結婚してください
それから2週間後、父が王城に呼び出された。石鹸を平民の間に普及させ、流行り病の予防に貢献したとして、国王から褒美を賜ることになったのだ。
一人で行くのは嫌だと言う父に付いてきたものの、王に謁見できるのは父だけなので、王城の庭園で、待ち合わせしている兄のエドワードを待っていた。
「ヴィオレット!」
「お兄様!」
スカルスゲルド商会との打ち合わせで王都に来た時に、兄にはたまに会っていたので、感動の再会でも何でもない。その時、エドワードの隣に、身なりの良い男性が立っているのに気が付く。
金色の髪に、赤い瞳……。
(赤い……瞳!?)
「王子殿下。ご挨拶が遅れました。グランベール男爵家長女、ヴィオレット・グランベールと申します」
カーテシーをし、身を低くする。
この世界で、赤い瞳を持っているのは、王家の血を継いでいる者だけ。金色の髪に赤い瞳を持っているのは、この国の王子、イグナシオだ。王子は、その赤い瞳で、私の頭の先から爪先までをジロジロ眺めた。
「ふーん。顔はそこそこ美人だし、まあまあいい体をしているな」
(はあ!? 前世ならセクハラで訴えてやるわよ!)
「しかし、男爵令嬢か……。まあ、身分などどうとでもなるか」
わけのわからないことを言っている。
(ああ、猛烈に殴りたいわ)
「幾つになる?」
「17歳になります」
「ほぉ! それはいい」
(だから何がよ!)
「では私は行く。だいたいわかったからな」
そう言って、イグナシオ王子は去っていった。
「ちょっとお兄様! 何なんですかあいつは!」
「ヴィオレット! 声が大きい! 不敬罪で捕まるぞ。僕にもわけが分からない。ついさっきそこで会って、妹に会うと言ったら付いてきたんだ」
その時、父がやって来た。
「お父様、今王子殿下が来て、失礼なこと言われたんですよ」
「ああ……。そう…なのか」
父はそっと目を逸らす。
(この人、絶対に何かやらかしたわね)
「お父様、何かありましたね。白状してください」
「実は、王から、ヴィオレットをイグナシオ王子の結婚相手にどうかと打診されてな」
「私男爵令嬢ですよ。身分的にありえないでしょ」
「それがな……。石鹸事業を始めたのはお前だと、王に話してしまったのだ。そうしたら、それ程優秀な娘なら、未来の王妃に相応しいと言い出してな。王子の相手がなかなか決まらないのを、相当気に病んでいるようだった」
「それで、お父様は何と答えたのですか?」
「一度本人に聞いてみると」
(何てこと言ってくれちゃってんのよ!)
「それで、ヴィオレットが王城に来ていると伝えたら、その場にいたイグナシオ王子が飛び出していってな。まさか、お前に会いに来ていたとは」
それで全て繋がった。イグナシオ王子は、私が王城にいると知り、私の品定めに来たのだ。
「お父様のおたんこなす!」
その後2日間、オリバー村に着くまで、父と一言も口を利かなかった。
家に着くと、自分の部屋に駆け込み、ベッドに体を沈める。
(あんな男と結婚なんて冗談じゃないわよ。しかも王子だなんて。もし結婚したら、朝から晩まで王妃教育とかさせられちゃうのよ。ん……? 何か引っかかるわね。王妃教育? 未来の王妃はローゼマリーじゃない)
一度読んだだけの、『春風の恋人達』の内容を、必死に思い出す。
今から数年後、王が病に伏せると、ジュリアンがクーデターを起こす。そして、イグナシオ王子は、ジュリアンとその仲間達に断罪される。理由は、隣国と通じ、金を受け取るかわりに、この国の軍事機密を流していたから。その時、イグナシオ王子の関係者は、全員処刑されるのだ。
(妻なんて確実に処刑されるポジションじゃない!)
「ローゼマリー!」
「お姉様、どうしたんですか?」
ローゼマリーの部屋に突撃する。
「ローゼマリー、大変なことになったわ!」
事の次第を話すと、ローゼマリーは、大きな溜め息をついた。
「お姉様、詰みましたね」
「やっぱりそう思う?」
「はい。王が王子との結婚の打診をし、お父様が本人に聞いてみると言った。それを聞いた王子がお姉様に会いに行き、お姉様は王子に会った。お姉様には婚約者も恋人もいない。この状況で断りを入れたら、王子はこう思うでしょうね。自分の事が気に入らないから断わったのだと。『春風の恋人達』の中のあの男を、よく思い出してください。仕事も出来ず剣の腕も弱いくせに、プライドだけは富士山並み。きっと、もの凄く怒るでしょうね」
「私、何かされるかしら?」
「お姉様どころじゃありません。あの男に目をつけられたら、オリバー村なんて次の日には地図から消えますよ」
「そんなの、絶対にダメよ! ……こうなったら、結婚しちゃう? クーデターが起こる前に、離婚すればいいんじゃない?」
「お姉様、王族と結婚しておいて、簡単に離婚出来ると思いますか?」
「そうよ! 処刑するのはジュリアンと仲間なんだから、問題ないじゃない。いくらなんでも、恋人の姉を殺したりはしないでしょ」
「それは無理です。クーデターが起きた時点で、私は未来の王妃でも何でもない、ただのジュリアンの友達なんです。そんなポジションの私の身内だからと、国の機密を売った王子の妻を、助けると思いますか?」
「そんな……」
「お姉様、よく聞いてください。お姉様が助かる道は一つしかありません。今すぐ結婚相手を探してください。元々結婚の約束をした恋人がいて、近く結婚する予定だった。お父様にはまだ伝えられていなかった。だからお父様は知らなかった。そういうことにするんです。何で王子に婚約者がいないかわかりますか? 王子側が婚約を打診しようとすると、その相手がすぐに他の男性と婚約か結婚をするからです。いくら王妃の地位が魅力的でも、誰もあのクズと結婚したくないし、あのクズに娘をやりたくないんですよ。波風を立てずに断るには、この方法しかないんです」
「だけど、そんな相手いないわよ」
「だから、探すんですよ。だけど、ぽっと出の男じゃダメですよ。王子との結婚が嫌で、無理矢理相手を見つけてきたと思われたら、結局王子を怒らせてしまいますからね。お姉様と親交があって、独身で婚約者のいない男です」
「親交があるって、そんなの村の人くらいしか……。あっ! ケビンはどうかしら?」
「ケビンさんはジェシカさんのことが好きでしょ! それに、ただの村人じゃ王子は納得しませんよ。いないんですか? お姉様と親交があって、独身で、婚約者がいなくて、貴族じゃなくてもそれなりの地位の若い男!」
「………あっ! 一人いたわ」
それから数日後、銀色の髪、美しいアメジストの瞳の超絶イケメンに、私は言った。
「結婚してください!」
「はぁ!?」
そして1ヶ月後、私は、ヴィオレット・スカルスゲルドになった。