第41話
ゾフィが見えなくなってから少しすると、直ぐにベースキャンプを出られた。
出入り口には守衛がいた。
彼らには「歩哨の交代だ」とそれっぽい事を言ったら通してくれた。
出る分には警備は緩いようだ。
そこからさらに30分程歩く。
次第にベースキャンプは木々で見えなくなる。
雑木林に入り、あたりはしんと静まり、日光が遮られ暗くなる。
昨日まで潜んでいたこの雑木林には、今日は遊撃隊は居ない。
皆、海岸近くのベースキャンプに移動しているからだ。
とりあえずここを抜け、俺達は町を目指すことにした。
何となく逃亡することに後ろ暗さを覚え、足取りは重かった。
リタは前だけを見てずんずん進むので、俺が少し遅れる形になる。
坂道だし、単純に俺の体力の無さのせいか。
ってか、逃げるって自分で言ったんだからもうちょっと気が晴れてほしい。
ずぶとい性格が欲しかったぜ。
「おい」
そんな時だった。
どこかから男の声がした。
「余だ。こっちだ」
「……皇子?」
「そうだ」
声の主は第八皇子ゴモラだった。
彼は右側の岩に腰かけて、海を眺めていた。
なぜここに。
彼は立ち上がると、大きな背嚢を背負ってこちらによってきた。
周囲に従者の姿は見当たらない。
一人なのだろう。
「なぜこんなところに?」
「それは余のセリフだ。
リタ・ベンドリガーも一緒に、なぜ雑木林に戻ってきた」
「それは……」
脱走です。
なんて言えない。
しどろもどろになっていると、皇子はニヤリと笑う。
「なるほど、余と同じか」
「?」
余と同じ、と言われて納得する。
彼は大きな荷物を背負っている。
これから戦闘を行うような恰好ではない。
であれば彼も俺達同様に脱走しようとしているのだろう。
戦いに、恐れをなしたか?
「……そのようですね」
「お互い、恥ずかしいところを見てしまったな」
皇子がリタをちらりと見て、苦々しそうな表情を作る。
敵に背を向ける情けない姿を、リタに見られたくなかったようだ。
惚れてる女だもんな。
ちなみに、皇子に出会ってしまったリタは少しずつ体を俺の後ろに移動させていた。
皇子が苦手だからだ。
かわいそうな皇子様。
でも、きつい言葉を投げかけていたので当たり前ともいえる。
「で、貴様らはどうして逃げようと考えた」
「……話が違うからですよ。俺は召喚獣ですが、リタとは条件付きで戦いの契約をしています。正面切って大軍を相手するような状況は条件に反したので」
「なるほど、貴様ほどの強さをもつ召喚獣ともなると、契約の際に条件を付けられるのだな。
召喚獣が戦わないのなら、召喚術者も用無しか。
む? 待てよ、という事は貴様ら遊撃隊は前線に移動か?」
「そうです」
「まさか……」
皇子は深刻そうに顎に手を当てた。
何か彼の予想外の状況であるらしい。
「余がこうしていなくなったというのに、遊撃隊は前線に送られたか。
……どうやら余の働きは遅すぎた、いや、それ以前に無駄だったらしい」
「というと?」
詳しい話を求めると、皇子は声を潜めて話してくれた。
一日目の夜、彼は就寝中に刺客による襲撃を受けた。
配下が見事それを返り討ちにしたらしい。
そのこと自体はよくある事だ。
問題だが、問題はないともいえる。
問題は、その刺客の正体にあった。
いつもなら反第八皇子派の暗殺者や、敵国のスパイが送り込まれる。
だが今日は、女神像下町防衛の任に当たっている正規騎士だったのだ。
彼らはこの町を昔から守る田舎の騎士だ。
戦争では味方で、政争では中立のはずだ。
何より彼らは卑怯な暗殺を嫌う。
暗殺か死を選ぶなら、死を選ぶ種族だ。
そんな町の正規騎士が刺客というのはどうもおかしい。
皇子を暗殺するには強力な理由が必要だ。
だが、その理由は分からない。
とにかく、敵がこの騎士団内部に居ることは確かだ。
そして昨夜の夜、遊撃隊を前線送りにする命令が出る、という話を聞いた。
今までは前線は危険であることを理由に参加を許されなかった。
前線で戦えるならば本望だが、なにかおかしい。
それに、前線で戦うのは現状危険だ。
前に敵を迎え、後ろを敵の可能性のある者に任せることになるからだ。
理由は分からないが、どうやら、皇子の敵はこの師団内の騎士連中の中に居り、戦闘中に皇子を殺そうと画策している可能性が大だ。
だから彼と配下は、この戦場を脱出することにした。
そうすれば自分は難を逃れ、皇子を殺すことができなくなった遊撃隊の前線送りは撤回されるだろう。
さらに、リタは危険にさらされないのだろう、と思ったのだ。
一石三鳥だ。
しかし、前線送りは撤回されなかった。
目的は皇子を殺すことではなかったのか?
おかしな話だ。
「そうですか……身内に、敵が」
「そうだ。
ちなみに、配下は今キャンプの余のテントの入り口を守っている。
余が居ると見せかけるためなのだが……心配だ」
この防衛作戦に従事している騎士達の中に、皇子を狙う何者か。
その彼らの真の狙いは、皇子の命ではないということか。
「皇子を殺さないのなら、誰を殺そうとしているのでしょうか」
「余には分からん」
「……あ」
「なんだ」
……もしかして、皇子を殺せば自動的に殺せる誰か?
皇子は遊撃隊が戦場から逃亡する大義名分だった。
彼が居なくなれば、遊撃隊は戦場を逃げることを許されない。
逃げれば脱走兵扱いだからだ。
それが嫌なら、この町を守り切るまで戦う必要がある。
傭兵や平民が逃げてもだ。
そして数的質的に劣勢とみられる現状、それは死を意味する。
要するに皇子が死ねば、遊撃隊にいるターゲットは死ぬ。
なお、必ずしも皇子は死ななくてもよい。
死なずに消えさえすれば、どっちにしろ遊撃隊は大義名分を失い、逃げられないのだから。
そうなったら、あとは前線にぶち込んで、どさくさに紛れて殺すか、敵に殺させればいい。
……あれ。
この仮説、正しいんじゃじゃないか?
……と、そこまでの考えは仮説だし置いておく。
ここまで話を聞いて気になる事があった。
「皇子様質問しても?」
「いいぞ」
「皇子様が死んでも良いとする伝言を、皇帝がわざわざ伝えると思いますか?」
「なっ! 父上がそんなこと言うはずがないだろう!」
皇子はまさしく激怒した。
顔を紅潮させ、「ふざけるな」と俺の胸元を掴んだ。
「父上は兄弟同士の殺し合いを嫌っておられる。
今回の戦争の武功も継承で考慮してくださると言ったのは前代未聞だが、政争が少しでも起きづらいよう配慮した結果でもあるのだ。
誰かが王になった時、他の兄弟がそれを支える未来を夢見てらっしゃる。
誰一人として、死なせないという志の持ち主なのだ。
なのに余が死んでもいい?
冗談も大概にしろよ!」
どうどう。
落ち着いてくれ皇子様。
俺は胸元を掴む皇子の手首を握り、引き離す。
すると落ち着いてくれたのか、舌打ちした後数歩下がった。
皇子の言い分は納得できる内容だった。
彼の言っていた皇帝の考え方が事実であるなら、皇帝が「第八皇子は死んでいい」なんて言うはずがない。
それに皇子は皇帝にとって息子だ。
死んでも良いなんて言うはずがない。
一応、質問の原因となった公爵の発言について伝える。
「そんなことを、公爵が?」
「はい」
「おかしい、公爵だって父上のお考えは分かるはず。
そんな伝令が来れば、本当に皇帝のものか真偽をあらためるはず……」
「そうなんですか?」
であれば、エロニエル公爵の先程の発言はおかしい。
エロニエル公爵は何かを勘違いしているか、意図的にああいったのだろうか。
意図的に言ったのであれば、矛盾した行動だ。
かなり怪しい。
彼は皇子の殺害ないし排除に関わっている可能性があるだろう。
……確かめた方が良いかもしれない。
理由は、ある。
なにせ、遊撃隊の中の誰かがターゲットというなら、リタは有力候補になるからだ。
彼女は二度にわたるプロの殺人集団の襲撃を受けている。
襲撃と、今回の出来事は関連があるように思えてならない。
「リタ……」
「なんだ」
「やっぱり逃げられないかもしれない」
「どういうことだ」
俺は突如、短剣を抜き放った。