第九十三話 リンと包囲戦
私、リン・フォレクロードは戦場にいる。
月の光と松明だけが照らす、『テーム』の街の城壁の上。
そこで、預けられた10名の兵士を従えながら、迫りくるモンスターと戦っているのだ。
街を守る砦、城壁。その上は、動き回る兵士たちで非常に混乱している。
皆が休んでいる夜中に急なモンスターの襲撃。大慌てで集まったものの、みんな状況を把握しきってはいないのだ。
私の周りでも兵士たちが必死に城壁上を駆けまわり、配置についているが……。
「おい、俺の隊はどこに行けばいい?」
「お前のとこは西門だ! 俺たちは北門を守る」
「西門だな! わかった、頑張れよ!」
「おう、お前もな……って、ちょっと待て、そっちは東だ! 西門は逆だ!」
思わず肩をすくめたくなる。こんな連中で戦いになるのか?
振り返って、私の後ろにいる兵隊たちを見る。私に預けられた10名の冒険者だ。
そうだな、冒険者しては二流と言ったところか? 薄汚れた革の鎧を身にまとった、あまり強くなさそうな連中だ。
冒険者らしいというべきか、あるいは軍人らしくないというべきか。
彼らには本来、軍事組織にあるべき規範はない。
いずれも「よっし、やるかぁ。嬢ちゃん一緒に頑張ろうな」やら「おう、嬢ちゃん、俺たちはどこに行くんだ?」やら……。
こいつら、分かっているのだろうか? 私はこれでも上官だぞ? 女王陛下から軍士官としての立場を与えられた存在だぞ? まったく、腹立たしい。
まあいい。あまり不満を持っても仕方がない。
こちらの兵力は徴兵された冒険者約1000名に、テームの街の勇敢なる市民が加わり、2000程度。
一方のモンスターは、見えているだけでも1000はいるだろう。今のところは、数ではこちらが勝っていそうだが、全く油断はできない。
こちらは、戦闘経験こそ多いが、見ての通り軍人としての訓練を受けていない冒険者に、戦い方すら知らない一般市民。
迫りくるモンスターは、オーガなどかなり強力なものも多い。
防衛戦と言う点を加味しても、戦力的には互角と言ったところだろう。
城壁の上からの射撃戦だからこそ、互角に戦えるが肉弾戦になれば劣勢は否めない。いかに、モンスターどもを城壁に登らせないかと言うのが戦いの焦点になるだろう。
「……おい、そこのお前、戦況はどうなっている? まだ城門は無事か?」
「ん、何だ生意気な……って、ああ、貴族の嬢ちゃんか? 東西南北、全ての城門が無事だ。もっとも、化け物どもに封鎖されて出入りは無理らしいがな」
通りかかかった別の隊の口臭いのきつい冒険者に声をかけ、状況を聞く。
……まだ、城門は無事か。なら戦えるな。
モンスターどもに、道具を作るという知能はない。故に、梯子や攻城塔は持たない。城門さえ無事であれば、城壁を破壊するか、仲間を足場にして次々によじ登ってくるほかない。
そこがチャンスだ。無防備に壁を登ってくるところを射撃すれば、容易に撃破できる。
周りを見渡せば、すでに友軍の兵士たちが城壁の上から、弓矢や魔法を次々に放たち、城壁を登ろうとしているモンスターを削っている。
……見ているだけでは駄目だ。私も戦わなくては。
城壁から身を乗り出し、下を見る。
仲間を踏み台にしながら壁を登ってきているゴブリンと目が合った。奴は、卑しく笑うと、手を伸ばし私のいる場所まで進もうとした。
かなり近い。
あと1メートルも登れば私たちのいる場所まで到達するだろう。
やらせはしない。
杖を構えると手早く呪文を唱え、風刃魔法をお見舞いする。
得意魔法である風の刃はゴブリンの胸を一撃で切り裂き、力尽きたゴブリンは地面に向かって真っ逆さまに落ちていく。
「よ、よし防げているぞ。おい、何をしている兵士ども! 前進しろ、城壁の上から魔法や矢をお見舞いするんだ!」
「へいよ、貴族の嬢ちゃん……しっかし、良い尻だぜ、惚れ惚れする」
「俺の女房のたれ尻とは違うぜ、しゃぶりつきたいもんだな」
……っ!
この馬鹿者め、規律がないだけだと思えば、戦闘中だというのに一体どこを……。
後ろを見れば、にやつきながら弓の準備をする私の兵士がいた。なんて下品で質の低い兵士だ。こんな兵士がいることをエリュテイア閣下が知れば悲しむだろう。
入学式のパレードで見た大和兵の異様な練度を見れば、彼女が兵士に求める水準の高さは一目瞭然だからな。
一糸乱れぬ行進、何時間も整列し身じろぎもしない精神。いずれも兵士として一級品だ。
あれほどの兵士と比べれば、我が軍の兵士の練度の何と低い事か。
……だが、怒るわけにもいかない。これも仕方がないことなのだから。
本当に苦労が多い。
失敗したと後悔している。
私はちょっとした下心で従軍を志願した。……いや、志願してしまった。
エリュテイア閣下は軍隊とか好きそうだし、ここで従軍志願すれば好感度も上がるだろう。もしエリュテイア閣下の私に対する好感度が上がれば、あんなことやこんなことも……なんて。
馬鹿げた話だ。
だが、こんなことになるとは思わなかったことも事実。
森の中に何がいようが、こっちは1000の大軍。どうにかなると思っていた。
だが、どうだ?
「おい、貴族の嬢ちゃん! オーガだ! オーガが10匹も団子になって突っ込んでくる!」
「な、なに? それは本当か? こっちに来ているのか?」
「いや、こっちじゃない。だが、すぐそこの北門の方だ。援護しないとまずいぜ」
部下からの報告に、一瞬心臓が弾けんばかりに驚き。次の瞬間には僅かな安堵を得る。
オーガ。
それは身長2メートルを軽く超える筋肉モリモリマッチョマンの人型モンスターで、人間とは隔絶した戦闘能力を持つ化け物だ。
魔法を放ったり、炎を吐いたりはしないもの、その身体能力だけで中級冒険者ぐらいならダース単位で薙ぎ払うことができる。
モンスターとしては、中級、いや上級に分類されるだろう。
私は腕に自信があるが一体一ならまだしも、10匹も突っ込んでこられば、おしまいだ。
この程度……5メートルほどの城壁なら、その優れた身体能力で一瞬で突破し、殴り掛かってくるだろう。
こっちに来なかったことに安心しつつ、そのオーガが迫っているらしい城門の方を見る。
街を包囲しているオークなどの下級モンスターを弾き飛ばしながら、棍棒を振り上げ真っ直ぐに突進するオーガ。
その侵攻を防ごうと城壁の上からは次々に魔法や弓が放たれるが、分厚い筋肉に阻まれあまり効果はない。
あっという間に城門に取り付かれるが……腕のいい冒険者パーティーが近くの城壁から飛び降り、颯爽と斬りかかって互角の戦いを繰り広げる。
「大和製の銃か大砲があればやれるが、ありゃキツイな。あのパーティーも長くは持たないぜ?」
「確かにな、この街にはないのか?」
「あんな高価なもの、こんな辺鄙な街にあるわけないだろ?」
などと部下は言っているが……確かにそうだ。
メイドイン大和の武器があれば、まだ戦える。火砲があれば、一般兵でも強力なモンスターに一撃加えることができるというのに……。
「嬢ちゃん! 城門ばっかり見てる場合じゃねえぜ、ほら、オークの群れが登ってくるぞ」
「……っ!」
私たちの担当エリアにも、再びモンスターの群れが迫ってきているようだ。なんとかして守り抜かないと……。
……ん?
「おい、お前」
「どうした、嬢ちゃん? 今は戦闘中だぜ、ベッドのお誘いならまた後にしてくれ」
「は? ベッド? どういう意味だ? そんなことより、森を見ろ」
「森? ああ、なんか光ってるな」
そうだ、森の中で何かが光っている。光からして何らかの魔力であるようだが……分からない。
暫し、無言でその光を見つめる。
数秒後……その光が一瞬だけ一層強く輝いた。そして……。
「……おい、そこの兵隊。なんか近づいて……」
「ヤバいぞ、嬢ちゃん、ありゃ魔力弾だ! すげえ威力の!」
ま、魔力弾? 魔力の塊をそのまま撃ち出し、敵を攻撃するアレか? つまり、森の中からモンスターに援護射撃でも飛んできたのか?
その光弾はまっすぐ私の方に向かってきて……ま、まずいっ……! 躱せな……。
思わず目を瞑って硬直してしまう。
もうだめだ。そう思った次の瞬間、私の体は何者かに押し倒され……爆発。
魔力弾が至近に弾着し、炸裂したようだが痛みはない。どうやら私は無事なようだ。
「やれやれ、危なっかしいですね。これだから、素人は」
恐る恐る目を開けると、金髪の男がいた。細身だが背は高く、指は長い。黒衣の軍装は、大和帝国のエリュテイア総統が私服代わりに身に纏っているものに似ている。
ナチ? とかいう連中の軍服がモデルらしい、あの服だ。
腰には細い剣、レイピアの一種だろうか?
男は、私の手を掴むとサッと起こし、そのまま、振り返ると魔力弾のどさくさに紛れて城壁に上ってきていたオークに剣を一閃。
一瞬で切り倒した。凄い剣術だ……。
「あ、あなたは……」
そう名前を聞くと、男は答えた。――ラインハルト・ハイドリヒ、と。
「この辺にエルフが、侵入してきているという噂を聞きましてね。調査のためにこの街に来たのですが、まさかこんなことになってしまうとは」
せめて部下を何人か連れてくるべきでしたね。
そう言って、ラインハルトは、やれやれと言った風に首を振る。
……何だこの人、ちょっとカッコいいかも……いや、しかし、私にはエリュテイア総統がだな。