第3話
騎士見習いの木造兵舎。
一人が暮らす分にはちょうどいい程度の部屋。
その部屋では、すべての家具が脇に避けられていた。
俯瞰すれば、中央の大きく複雑な魔方陣を描くためだったのだろうと分かる。
そしてその魔法陣は今光を失い、
その中央にはリタが立っていた。
美しく、可憐な少女。
しかし彼女と部屋の組み合わせはアンバランスな印象を与えるだろう。
部屋にはありとあらゆる魔導書や、怪しげな道具が置かれているのだから。
「ふう、危なかった。危うくニートの亡霊を召喚してしまうところだったな」
リタは額の汗をぬぐう。
危機を間一髪脱したという様子だ。
「誰がニートだ」
「何っ!」
……突然、どこかから先程の男の声。
声の主の姿を探すが、どこにもいない。
この部屋に隠れられるスペースは無いはずだ。
「お前の頭に直接話しかけているんだ」
「あ、あたまにっ!?」
「イエス」
混乱した。
耳をふさぐが男の声は聞こえた。
確かに、頭に直接話しかけているようだ。
「危なかったぜ。お前が逃げ出すから、置いて行かれるところだった」
「お、お前! 何故こちらの世界で声が聞こえる! 向こうに置いてきたはずだ!」
取り乱し、腰に下げていた短剣を抜く。
シャランと子気味良い音が鳴る。
やはり剣をふるうべき相手は見えないが。
「俺は邪神だぞ? 元の世界に戻ろうとするお前の体に宿ってやるくらい容易いわ!」
「わたしの体に宿っただと? 私の体は未だ自由だ! 嘘をつくな!」
「正確には右腕に宿ったんだ。右手の甲を見てみろよ」
「右手の……なっ!」
見るとそこには怪しげな紋章が浮かんでいるではないか。
獣の頭蓋骨を模したような、禍々しい紋章。
見るものが見れば、邪神のシンボルであることに気づいただろう。
そして、彼女はそのシンボルを知っていた。
「これは、まさしく神話に出る邪神紋章! まさか貴様は本当に邪神だったのか!」
「だから言ってるじゃん」
人は見かけによらない。
神ならば尚更なのだろうか。
なるほど先程の男は、見た目に反して邪神だったのかもしれない。
いや、邪神の紋章を利用したただの悪魔である可能性も捨てきれない。
リタは警戒する。
「……邪神が召喚できたならば、なぜわたしは死んでいない!」
「多分本来なら体全部乗っ取って受肉するんだろうが、逃げるから右手しか乗っ取れなかったんだ。
よかったな生贄にならなくて」
答える男の声は苛ついていたが、かすかに疲労が滲んでいるように感じた。
男が言うことの真偽は不明だ。
……だがまあ、成功すると思っていなかった召喚術。
成功したこと自体は間違いないのだ。
「ふむう」
家族からも変わり者と言われながら、たった一人で召喚術に取り組んできた。
今までの時間は無駄ではなかったのだと思うと、得も言われぬ高揚感を感じた。
黙っていると、男が「げっ」と漏らした。
「……この部屋、マニアックな物ばかりだな。集めるのは大変だったろ」
「む? お前見る目があるな。そうだろう、そうだろう」
リタは部屋を眺める。
邪神が駆使していたと呼ばれる魔道具レプリカ。
邪神が描かれた石板。
邪神フィギュア。
壁一面に置かれている書籍もまたヲタクだ。
「邪神遺産を巡る」「邪神召喚論」「ハーフェン我流:邪神発祥説」「捨てられ男爵夫人は邪神のお気に入り」「乙女小説の破滅フラグしかない邪神令嬢に転生してしまった」
実用書から軽小説まで、置いている様々な書物やインテリアは全て邪神に関わるものだ。
見習い騎士となり、プライベートルームができてからというもの、
かねてから少しずつ集めてきた宝である。
「騎士のくせに魔術なんて」
この趣味を知った人は、大体そう言って馬鹿にするか、嫌悪した。
褒められたのは初めてだった。
「じゃ、邪神が好きなのだ!」
「……趣味悪う」
「うるさい!」
「そうか。……なら喜べよ! 本物の邪神様だぞう!」
「お前は本物じゃない! 本物はこれだ!」
リタはビッとフィギュアを指さす。
ドラゴンと悪魔と人間のキメラみたいな禍々しい容姿のモンスター。
「モノホンの邪神にこんなんはいねえ!」
「う、嘘だろ!」
「マジ」
「う、嘘だ……」
ずっと夢見て、いつか召喚したいと思っていた邪神はこれだ。
嘘だ。
この男はうそをついている!
「貴様の言うことは信じられん!……というか、姿は現せないのか! 体の中に入っていると思うと気味が悪い!」
「あ、そうね。できるかな……」
途端に、リタの手の甲の紋章が赤黒く怪しく光り出した。
禍々しく、薄気味悪さを感じる。
紋章は光量を増し、部屋が文字通り真っ赤に染まった。
「お、おお」
そして光は一点に集い、人の形を成した。
そこに、いたのは。
「おお。できた……この何でもありな感じ。俺、本当にこっちに召喚されちまったんだな」
やはりあの冴えない男であった。
期待していたような竜の尾も、悪魔の角も何もない。
ただの、男。
リタはがっくりと肩を落とした。
「失礼なやつだな……」
「思ったのと違いすぎる……」
「……まあいい。その内俺の凄さを見せてやんよ」
こんな男にそんなこと言われても今一信じられない。
リタはじと目で男を見た。
「そんな事よりも、聞いておかないといけない事がある」
男は「大事なことだ」と言い添えた。
「お前みたいなやつが。なんで、俺を召喚したんだ。というか、できたんだ。
召喚術は俺達邪神でも難しい。
ほんとに一人でやったのか?」
「へ? 一人でもやればできたぞ」
召喚術は趣味だ。
趣味で買った魔力ペンキを用いて、趣味で召喚用の魔法陣を製作して、趣味で使用した。
そしたら何か出た。
男は目を剥いた。
「まじかよ。……うおお、これが天才ってやつか。たまに現れるんだよなあ」
「て、天才?」
「じゃあ、王様がバックに居て、国を滅ぼしてほしいとか。誰か殺してほしいとか、そういうのは本当に無いんだな?」
「そ、そんな物騒な願いは無いと言ったろう!
というか、召喚すること自体が目的だったんだ。
呼び出しておいて何だが、やって欲しいことは何もない!」
そう捲し立てると、男は肩の力が抜けたようだった。
「そうか」
男は手近な箱を見つけると、どっかりと座った。
「でもな……」と続ける。
「大した目的も無く呼び出しちゃダメだろ
俺、帰れないし
どうすればいいの?」
そう言われて初めて気付いた。
自分は何の目的も無いのに彼を呼び出してしまった。
「う……。まさか召喚できるって思わなくて」
だから、呼び出される者が、どんな代物で、何を思うかなんて考えもしなかった。
なのに、異世界召喚を、私はただの自己満足で行ってしまった。
よく考えれば、とんでもない事を彼にしてしまった。
「元に戻す方法も……考える」
リタは俯き、覗くように男を見た。
すると、男は呆れながらも笑った。
「ま、いいよ。元はこっちの世界の住人だからな。
ホームタウンに返ってこれたわけだ
改めて自己紹介をしておこうか。さっきは真名を名乗ったが、こっちの世界でわざわざヴォルナークなんて仰々しい名前恥ずかしいしな」
男は右手を差し出すと、「アズマと呼んでくれ」と言った。
リタは力なくその右手を握った。
「り、リタだ」
「よろしくな!」
「えぇ」
「嫌がるなよ」
こうして、リタ・ベンドリガーは右手に宿した邪神(?)と共に、しばしの間生活することとなった。