第八十一話 ダークエルフの秘密兵器
大和歴306年5月22日。
東方大陸における大戦が一通り収まったこの頃、黒エルフ皇国は建国以来最大級の危機に瀕していた。
かつて彼らは強かった。
彼らの持つ魔法戦列歩兵の威力は大陸最強。魔法の一斉射撃はいかなる軍勢も吹き飛ばし、数的劣勢に陥っても火力で押し返せた。
魔法技術でダークエルフの右に出る種族は東方大陸には存在しない。魔法工業においても人間や獣人の一歩先を行く。
軍事でも、経済でも、技術でも。
東方大陸随一の大国だった黒エルフ皇国。
一億の人口も相まって、大陸有数の大国として、名を上げていた。
しかし、それは、もうもはや過去の話。今となっては追い詰められたキツネだ。
西の獣人はいまだに脅威ではない。
新しい戦術を身に着けて多少は強くなったようだが、それでも数が同じであれば、まだエルフの方が強い。
さらに、獣人の人口が1000万ほどに対しダークエルフはその10倍。
ダークエルフが本気を出せば、簡単に押しつぶせる。
少なくとも、自分たちにとって甚大な脅威になりはしない。
一度、侵攻に失敗したものの「所詮は劣等種族の獣風情。偉大なるエルフ様に喧嘩を売るなどまだまだ早い」と、鼻で笑えるくらいは戦線に余裕があった。
だが、問題はそれ以外の方面だ。
日増しに増加してくる圧力。それに、ダークエルフ達の危機感は限界を迎えつつあったのだ。
彼らが感じる圧力。
その主な原因は、海の向こうからやってきた国家『大和帝国』だ。
ダークエルフ達から見れば、この国はまさに自分たちを滅ぼしかねない大魔王だ。
人間という異種族。それが、想像を絶するような巨大な鋼鉄の船に乗り、火薬なる危険な物体を使い様々な兵器を自由自在に操る。
まさに、恐怖の化身。
直接戦火を交えたことは無いに等しいが、その兵器の性能は、各国に供与されたものを通じて身に染みて理解している。
優等種族を自称しているダークエルフ達も、彼らの技術を前にすれば負けを……いや、負けは認めたくないので、引き分けを認めざる負えない。
さらに、優れているのは技術力だけではない。
その長である『エリュテイア』なる人物は、数で劣っているにもかかわらず、『プディング高地の戦い』で見事な包囲戦を仕掛け、黒エルフ軍東部方面軍を壊滅させた。
単に技術が優れているだけでなく、軍の指揮官も優秀で欠点がないように思える。
さらにさらに。
大和帝国一国だけでも十分大問題なのに、かの国からの兵器支援で人間陣営はどんどん強化される。
まずは、東のアルバトロス連合王国。
ダークエルフが誇る魔法戦列歩兵と同等の火力を持つマスケット銃を持った戦列歩兵に、エルフが持たない火砲――野戦砲を有する。
先の『ガハラ門の戦い』でこそルーナの裏切りにより、勝利できたが……実際のところ戦闘能力は互角くらい。真正面からぶつかれば、もうどちらが勝つかわからない。
陸戦におけるエルフの軍事的優位性は失われたとみて間違いない。
海戦だって絶望的だ。
新手の鋼鉄製戦列艦隊を有し、ダークエルフお得意の火炎魔法がほとんど通用しない。おまけに、大砲をバンバン撃ってきて既存のガレー船では勝ち目がない。
優位性があるどころか、むしろ劣勢。制海権は完全に人間側に奪われたとみて間違いない。
北に目を向ければ……。
これまで敵対していた蛮族国家『大天モルロ帝国』は消え、その代わりに大和帝国傘下の人間たちが、次々に移民してきている。
どうやら、例の大和帝国が蛮族国家を薙ぎ払ってしまったようだ。
ポルラント人とか、なんとかかんとか。
新しくかの地に住み着いた連中は、どれもこれも移民してきたばかりで直接的な戦闘能力はそれほど高くないが……その護衛には、なんと大和帝国軍が残っている。
この連中はヤバい。
偵察に向かったエルフ達は皆口をそろえてこう言う。
なにやら、空を飛ぶ怪物やら、地を這う鉄の化け物やら操っているそうだ。
特にルーデンスだとかルーデルだとか、呼ばれている空を飛ぶ怪物は恐ろしく、出会ってしまえば生きて帰れないという噂だ。
そんな化け物集団を相手に、こちらから攻撃を仕掛けて勝てるとは考えにくい。
アルバトロス連合王国は自国と同等の戦力を手に入れ、北には怪物国家が進駐してきた。
西の獣人だけは弱いが、他の連中がこうでは全く慰めにならない。
このままでは、北と東から押しつぶされるのはほぼ確実だろう。さらに、その隙に獣人にも叩かれるかもしれない。
そうなってしまえば……ダークエルフという種族の未来が完全に絶えてしまう。
この時、ダークエルフ達は本当に自分たちが滅亡するのではないかと、恐れていたのだ。
故に、彼らは生き残るために、安心を手に入れるために、新たな道を見つける必要があった。
黒エルフ皇国南部の洋上。
そこに一隻の大型帆船が浮かんでいた。
大きさは、1000トン程度。あまり大型艦を作らないこの世界の船にしては、異例の大型の船ではあるが……それ以外は、普通の帆船でこれと言っておかしな点はない。
だが、この船こそ、エルフ達が周囲を囲まれたこの状況を打開する切り札なのだ。
「新型氷結艦『セルシウス』……この船で、海を渡るか」
「海の向こうにあるはずのエルフ国家。これを見つけなければ、我々に未来はないですからね」
セルシウスの艦長を務める老齢のダークエルフは、期待のこもった目でその船のマストを見上げ、まだ若い副長がそう続ける。
氷結艦『セルシウス』。
それは、大洋を渡っていくほどの大型艦を建造する能力を持たないダークエルフが、海の向こうにあるだろうエルフ国家を探すために作り出した希望だ。
……もっとも、本当のところは彼らは海の向こうにエルフ国家があるかどうかなど知らない。
だが、存在していないと困るためあると信じているのだ。
「よし、総員艦内に入れ。――『氷結魔法』発動!」
「――氷結魔法発動!」
氷結艦『セルシウス』の外観は普通の帆船、だが、その内部は普通ではない。
淡い魔力光と共に、ビキビキと氷に覆われていく船体。
そう、この船は、船内に巨大な魔力回路を有しているのだ。いや、この船そのものが魔力回路の入れ物と言っていい。
「外洋を渡れるだけの船を即座に開発することは難しかったが……氷で覆うことにより、強制的に船体強度を高める。優等種族エルフに相応しい良い発想だ!」
この魔法回路で出来ることは、『氷結魔法』。
大量の魔力を消費することで発動し続け船体を、何メートルもの分厚い氷で覆うことができるのだ。
周囲を敵性国家に囲まれたこの状況を打開するべく、海を渡り仲間を見つけたい。
だが、そのために必要な大型で頑丈な艦艇の建造は既存のダークエルフの技術力では難しい。ならば、魔法を使って船を分厚い氷で覆い船体強度を増加させよう。
魔法に優れたエルフでなければ思いつきもしない発想。
実際、これだけ突飛な案はダークエルフの魔法力をもってしても実現は容易ではなかった。
強力な魔法は、それだけ大量の魔力を消費する。
魔法力に優れるダークエルフと言っても、船を丸々凍らせるような攻城級の大魔法を発動するのは難しいのだ。
個人では、どれだけ頑張っても発動不可だろう。
船内に乗船できる人数――300名程度が集まっても、使える時間は長く見積もって10分。
それだけで魔力は底をつき、氷結魔法は発動できなくなる。
とてもではないが、実戦的に使えない。
人間にしろ、エルフにしろ、個人が使える魔力量と言うのものはたかが知れているのだ。
だが、しかし……。
「我がエルフの魔法技術は世界一、不可能などない!」
「その通りです! 我々が作り出した新技術、人間燃料『マナ』は、素晴らしい性能です。これなら、この魔力消費に対応できます!」
それを解決するために作り出された新技術、人間燃料――マナだ。
これはある種の生贄的な技術だ。
人体から魂を抽出し、これを高濃度の魔力塊に変換するというものだ。
この魔力塊は、命を犠牲に生み出されるだけあって、かなりの魔力量を持つ。
生成には人間、もしくはエルフといった魔力を持った知的生命体の命が必要不可欠であり、人道的な観点からすれば製造するなど……となるような産物である。
だが、人権のないこの世界では知ったことではない。
人間領域に侵攻し、捕らえた捕虜を使いダークエルフ達はマナを生成。さらには、今後も継続的にマナを得るべく養豚場ならぬ『養人間場』なんてものも作っているらしい。
とにかく。
彼らは、一隻当たり、400人分ほどの人間の命を使い一か月ほど航海できるだけの大量の魔力を用意したのだ。
エルフの非人道的ながらも優れた魔法技術により、セルシウス級氷結艦は一番艦『セルシウス』を始め4隻が建造され、すでにそのすべてが就役していた。
その建造コストは既存のエルフガレー船の100倍を超え、運用コストに至っては一度航海するたびに生贄400名が必要と言う膨大なもの。
黒エルフ皇国の財政に多大な影響を与えたとされているが仕方ない。
この船は、国家の存亡を賭けた『箱舟』なのだから。いくらお金がかかっても作るだけの価値がある。
問題は、この後。
黒エルフ皇国近海――いや、東方大陸の周囲は大和帝国の支配下。当然、大和帝国の軍艦が哨戒活動を行っていた。
彼らに見つからないように、海を渡らなくてはならないのだ。
ちょっとした補足説明『セルシウス級氷結艦』
諸元
常備排水量 1000トン 氷結魔法発動時、約1万トン
装甲 分厚い氷 鋼板100mm以上相当 再生機能付き
速力 びっくりするくらい遅い
航続距離 一か月くらい持つ
乗員 300名
海を渡りたい、けど、大洋を渡れるほど強固な船は建造したことがない……と、なったエルフが「既存の船を氷の塊で覆ってしまえば頑丈になるのでは?」と思い立って作った船。
一応船だが、氷結時は数メートルの氷に覆われるため、氷山に見える。
同型艦は4隻。