第八十三話 氷結艦VS空母艦隊 前編
東方大陸の南沖、約100km。
雲一つない南の青空の下、海の上をノロノロと進む氷の塊があった。
そう、ダークエルフの希望、氷結艦『セルシウス』だ。
この船の航海は順調ではなかった。
船全体を凍りつかせ、氷山のようにしてしまう巨大な魔力回路。
通常の戦闘用帆船なら砲列甲板に当たる場所を丸々占める広大な魔力回路室。部屋、一杯に描かれた魔法陣を中心に構築されたそのシステムは、ダークエルフの魔法技術の粋を集めて作られた代物だ。
技術的限界ギリギリの規模、試作品と言ってもいい存在。それゆえに、安定性などないに等しい。
初めて使う人間燃料『マナ』も、扱いにくい。
ダークエルフが扱ったことも無いような大魔法出力を発揮しているため、熟練の魔導師が集まっても、なんとか制御するだけで精いっぱいなのだ。
暴走寸前と言えるほどの大量の魔力がいつ自爆するかと怯えながら整備するものの……船内は氷に囲まれ寒い。
この氷結艦、凍らせることで手一杯で、暖房設備に魔力を回せるほどの余裕はどこにもないのだ。
やはり、この辺りが急造兵器らしいところだろう。
かじかむ手を必死に温めつつ、船員たちはなんとか氷の塊と化した船を進ませるが……速度も出ない。
いまのセルシウスは、完全に氷に覆われ氷山からマストが生えただけのようなものだ。
こんなものが素早く動けるはずがない。
だが、それでも彼らは希望を胸に南の海を進む。ひたすらに南下した後は、進路を東に。
アルバトロス連合王国のその向こう。遥か大洋の彼方に、自分たちを助けてくれる存在を探しに行くのだ。
が、しかし……彼は運にも恵まれていなかった。
「ふぅ……船内と違ってここはあったけえなぁ」
「ああ、暑いくらいだ」
「船内の連中が可哀想だよ、凍り付いて死んじまう……って、何か聞こえないか?」
「ん? ああ、確かに聞こえるな。ぶーんって、何の音だ?」
氷に閉ざされた船内と違い、暖かな太陽に照らされるマスト見張り台。
そこで、周囲の索敵を行っていた見張り員が、後方――西の空から、響くなにか妙な音を聞く。
低い獣の唸り声か、あるいは遠くで鳴り響く雷か? 音の響く方向を見つめる彼の目に、一粒の黒点が映る。
そうそれは……。
「なんだ、ありゃ? 氷山か?」
「こんな南の海にか? ありえん、接近して確認するぞ」
空母『鳳翔』から、偵察のために発艦した一機の艦上攻撃機『海山』だ。
彼らの任務は海賊狩り。
東方大陸の南、この辺りの海域はダークエルフの海賊がちょくちょく現れる絶好の狩場。
何か、標的になりそうな船はないかと、しらみつぶしに索敵していたら偶然『セルシウス』を発見してしまったというわけだ。
操縦手と偵察員は、南の海に浮かぶ『氷の塊』という妙な物体に困惑しながらも索敵のために接近。
それが何か見定めようとした。
「……マストがある、船か?」
「見張り台に誰かいるな? 人間か? エルフか?」
「この距離だと流石にわからんな」
機体を傾け、セルシウスの上をくるくる旋回しながら、観察を続けるが……。
空の上からでは、詳細まではわからない。それに、まさか、ダークエルフがこんな訳の分からない珍兵器を作っているとは思うまい。
マストがあることから、おそらく船の一種なのだろうということは分かる。
が、この氷の塊が何の役割を持つ船なのか、それすら分からずお手上げ。
外洋航行能力を得るために船を凍らせるなど、まともな人間なら想像もできないだろう。
後部の偵察員は、おもむろに偵察用の大型カメラを取り出しパシャリ。
「写真は撮ったな? 一度帰還しよう。上官に報告だ」
「艦長もこんなものを見れば、たまげますよ」
「違いない」
海山はUターンすると、進路を母艦である『鳳翔』に向ける。あとは、上官に任せてしまうというわけだ。
「謎の飛行物体、おそらく人間、それも大和帝国の物だろう。警戒しろ、攻撃が来るぞ!」
一方、その『海山』に発見された『セルシウス』の方にも緊張が走る。あの飛行物体が何であるか、どういう原理で飛んでいるのかわからない。
だが、艦長は即座に直感で悟る。
あんなものを作れる国は一つしかない――大和帝国だ。
その大和帝国製の飛行物体が、艦の上空を旋回したということは……こちらが、何らかの人工物であることは理解しているのだろう。
もう逃れることはできない。彼らの追撃を受けることになる。
セルシウス艦長は覚悟を決め、部下も一斉に戦闘配置につく。自分たちはダークエルフの希望、生き残る必要があるのだ。
……まあ、もっとも。
このセルシウス。その能力を完全に航行に割り振っていて戦闘能力はないに等しい。
この船がどこまで抵抗できるかは……戦う前から結果は見えていた。
さて、この時点で現海域の状況を整理しよう。
時刻は太陽昇る昼間、視界は良好。
目下にいるのは氷結艦『セルシウス』。カメが進むほどの低速で、東に向かって逃走中。
ダークエルフ希望の箱舟だが、大和帝国はその存在が一体何なのかわかっていない。
マストがあることからおそらく人工物であると推測しているが……やはり、変な氷の塊にしか見えない。
その変な氷の塊に対抗する大和帝国の艦隊は、その後方。西に100kmほど離れた海域に展開、セルシウスを追うように東進を続けている。
その編成は、『鳳翔』を旗艦に防空巡洋艦2隻、駆逐艦4隻とかなりの規模だ。
戦場は開けた遠洋。障害物などは何もない。
両艦隊の間には100kmという距離だけが広がっている。
セルシウス発見から、一時間。
鳳翔に帰還した偵察機は即座に情報を伝達。その情報に従い、大和帝国はこの氷の塊が何であるか調べようとした。
その調査に選ばれたのは……防空巡洋艦『阿賀野』、艦長は勇猛果敢で知られる鮫島だ。
「聞いたか副長、ここから東に100kmほど進んだ海域で未知の氷山艦が発見されたらしい。本艦が先行し、どこの国の物か調査するぞ」
「防空巡洋艦である本艦が臨検ですか? 何故そんな任務を……艦長、我々の任務は空母の護衛です。臨検なんてものは駆逐艦に任せればよいのでは?」
艦長椅子にドカッと座り……隣にいる副長に正論で突っ込まれる鮫島。
よくわからない氷の塊が浮いていたから、その詳細を調べるべく艦隊から先行して船を送る。
これは、正しいことだろう。
あの氷の塊が、いったい何で、どこの国が製造したのか、それを理解しないことには攻撃はできない。
そして、航空機による調査には限界がある。空から見下ろすだけでは分からないことは多い。
艦隊から、船を派遣し調査をする。それは、間違いではないのだ。
だが、鮫島の乗る防空巡洋艦『阿賀野』の任務は空母の護衛。
空母からあまり離れてはいけない任務を帯びた艦だ。艦隊から先行し、未知の目標を臨検するなんて、艦隊のワークホースたる駆逐艦に任せればいいのだ。
もちろん、そんなことは鮫島本人が良くわかっている。
……だが。
「馬鹿野郎、臨検の最中に相手が攻撃してくるかもしれねぇんだ。少しでも装甲のある本艦が近づくのが筋ってもんだ」
と、真顔でそれっぽいことを答える。
「なるほど、装甲のない駆逐艦では危険ですからね。……で、本心は?」
「それは言わねえお約束だろ? ほら、行くぞ」
――ライバルに追いつくために何か戦果が欲しい。
もちろん、さっき言った装甲云々も半分は本心である。
見るからに魔法の産物である『セルシウス』。そんな危険物に近づくのは、防御力の高い船である方がいいことは間違いではない。
それに「下手な奴に臨検させるより、自分が行った方が上手くやれる」という鮫島の考えもある。
「よし、最大戦速。速力31ノットを出せ」
半分くらいの合理性と、半分くらいの欲が出た鮫島の命令を受け、機関が唸り『阿賀野』は加速する。
セルシウスに接近するために。
ちょっとした兵器解説『鳳翔型空母編』
性能諸元
常備排水量 1万5000トン
武装 15センチ単装砲 4門
20mm機関砲 6挺
速力 22ノット
馬力 2万馬力
航続距離 5000海里
乗員 500名
艦載機
艦上戦闘機 8機
艦上攻撃機 16機 計24機+補用4機
異世界転移後、いらなくなった大型客船を改造して作った空母。そこそこの性能を持つ。
艦載機 艦上攻撃機『海山』
性能諸元
最高速度 200km
航続距離 500km
発動機 空冷星形9気筒『木星』 450馬力
武装 胴体後部 7,7mm機関銃 一挺
爆装 250kg爆弾 2発
乗員 2名
ソードフィッシュっぽいなにか。本家と違って二人乗り。