第七十三話 プディング高地の戦い 中編
大和歴305年12月2日。
「ふぅー、今朝はよく冷えるな。モリヤー将軍、見ろ霧だ。何も見えん」
「司令官殿、ご安心ください。敵軍の布陣は昨日よく観察しました。今さら霧があっても問題ありません」
「そうか、ふふっ、では名誉ある勝利を勝ち取りに行こう」
この日の朝は、冬のこの地方らしく寒く霧に覆われていた。
あまりに霧が濃く、高地の上から見下ろしても敵の布陣はよく見えない。大事な決戦の朝に、こんな天候なら少しくらい不安になってしかるべきだが……。
勝ちを目前にしていると思っているエルフ軍は、躊躇なく攻撃を開始する。
最初に動いたのは右翼。
この時のエルフ軍の布陣は左翼3万、中央2万、右翼4万。
基本的にはアルバトロス解放軍と同等の兵力をそれぞれ配置し、兵力に勝っている分を右翼に集め薄い敵左翼を撃ち抜く構えだ。
「敵左翼の兵力は1万だったな、モリヤー将軍」
「はい」
「あの無能な敵将では弱点を改めることなどしまい。あとは、物量で押しつぶし敵左翼を突破、チェックメイトだ」
敵の弱点を突破。
それを狙い攻撃を開始したエルフ軍。杖を構え朝霧の中に突入していく。
そんな彼らを待っていたのは。
「いい? ここで負けたら半獣人は国際社会に入れないわよ!」
ミケが鼓舞し……。
「第十二連隊は側面防御。第三連隊は、予備戦力だ。なに、前線の戦力が不足? 問題ない、彼らなら耐える」
ダヴー元帥が指揮する半獣人軍2万だ。数的には、エルフ軍の方が倍近く多く、有利ではある。
だが、兵士たちの質は半獣人たちの方が一枚上手だった。
前進するエルフ軍を出迎えたのは霧の中から響く銃声。
すでに先の『ガハラ門の戦い』で、大和帝国が同盟各国に売却したマスケット銃「四式小銃」のことは知っているエルフ軍。
ああ、人間軍の例の新しい武器か、と杖を並べ魔法で反撃するが……。
何故だろうか? 前に戦った時と違う気がする。
一射、二射。エルフ軍が魔法を放ったその時、彼らはすでに異常に気が付きつつあった。
「なあ、奴ら、妙に連射速度が速くないか?」
「ああ、お前もそう思ったか?」
エルフ兵たちは口々に疑問を漏らした。
そう、どうも敵軍の連射速度が異様に早いのだ。
エルフ軍の魔法は30秒に一発放てれば十分。これまで、エルフ軍が戦ってきた一般的なマスケット銃の攻撃速度も同じくらいだ。
だが、この時の半獣人軍は20秒、もしくは10秒に一発マスケット銃を発射した。
倍近い連射速度だ。
まるで五月雨のように放たれる弾丸。
これほどの射撃をされれば、対峙していれば嫌でもわかる。
「100人は死んだか……我が第3中隊は限界だな。敵の弾幕が濃すぎる」
「こっちの中隊も駄目だ。おかしい、火力が高すぎる」
目に見えて被害は増えるし。
「ふざけるな! 何故高等種族である我々がこんな目に合わなくてはならない!」
「退け! 撤退だ」
心も折れる。
こちらが攻撃する前に、何度も何度も攻撃を放ってくるのだ。エルフ軍としては堪ったものではない。
「よし、退いていくわ! 流石、総統閣下の武器ね」
と、ミケは喜ぶが……。
単にマスケット銃の性能が良かったからできたわけではない。
これは訓練の賜物だ。
半獣人軍が兵士の訓練を十分に行っていたからこそ、少数でも十分エルフ軍と撃ち合うだけの土壌が出来上がっていたのだ。
これは、彼らの国『エリュサレム半獣人国』の地政学的要因が大きいだろう。
この国は、建国以来、周囲を十倍近い人口を持つ敵性国家『ビーストバニア獣人国』に囲まれている。
この状況を地球で例えるなら『イスラエル』。
四面楚歌、それを乗り切るためには精強な軍隊が必要。
故に、指揮官の訓練こそ時間不足で終わっていないが、兵士としての訓練ならかなりの高水準で出来上がっていたのだ。
さらに、士気も決して低くない。
この戦いにかける思いもかなりのものだ。
半獣人は獣人たちから独立できたとはいえ、まだまだ大和帝国傘下の小国で、国際社会からは認められていない存在だ。
大和帝国主催の『大東亜共栄圏』に参加できていないことからも『半獣人』という種族が人間たちからどういう目で見られているか理解できるだろう。
この戦いは、国際社会に入ることさえ許されない彼らが、「半獣人と言う種族は人間に決して劣っていない」と証明するための絶好の好機なのだ。
練度もあり、士気の高い兵士。
それだけで、十分驚異的だが……。
これを指揮するダヴー元帥の能力もかなりのものだ。
朝霧で敵味方の動きが良くわからない中、少ない兵力でも予備兵力をしっかりと残し、いかなる状況にも備え最適の防衛を行う。
人は彼のことをその悪臭から『腐敗のダヴー』と呼ぶが、これは彼の能力に対する嫉妬が大きい。
彼の優れたる能力から陰では『不敗のダヴー』と呼ばれることもあるほどなのだから。
……まあ、もっとも、その能力が発揮されることは極稀だ。
デブでハゲでクサい。
その醜悪な容姿は美しいものを好むシャール女王に嫌われ、まともに軍の指揮をさせてもらえないのだ。
訓練された優秀な兵士と、見た目を除けばこの世界でもトップクラスの指揮官。
この二つが合わさり、アルバトロス解放軍左翼は異常に堅かった。
4万の兵力で物量に任せ、必死に押し切ろうとするエルフ軍右翼だったが、その半数の兵力できっちり守り抜かれてしまっていたのだ。
「……1時間だ、攻撃開始から1時間もたったぞ、モリヤー将軍。まだ突破できないのかね」
「もう少しお待ちを……おかしい、敵軍は1万しかいないはずなのに……」
「ええい、精鋭騎兵を投入せよ!」
そして、エルフ達がまだ昨日一日で50kmを踏破しやってきたダヴーの増援に気が付いていないというのも大きかった。
1万の兵力を4万で攻めるのと、2万の兵力を4万で攻めるのは全く違う。
前者は攻撃三倍の法則を上回る四倍の兵力を用意できているのに対し、後者は精々2倍でしかないのだから。
思うように突破できず焦りを見せるロムスタ。
精鋭の重騎兵、約1000騎をダヴー軍団の右翼めがけて投入するが……。
「敵の騎兵が出てきたか……なに、問題ない。我が軍左翼は湖がある。敵軍はこちらからは攻撃できない。第一連隊を騎兵対策に回せ、空いた穴は第三連隊で埋める」
ダヴーは的確な指示で、これに対応する。騎兵という兵科は、その機動力で側面攻撃することこそが要。
防御をしっかり固められてはその突破力も生かせない。
しかも、これだけではない。
「エリュさん、敵軍、騎兵隊を投入したようです」
「そうですか、では総統近衛騎兵を投入してください。……あと、コサックとドルチェリ騎士団も」
戦線中央で指揮を執るエリュテイアも迅速に戦力を投入。予備として用意されていた騎兵部隊を次々に出撃させる。
ちなみに総統近衛騎兵と言うのはポルラント騎兵のことだ。あの戦いのあと、テンションが上がって近衛騎兵に任命しちゃったらしい。
「ルシーヤコサック騎兵の出番だな!」
「異種族討伐を果たすドルチェリ騎士団の名に懸けて、ここでエルフ騎兵を撃滅する!」
「先の戦いの被害は大きいが……ポルラント有翼騎兵出撃!」
戦線中央から一斉にアルバトロス解放軍の各騎兵隊が突撃を開始。
ルシーヤも、ドルチェリも、騎兵戦力に長けた国だ。
総兵力では劣っていても、騎兵戦力では負けていない。各騎兵合わせて800程度がエルフ軍騎兵隊と戦う。
この戦いはアルバトロス解放軍側が有利だった。ダヴー軍団と挟み込む形でエルフ軍騎兵に攻撃することができたからだ。
激戦。
この時になってもまだ朝霧は晴れない。
霧の中、合計2000近い騎兵が乱戦を繰り広げ……エルフ軍騎兵は突破不可能と判断し、後退していく。
4万の兵力を集め、さらに騎兵隊を投入してもまだ敵左翼は突破できない。
普通であれば、この辺で「ん、なんかおかしいな?」と気が付くところだが……。
先の『ガハラ門の戦い』で歴史的勝利を挙げ、今回の戦いでも戦う前から戦術的有利を作り上げていたロムスタはこの時点で「人間軍弱し」と驕り高ぶり侮っていた。
自分が負けるはずがない。
自分の作戦――「敵左翼突破」は間違ってないはずだ。
その思い込みからここでついに、ロムスタは大きな判断ミスを犯す。
「モリヤー君、中央軍から1万……いや、1万3000を引き抜き我が軍右翼に回す。これで、敵左翼に5万3000の軍勢をぶつけることになる」
「5万の兵なら……突破できますな! すぐに命じます」
中央、プディング高地を守る2万の兵力から可能な限りを抽出。
一気に、決着をつける。
ロムスタが、戦局を変えるために一手を打ったその時。
「さて、ただ一撃で全てを終わらせましょう。バアル・バルカ。プディング高地の頂点はどこにあるかわかりますね」
「もちろんだ、戦女神よ。この辺りの地理はしっかり頭に入れている」
「ん、よろしい。では、そこが『ゴール』です。バルカ軍前進、何があってもゴールに着くまで」
「御意」
一方のアルバトロス解放軍本陣でも決着をつけるため動き始めていた。