第七十四話 プディング高地の戦い 後編
エルフ軍4万の攻撃を耐え忍ぶダヴー率いる半獣人軍。
これに焦りを覚えたロムスタは、中央から1万3000の兵力を引き抜き、兵力を増強。5万3000の大兵力で一気に押しつぶそうとした。
プディング高地から駆け下り、敵左翼に突撃していく兵を見てロムスタは勝利を確信しただろう。
だが、それは大きな間違いでしかなかった。
この時、エルフ軍中央の戦力は僅か7000まで低下していた。
攻勢に出ているのは自分たちだという油断。絶対に自分が負けるはずがないという自負。
要因は様々あるが、この瞬間、エルフ軍は致命的な弱点を中央に作り出してしまったことになる。
その隙をエリュテイアは逃さなかった。
いや、もっと言えばその隙が生まれるのを最初から待っていたのだ。
敵軍に講和の使者を送り自分が戦う意思がないふりをしたのも、プディング高地を易々と明け渡したのも、わざと自軍左翼を薄く配置し隙を作ったのも。
何もかも、この瞬間のためだったのだ。
――ただ一撃で全てが終わる。
アルバトロス解放軍の反撃の時間だ。
攻勢に出たのは戦列中央のバルカ歩兵2万。
筋骨隆々マッスル部隊が、プディング高地の頂点に布陣する敵軍めがけて攻撃を開始した。
この時、朝霧が急に晴れ、プディング高地を駆けあがるバルカ軍を燦燦と照らしたという。
「肌寒い朝霧が晴れ、暖かな太陽が我らを照らした。それは、まるで勝利の女神の微笑み。あの少女は間違いなく戦女神なのだ」
バルカ王、バアル・バルカは後に愛しの妻にこの時のことをこう語った。
この出来事は『総統閣下の太陽』と謳われ、戦女神の成し得た奇跡の一つとして、語り継がれていくことになる。
この太陽に導かれ、筋肉集団は勝利に向かって突撃した。
彼らの装備は抱え大筒と槍。
普通の歩兵であれば、主兵装となる武器は一つしか装備しないが、積載量に優れる筋肉集団のバルカ軍は二つの武器を持ち戦場にやって来ていたのだ。
これに相対したエルフ軍は恐怖した。
「なんなんだ、あいつら……。全員上半身裸の筋肉モリモリマッチョマンの変態だ!」
「……や、ヤバいぞ! 変態だ! 変態が攻め来た!」
エルフのプライドとか、種族とかそんなものは関係ない。
エルフ軍7000に対し、筋肉の集団の数は約三倍の2万。
三倍の数の上半身裸のマッチョの大軍が攻めてきたら誰だってビビる。おまけにそのマッチョの大軍は……。
「抱え大筒、構え……放てッー!」
全員、ハンドキャノンと言える抱え大筒を装備しているのだ。単発火力がマスケット銃なんかとは比べ物にならない。
一撃被弾すれば半身が吹き飛ぶ。そんな大火力を2万のマッチョが放ってくるのだ。怖くないはずがない。
おまけに……。
「ふんぬぅぅ……うぉぉぉッ! よし、発射しろ!」
「王よ、大砲を抱えて撃つなど不可能です!」
「やればできる、筋肉を信じよ! 撃てぇっ!」
一部の変態に至っては抱え大筒でも自分の筋肉に対し威力不足と判断し、本来は砲車に乗せて運用する野砲を抱えてぶっ放そうとしているのだ。
当然、反動でぶっ飛ぶが、筋肉の塊はそれくらいではへこたれない。気にせず、第二射を放とうとし始める。
クレイジーだ。
エルフ達はこの狂気の光景に、心から怯えた。
しかも、彼らの恐怖はまだ終わらない。
このマッチョたちの長所は射撃戦などではない。
彼らの筋肉が最も真価を発揮するのは……肉弾戦だ。
バルカ兵は、一斉射撃の筒先にて敵の気力を怯ませると、武器を長槍に持ち替え突撃を開始した。
プディング高地を守り抜くために、戦列を組み必死に防衛しようとするエルフ達だったが……三倍近い兵力のマッチョの大軍に勝てるはずもなく押し流される。
攻撃開始から、プディング高地奪還まで時間、僅か30分。
一会戦において、本当にわずかな時間、あっという間と言ってもいい時間だ。
エルフ軍中央が右翼に送った増援1万3000が、目標地点に到着するより早く陥落させたほどだ。
これにより、エルフ軍は窮地に追いやられることになる。
戦線中央を突破されてしまったのだ。これでエルフ軍は、両翼の連携を取ることができなくなる。
さらに……。
「……司令官! ここは危険です。後退を!」
「そうだな、モリヤー君。一時後退だ!」
中央、プディング高地の上には彼らの総司令官であるロムスタの司令部があった。
戦場を見渡すことができる高地に司令部を設置することは戦争の常道であり、この判断そのものは何の間違いもない。
だが、戦線中央を強行突破され、プディング高地がマッチョに占領されたということは、次はこの司令部が危険地帯になる。
そのため、ロムスタは副官を連れ撤退し始める。
これが、エルフ軍にさらなる隙を産んだ。
「中央が突破されたのか……? おい、ロムスタ司令は何と?」
「わかりません、そもそもどこにおられるのか……」
「ガッデム! あの青二才め、まともに指揮も取れんのか!」
中央突破と言う致命的危機。
しかし、その状況を打開するべき司令官は、撤退の真っ最中。黒エルフ軍に広がる指揮系統の崩壊。
未だに戦力は十分あった。
エルフ軍中央の7000こそ追い散らされ戦力外になったが、左翼の3万と右翼の5万3000は健在。
体勢を整え反撃できれば、巻き返すチャンスもあった。
だが、エルフ軍は二つに分断され連絡線を失い、司令官は不在。
戦力は十分でも思うように動けない。
この機を逃さずアルバトロス解放軍は一気に包囲し始める。
彼らの狙いは5万3000のエルフ軍右翼。
これを、正面に展開した2万の半獣人軍と、戦線中央を占領し、側面を取る形になったバルカ軍、さらに、後方に浸透させた騎兵隊で包囲。
そして、このプディング高地の地形は……北を山に、南を湖に囲まれている。
エルフ軍右翼の右側には、この湖があり逃げることはできない。完全に四方を囲まれたことになる。
「おい、囲まれたぞ! どうする?」
「馬鹿野郎、三方向からの攻撃に勝てるはずないだろ! 俺は逃げるぞ!」
エルフ軍はこれになすすべがない。周辺からの十字砲火に戦力はゴリゴリ削られ、さらに、正面のマッチョの圧迫感が凄まじい。
なんとか耐えようと奮戦するが……気が付けばエルフ軍の犠牲者の数は1万を超えていた。
先ほどまでの有利な状況から一転。
無理な攻勢で戦力を消耗していたところを包囲され、殲滅されようとしている。
「逃げるって、何処に?」
「湖だよ! 泳いで逃げるんだよ!」
このままだと、確実に押しつぶされてしまう。
逃げ場を探し、マッチョの大軍に挑むよりかはマシそうな湖に飛び込むが……。
季節は冬。
そんな時期に、湖に飛び込んで生きて帰れるはずがない。
寒さに凍えながら次々に溺死。1万を超えるエルフ兵が湖の底に沈んだという。
泳いで逃げることもできない。
エルフ達が、仕方なく最後の覚悟を決めたその瞬間。
「おい、後方の部隊が脱出口を開いたぞ! 敵の騎兵隊を追い散らしたんだ!」
開かれる脱出口。
今逃げなくてどうすると、必死の逃走を図るエルフ軍。
だが、これも罠。
「エリュさん、逃げ場なんて作ってよかったんですか?」
「いいんですよ、完全に囲まれて逃げ道がなければ敵は死ぬ気で抵抗するでしょう。けど、逃げ道が一か所あれば?」
「背を向けて逃げ出すと?」
「そう言うことです。決死の覚悟で抵抗する敵を倒すより、背を見せ逃げる敵を倒す方が楽ですからね」
後方にわざとあけられた細い脱出口に、すし詰め状態で逃げこむエルフ軍。
これほど楽に狩れる獲物はない。
アルバトロス解放軍各軍はこれに猛撃を加え撃滅。さらに、逃げ出したエルフ軍に騎兵隊が追撃を仕掛ける。
こうして、エルフ軍右翼は壊滅した。
生き延びた少数も、地元ドルチェリ民のゲリラ攻撃や、ハイドリヒが作り上げた組織『アインザッツ・グルッペン』――通称、移動虐殺部隊の攻撃を受け刈り取られ、ほとんど生き残らなかった。
さて、これで残ったのはエルフ軍左翼のみ。
だが、彼らはすでに戦う意思と能力を失っていた。
彼らの正面には自軍と同じだけの兵力を持つドルチェリ、ルシーヤ軍3万。
これらと向かいあうことが精いっぱいな兵力しかないのに、自軍右翼では部隊が消滅しつつある。
今は追撃で忙しそうだが、敵軍は直にこちらに兵力を回してくるだろう。
ろくに戦っていないが、まだ、組織だった抵抗ができるうちに本国まで逃げかえるのが吉。
背を向け逃走を開始する。
だが、やはりと言うべきかこの逃走劇はかなりの被害を出すものになった。
軍による追撃、撤退中を襲う落ち武者狩り、ゲリラ攻撃、移動虐殺部隊の襲撃。
異種族の領土に深く侵攻すれば、敗北した際の被害は膨大なものになる。
後に『プディング高地の戦い』と呼ばれる戦いにて、黒エルフ軍は壊滅的な被害を受けることになった。
東部方面軍9万で無事に黒エルフ皇国本国に帰還できたものは1万程度。約8万の兵士が、戦闘やゲリラ攻撃でドルチェリの地に消え去ったことになる。
一方、アルバトロス解放軍の被害は1万程度。
完全な黒エルフ側の敗北だった。
この戦いについて黒エルフ軍を指揮したロムスタは「我々は戦女神の掌の上で踊っていたに過ぎない」と評したという。
これにより、戦局は変わる。
黒エルフ軍は、『9万の敵を軽々消滅させる極めて有力な敵』が現れたと判断。これ以上の攻勢は不可能と判断し、本土防衛に移った。
そして、エルフ軍の攻撃が停止したことで、ルーナ帝国に各国の視線が移ることになる。
「アヤメさん、報復兵器の用意は?」
「あと二か月ほどで、完璧に仕上がるかと」
「ん、よろしい。では、それまでに準備を整えておきましょう。裏切者に報復を」
対ルーナ戦線が始まる。