オリバー村のお客様
気まずい旅を覚悟していたけれど、会長とカルロはよほど疲れていたらしく、道中ずっと爆睡していた。カルロが数年間一日も休んでいないと言っていたのは、本当だったようだ。
いつも無表情の会長が、無防備に眠っている姿は、私を妙な気持ちにさせた。見てはいけないものを見てしまったような、後ろめたいような、そんな気分だ。
(それにしても、寝顔はけっこう可愛いのね)
2日後、オリバー村に到着した。
最初に向かったのは、石鹸工房。中に入ると、みんなが集まってくる。
「ヴィオレット様、お帰りなさい」
「長旅お疲れ様でした」
会長とカルロに気が付くと、みんな固まってしまう。
(会長は誰が見ても超絶イケメンだし、笑顔が胡散臭すぎて気付かなかったけど、カルロも実はイケメンなのよね)
「こちら、ラベンダー石鹸を売ってくれている、スカルスゲルド商会の会長と、補佐役のカルロさんです」
「素敵なご婦人方。素晴らしいラベンダー石鹸を、いつもありがとうございます。カルロ・ランカスターと申します。ところで皆さんは、ラベンダー石鹸を使っているから、そんなにお綺麗なのですか?」
黄色い声が上がり、会長が大きな溜め息をついた。
ぽーとなっているみんなを置いて、じゃがいも畑に向かう。思った通り、父と村長が作業をしていた。父と村長に、会長とカルロを紹介する。
「こんな遠い村まで、よくぞ来てくださいました。早速、今夜歓迎会を開きましょう」
村長は、よほど歓迎会が好きらしい。
それから、ラベンダー畑に向かう。ラベンダー畑までの道は、今はきちんと舗装されていて、お年寄りや子供連れが休めるように、ベンチが設置されている。
夕焼けに照らされたラベンダー畑は、昼間とは違う幻想的な姿で、私達の前に広がっていた。
「これが、オリバー村のラベンダー畑ですか。本当に美しい。ねえ、会長」
「ああ。きれいだな」
会長が素直なのに驚く。思えばこの人は、顔が無駄にイケメンなせいで、無表情には迫力があるし、目が合うだけで圧を感じてしまうし、何を考えているのかさっぱりわからないけれど、これまで一度だって、私のことを笑ったりしなかった。こんな小娘が商談だなんて、鼻で笑われてもおかしくなかったのに、ただの一度も、私を拒絶したり否定したりしなかった。ただじっと、私の話に耳を傾けてくれていたのだ。
(カルロは会長を女嫌いだなんて言ってだけど、それって嘘よね。何だかんだ、私とは普通に話しているもの)
夕方から、我が家の食堂で歓迎会が開かれた。
ジェシカに小声で話しかける。
「ジェシカ、ペンションの方は大丈夫?」
「今日は、ナタリーとマドレーヌが遅番なので、問題ないですよ」
「ところで、リルは? 姿が見えないけど」
「リルなら、ハンナさん一家と、隣町に来た移動遊園地に遊びに行きました。夜には帰ってきますよ」
リルがいなくて、ひとまずホッとする。
(この二人、やたらと勘が良さそうなのよね。リルに会ったら、魔法使いだって気づいてしまうかも。リルってば、小リスみたいに可愛い上に、魔法まで使えるんだもの。この二人が放っておくはずないわ)
「ジェシカ、ハンナさん達が帰ってきたら、リルは今夜はハンナさんの家に泊まるよう伝えてちょうだい」
「わかりました。あんなに可愛くて魔法が使えるリルが見つかったら、大変なことになりますもんね」
(さすがジェシカ。わかってるわね)
それから、コック自慢の、オリバー村の卵で作ったオムライスと、じゃがいも料理が運ばれてくる。それから、ラベンダー酒と、私用のラベンダー水。
「揚げポテトと、スティック揚げポテトではないですか! 私はこれが大好物なんですよ。ところで、こちらは何でしょう?」
「こちらは、サワークリームのディップ、チーズのディップ、そして、マヨネーズです」
「……ディップ? ですか」
「全てヴィオレット様が考案したものです。揚げポテトや揚げスティックポテトにつけて食べてみてください」
「これはまた……! なんてまろやかな舌触りでしょう。こちらは程よい酸味が絶妙です。ヴィオレット様、これは売れますよ! そうだな。瓶詰めにしてみたら……いや、それより……」
「カルロ、少し落ち着け」
「あっ、それは日持ちがしないので、売るのは難しいですよ」
「そうなのですか? それは残念です」
「ただ……。例えば、レシピ…いえ、作り方を売るという方法もありますね」
「作り方を、売るですか?」
「揚げポテトや揚げスティックポテトを売るお店に、ディップやマヨネーズの作り方を教える代わりに、売り上げの一部を貰うとか……」
「なるほど! さすがヴィオレット様。斬新な発想ですね」
その時、デザートが運ばれてくる。
「オリバー村産のりんごで作った、アップルパイです」
少し前に、家の裏庭にりんごの苗木を数本植えた。リルが魔法をかけてくれて、たくさんのりんごが成る大きな木になったのだ。
「ヴィオレット様、ここは本当に良い村ですね」
カルロが言う。
「ありがとうございます、カルロ様。ところで……。会長は甘いものがお好きなんですね」
アップルパイを、口いっぱい頬張る会長。
(イケメンとスイーツの組み合わせって、破壊力がすごすぎるわ)
真夜中。歓迎会はお開きになる。
会長とカルロには、二階の部屋に泊まってもらうことになった。
馬車の中でたくさん寝たので、全く眠くならない。会長とカルロが気持ちよさそうに寝ているのを見ていたら、私まで心地の良い眠りに落ちてしまったから。
夜風に当たるため裏庭に出ると、りんごの木の側に人影を認める。
「会長?」
会長が、月明かりの下、一人で立っていた。そして、私は衝撃の事実を知る。
(イケメンって、月の光に照らされると、ますますイケメンなのね)
会長の銀色の髪が、月の光を受けて、妖しく発光していた。美しいアメジストの瞳が、神秘的な光を放ち、こちらを見ている。
「眠れないのですか?」
「ああ。お前……、いや、ヴィオレット…様もか?」
「お前でも呼び捨てでも何でもいいですよ」
「……テオ」
「え?」
「俺もテオでいい」
「あっ。はい、では……、テオ様」
夜風が冷たくて心地良い。聞こえるのは虫の声だけ。それから、私の方に体を向けたテオは、こう言った。
「ヴィオレット、お前は何者だ?」
「……突然、何を仰っているんですか?」
「お前とうちの商会の、過去の取り引きを調べさせた。ドレスに靴に鞄に帽子。以前のお前は、そんなものに湯水のように金を使っていた。そんなお前と、今のお前の姿は、あまりにかけ離れている。お前は、本当にヴィオレット・グランベールなのか?」
私は、私にしか聞こえないくらいの、小さな溜め息をついた。
「テオ様ならご存知でしょう。グランベール家がどれ程の借金を抱えていたか。ある日、父が言ったんです。今夜、夜逃げするぞと。我が家に50億ゴールドの借金があることを、その時初めて知りました。あの時、私は目が覚めたんです」
(正確には、前世を思い出したんだけどね)
「グランベール家が、借金を踏み倒して夜逃げしたらどうなるか。苦しむ人がどれだけいるか。きっと一生後悔すると思いました。だから、自分にやれることを、精一杯、無我夢中でやっただけです。この村に来てからも同じです。村の人達は、突然やって来た私達を歓迎してくれて、何も心配いらないと言ってくれました。みんなの方こそ、日々を生きるのに精一杯だったはずなのに。それがどれ程嬉しくて心強かったか。その時思ったんです。この村のために、何かしたいと。この村を良くしたい。みんなが安心して暮らしていけるようにしたい。その為に、ただがむしゃらに頑張っただけです。以前の私、何も考えず、贅沢に暮らしていた私もヴィオレット・グランベールですが、今の私も、紛れもなくヴィオレット・グランベールです」
「……そうか。おかしな事を言って悪かったな」
空には、今にも降ってきそうな満天の星と、銀色に輝く上弦の月。
その美しい夜の中に、私達はいた。
それからしばらくの間、私達は、並んで空を見上げていた。
次の朝、テオとカルロは、ラベンダー石鹸の納品の為に王都へ向かうケビンと一緒に、馬車に乗って帰っていった。
「ヴィオレット、こわーい顔してるよ!」
それから数日が経ったある日、私の顔を覗き込んだリルが言った。
「リル、何でもないのよ。ごめんね」
そう言いながら、リルのふっくらほっぺたをムニムニする。リルは「やめてよ〜」なんて言いながら、私にされるがままになっている。それを見ながら、石鹸工房のみんなが微笑む。
リルは、今ではこの村のマスコットキャラクターだ。みんなリルが可愛くて、暇さえあればリルにちょっかいをかけている。この村に、魔女を悪くいう人など一人もいない。
リルの存在が、この村の踏み絵のようになっているのだ。魔女を悪く言うような人には、この村に住んでほしくないから。
鏡を見ながら、眉間に寄った皺を伸ばす。
ここ数日、あの日のことを何度も思い出していた。最後に見た、エリーザの絶望に満ちた顔。エリーザが不幸なのは、エリーザの自業自得だ。そんなことはわかっている。
(だけど、後味が悪すぎるのよね)
大きな溜め息が出てくる。
(うじうじしてるのは性に合わない。行ってやろうじゃないの!)
次の日、石鹸の納品を代わってもらい、王都へ向かった。スカルスゲルド商会に石鹸を納品した後、ある場所に向かう。
私が向かったのは、ローゼンクランツ伯爵邸。シャルルとエリーザが、結婚後も住んでいる屋敷だ。