第七十二話 プディング高地の戦い 前編
大和歴305年12月1日。
黒エルフ軍がドルチェリ王都『ベルン』に向かうために通らなくてはならない、防衛の要所プディング高地。
そこに黒エルフ軍9万を引き連れやってきたロムスタは、すべて自分の思い通りに事が進んでいると思った。
相対する敵軍の兵力はこちらに劣る6万。戦術的に有利な高地を占領して、防衛体制を築いているが……。
敵の指揮官は和平の使者を送ってきており、戦いに自信がない模様。
聞けば、敵軍のトップ――エリュテイアは、まだ幼い少女だというではないか。
ロムスタは自分の事を武人と言うより、政治家よりの人間だと認識している。実際、軍の指揮はそれほど上手いとは思っていない。
だが、子供に負けるほど下手であるつもりは全くなかった。
敵軍は弱く、戦う気力はなさそうだ。まさに、攻撃の良い機会。
もし、敵軍の兵力にもう少し余裕があれば。
もし、敵軍にもう少し戦意があれば。
ロムスタの軍勢はここで一度停止し陣を固めるべきだろう。
数で優っているこちらが守勢に回れば敵は攻撃できない。戦力的に不利な側が攻勢に出るなどあり得ないからだ。
そして、時間が経てばこちらには増援がやってくる。
数の差は今まで以上に開きロムスタの勝利は確実になるのだ。
だが……。
はたして、そこまでする必要があるのかとロムスタは疑問に思う。
これほど弱い敵なのだ、自分だけで倒し、戦果を独り占めするのが最善なのではないのか?
そう考えてしまうほどに今のロムスタの状況は戦術的有利だった。
唯一の懸念事項と言えば、敵が有利な高所に陣取りこちらを待ち構えているところだが……。
「ロムスタ司令、敵軍高地を捨て撤退します」
「なに? そこまで敵将は間抜けだったが?」
その敵軍の有利もあっという間に消え去っていく。
丘の上に陣取っていた敵軍が、敗走するように慌てふためいて逃げ去り丘の下に陣地を作り直しているのだ。
「ふはははっ、敵は臆したぞ! 見たまえ、自ら有利な位置を捨てた。モリヤー将軍、すぐに高地を占領せよ」
「はっ!」
丘を駆けあがっていく自軍部隊を見て、ロムスタはほくそ笑む。
唯一の懸念事項だった位置的不利も一瞬でひっくり返った。本当に、これで負ける要素はない。
しかも……。
丘の上を占領し、数時間。
敵味方が布陣し終え、日も暮れ始め、さあ、明日は決戦だとなったその時。
丘の上から、夕焼けに染まる敵軍の布陣を見下ろしたロムスタは『なんと稚拙な布陣だ』と声を漏らした。
「敵軍は右翼に3万、中央に2万、左翼に1万と言ったところかな? モリヤー将軍、どう見る?」
「街道沿いの右翼を突破されないように兵力を厚く配置したのだと思われますが」
「稚拙だよ、モリヤー君。我が軍は明日の決戦で弱い敵左翼を抜く、そうすれば敵戦線は一撃で崩れる。勝利は確実だな」
敵軍の配置はいかにも脆かった。
兵力が偏り、これでは手薄な左翼を攻撃されれば長くは持たない。ロムスタは優勢な兵力を活かし、敵左翼を攻撃すればいい。
それだけでゲームセットだ。
「モリヤー君」
「改まってどうかしましたか、ロムスタ司令殿」
「歴史的大勝だよ、これは。私は、きっと黒エルフ皇国史に名を残すだろう。先のガハラ門の戦いと今回のこの戦い、二度の完全勝利を成し遂げた英雄としてな」
はっはっはっは、まるで夢のようだ。とロムスタは高笑いする。
兵力、地形、布陣。
全てにおいて、敵軍は劣勢。まともに戦えば負ける要素などないのだから。
☆☆☆☆☆
はい、全ての罠を仕掛け終え夜になりました。
日が暮れての大規模戦闘は不可能なので決戦は明日ですね。
「ふふん、今頃エルフたちは勝ち誇っているでしょうね。勝利は確実だと」
野戦指揮所で、ミケさん、バルカ王、あとドルチェリ、ルシーヤ軍の司令官と晩御飯を食べながら最後の会議のお時間です。
ちなみに、今日のご飯は……カレーですね。
なんでしょうか、ここ一週間ずっとカレーを食べているような気がします。
戦場で楽に作れるからですかね?
っと、そんなことはどうでもよくて。
「戦女神よ、本当にこれで大丈夫なのか? 我が軍は、相当不利だが?」
バルカ軍を率いるバルカ王も、ちょっぴり及び腰。
まあ、そうですよね。
兵力不足、和平の使者、有利位置を捨て、布陣もガバガバ。
普通ならこんな状況で戦いませんよね。まともに戦えば、ほぼ勝ち目がないくらい不利な状況ですし。
ですが、こうでなければならなかったんです。
こうしなければ、敵は決戦の誘いにそもそも乗ってくれませんから。
こちらにとって本当に不利なのは今この状況ではなく、敵に増援が合流しさらなる大軍になることです。
そうなってしまえば、戦術も何もなくただ物量で押しつぶされてしまいます。そうなってしまえば、勝ち目はありません。
だから、不利を承知で、敵が決戦の乗ってくれるこの状況を作るほかなかった。
それに。
「大丈夫です、バアル・バルカ。そろそろ、あの男が来るはずですから」
「あの男、ああ、あのクサいのか」
そうです、あのクサいのです。今晩中にやってくるはずですから、あのハゲが……。
っと、言った傍から。
司令部のテントに悪臭が漂っています。
「済まない、予定より10分遅れた」
テントの垂れ幕を持ち上げながら、デブが堂々の入場です。あっ、ミケさんが白目をむきましたね。
……あの人、鼻がいいらしいのでボクたち以上にこの臭いがきついらしいですね。
で。
「エルフ達にばれてないですよね、ここまで来たことは?」
「問題ない。出発時にあえて敵騎兵斥候に姿を見せた。奴らめ、まさか一日で50kmも行軍してくるとは思うまい」
はい、そうですね。
王都『ベルン』防衛に配置しておいたデブー元帥以下1万の兵力を呼び寄せておいたんです。
最初はあえて分散しておいて少ない兵力に見せておいて、決戦前夜にこっそり合流。決戦時には少しでも戦力差を縮めるというわけですね。
もちろん、エルフ達にこの合流がばれては警戒されてしまいます。
……ですから、ベルンからプディング高地まで約50kmを一日で突っ切ってもらいました。
秀吉の中国大返しなみの速度ですよ。
通常ではありえない速度です。この世界の歩兵の行軍速度なんて一日に20km進めば超高速行軍とされるくらいですからね。
まさか、その倍以上の速度で駆け抜けてくるとはエルフも思いもしないでしょう。
ハイドリヒが、補給体制を整えていたとはいえ、よく頑張りましたね。
やっぱり気合ですよ、気合いと精神は全てを解決します。
このデブー元帥率いる部隊を左翼に追加配備、これで2万の兵力になります。敵軍の攻勢にもある程度耐えられるでしょう。
して、明日の作戦ですが。
「早速ですが、デブー元帥。左翼の半獣人兵をまとめておいてください。明日は激戦になりますよ」
左翼に配置されたのは2万の半獣人兵。
夕暮れに布陣を見せたときは、ここの兵力はたったの1万でしたから、エルフ達はここが弱点だと思って、明日は必死に攻撃してくるはずです。
この2万の兵力で、敵軍の猛攻を耐えきることができるか、それが最大の焦点になります。
「……ダヴーだ。問題ない、何があっても左翼は耐え抜いて見せる。問題は中央だ、そこの脳筋共はちゃんと戦えるのか?」
「むっ、このバアル・バルカ、随分と舐められているようだな。安心しろ、筋肉に懸けても戦女神の前で恥をかくような真似はしない」
それに、ここで敵を撃滅し美しい妻を救いに行かなくてはならないからな! と、一人ポージングを決めます。
んー、相変わらずいい筋肉です。
バルカ兵2万、あのマッスル集団になら中央を任せても大丈夫そうですね。左翼に次いで重要な場所ですが、まあ、筋肉は全てを解決しますし。
さて、自称優等種族に教育のお時間です。
エルフ達は自分たちが狩人だと思っているでしょう。狩人であるエルフが、弱い人間を狩に行く、そう言う感覚で明日の決戦を迎えてくれるはずです。
ですが、本当の狩人はこちらです。
今ボクたちに必要なのは敵軍の殲滅。
敵軍がさらなる合流で大軍となる前に、眼前の9万の兵力を文字通り一掃しなくてはならならない。
だから、それのみを志向し、それのみを追求してここまでやってきました。
そして、数多の罠を仕掛け、決戦に誘い出し、今ここで撃滅しようとしています。
本当の狩人がこちらだということを教えてあげましょう。