主です。こんな時こそここにいて下さい。それに、潜入捜査は、人数が多ければいいというわけではないのです。潜入は、私とリルの二人で行います」
「むむ……。わかった」
こうして、私達の、潜入捜査で裏帳簿を奪っちゃうぞ大作戦が始まった。