第五十五話 少年ととある街
大和歴305年4月1日。
どこまでも続くようなモルロの大平原を一頭の馬が駆け抜けていた。
その背には、少し幼さの残る少年。
彼の名はゴドリック。
蛮族の支配するモルロ帝国の西の果て、小さな森の名もなき村に住む、木こりの少年だ。
モルロ人が支配する平原と違い、彼の住む森は安全だ。
平原で生まれ、平原で育ち、平原で死ぬ。
平原の民であるモルロの人々は、密集する木々を嫌がり、森の中にはやってこない。森の中にいる限りは攻撃される恐れはないのだ。
木々に覆われた薄暗い森の中では経済活動も、農業もろくにできないが……蛮族に襲われるよりかは遥かにマシというものだ。
さて、そんな安全地帯に住む少年が、なぜ馬に乗り蛮族がいつ現れるかもわからない平原を駆けているのかと言うと……。
「見えた、ジュノーの街だ。いつみても大きいな」
目指す先は城壁に囲まれた港町。
買い物に向かっているのだ。
薬、衣服、香辛料、斧。これらの必要不可欠な生活物資は森の村では生産されていない。手に入れるには危険を承知で平原を越え街に行かなくてはならない。
彼が到着した街、ジュノーを取り囲むのは、20メートルはある巨大な城壁。元々はモンスター対策に作られたものだが、その後、モルロ人の侵攻を食い止めるべく増築され、これほど巨大なものになったらしい。
この高い城壁を見れば「あー、これは面倒だな」とモルロ人すら引き返すと評判だ。
そんな城壁を、東京に出てきたばかりの田舎者のように「はえー、いつみても凄いなぁ」と見上げながら、ゴドリックは城門に向かう。
彼が城壁に着くと陽気な衛兵二人が彼を笑顔で出迎えた。
「おっ、森の村のガキじゃねえか。ずいぶん大きくなったな」
「この前、来たときは豆粒みたいにちっちゃかったのにな」
馬を降りるゴドリック。
そんな彼を、はっはっはと笑いながらからかう体格のいい衛兵。ゴドリックも小柄と言うわけではないが……所詮は子供に毛が生えた年齢。まだまだ大人と比べれば小さい。
「うるせー、この前来たときは一月前だろ? 一か月でそんなに身長が変わるかよ」
からかわれるゴドリックは、そうふてくされるが……実のところ、そんなに悪い気分ではない。
モルロ人の支配により、この地域の人口は激減した。
この辺りに残っている集落は、ゴドリックの住む森の村かこのジュノーの街くらい。その人口も少しずつ減っていき……もう、誰もが知り合いだ。
この衛兵のお兄さんたちだって、ゴドリックからすれば親戚のお兄ちゃん的な存在。親しい仲なのだ。
「はっはっは、ガキの成長は早いもんさ。で、また村のお使いだろ? 薬か、それとも新しい斧でも買いに来たのか?」
「薬だよ。村長が腰が痛いってさ」
「あー、あの偏屈な爺さんか……。大変だな、そんなんで平原を渡ってくるなんて」
「だろ? 命がいくつあっても足りないぜ」
平原を渡る。
その危険性は、地雷原を突破するに等しい。
ジュノーの街からゴドリックの村まで馬で一日の距離。その間、モルロ人に見つかれば、八つ裂きにされトカゲの餌にされる。
「……ま、仕方ないよ。俺は村の下っ端だし」
そう言って肩をすくめるゴドリック。
この世界での下っ端の命は、ソ連兵士の命より安い。
「だな。俺も下っ端だ。だから、こうして危険な城門の前に立たされている。ま、中に入れよ、面白いものが見れるからさ」
城門を開け放ち、ゴドリックを招き入れる一人の衛兵。もう一人は見張りを継続だ。
「面白いものだって? こんな、蛮族に囲まれた街に……って、何だこりゃ?」
そんな衛兵の案内で城門をくぐり、街に入ったゴドリック。
街に入るや否や、はっと息を呑む。彼が見たものは……一か月前に来たときとは全く違う街の姿だった。
中世風の狭い路地が入り組んだ、迷路のような街並みだったジュノーの街。
普通の街との違いは、海の近くにある街なだけあってそこら中に水路が張り巡らされているくらいだった。
そんな街が……。
「な、凄いだろ? 道も広くなったし、港も整備されたらしいぜ」
大改造されていた。
城門から港まで一直線にぶち抜かれた広い中央通り、その中央通りから見える港には、田舎者のゴドリックには何をしているのかよくわからない構造物――クレーン。
さらには、その広くなった中央通りを……。
「おい、ちょっと、あれなんだ? なんか変な化け物が動いてるんだけど」
排気ガスをまき散らしながら、ブンブン走り回るトラック。その荷台には大量の鉄道用レール。
メイドイン大和のトラックである。
運営も、ジュノーの街まで足を延ばしてきた大和企業である。
「ありゃ、自動車って生き物らしい。港から街中に資材を運んでいるみたいだな。広場に行ってみろよ、謎の鉄の棒が積み重なってるぜ?」
「て、鉄の棒?」
「ああ、鉄道とかいうものを作るらしい。俺も詳しいことは知らないけどな」
詳しいことはお手上げだぜ。と、首を振る衛兵。
彼は、城門のすぐ近くから一通り街を見せると「ま、俺は仕事で城門を離れられないから、後は勝手に見て回れや。あと、大和って国の人間の機嫌は損ねるなよ」とゴドリックに伝え再び城門の防衛に戻った。
城壁の前でポツンと一人になったゴドリック。
とりあえず、村長の腰の薬でも買いに行くかと、ふらりと、道路に足を踏み出せば……。
鳴り響くクラクション、甲高いブレーキ音。
「うぉっ、なんだこりゃ!」
と、思わず腰を抜かす。そんな彼の前に、急ブレーキで停車するトラック。
「おい、まぬけ野郎! 急に飛び出したら危ないだろ、ここは車道だぞ!」
呆然とするゴドリックは、その運ちゃんに怒られるのだった。
「なんなんだよ、“しゃどう”って」
いそいそと歩道に戻るも、全く訳が分からないゴドリック。
当然である。
前来たときは健全なファンタジー都市だったのに、気が付けば自動車が走る街に大改造されていたのだから。
……
…………
………………
「でさー、どういうことなんだよ。おばちゃん。この街おかしくないか?」
「おや、あんた知らないのかい?」
そう言うわけで、彼は薬屋のおばちゃんに不満を漏らす。おいおい、おばちゃん、この街どうなってんのさ、と。
そんなゴドリックに、おばちゃんは呆れた顔で「救援軍が来るんだよ。大和って国から」と伝えた。
「大和? 救援軍?」
「そうさ、何やら海の向こうに凄い大国があって、その国がこのジュノーの街を助けに来てくれるそうだ。この街の改造はその下準備さ」
「はっ? 無理だろ? あの精兵で有名なバルカだって、モルロ人には勝てないんだぜ? 大和って国がどんな国かは知らないけど、返り討ちが関の山だろ?」
あのバルカ人だって勝てない。
これは現代日本でいう「米軍でも勝てない」に匹敵するワードだ。あの最強集団でも勝てないのだから勝てる見込みはない。
そう言う意味合いを持つ。
「と、思うだろ? だけどね、まだ噂なんだが……」
大和は神の国らしい。そう、おばちゃんは続けた。
「神の国だぁ? 神様なんているわけないだろ? いるなら、モルロ人なんか跳梁跋扈してないぜ」
「ところがどっこい、これはほぼ確定さ。バルカ人がそう言ってんだ『戦女神様と共にモルロに反撃だ』ってね」
「あのバルカ人が?」
「ああ、そうさ。それに、あんただって、街を走る鉄の化け物を見ただろ? あんな、魔法生物を扱えるんだから神じゃないにしても相当なもんさ」
「自動車ってか? 俺はあの生き物は嫌いだ」
ふんっ、と鼻を鳴らすゴドリック。そんな彼を見て、おばちゃんはケッと鼻で笑う。
「轢かれかけたんだろ? ふらーっと車道に飛び出してさ。あんた、どんくさいからね、見なくても分かるよ」
「……ちぇ」
図星で何も言えないゴドリック。
誤魔化すように「……腰痛の薬くれよ、村のジジイが欲しがってるんだ」と、商談を始める。
「なら、バルカ銀貨三枚だね。なんなら……大和円でもいいよ?」
「大和円?」
そうゴドリックが問い返すと、おばちゃんは得意げな顔で一枚の紙幣を取り出す。
「この紙切れさ。この紙切れが、今じゃ金貨より価値がある」
「そんな紙切れが?」
「そうさ、こいつは大和政府お墨付きなのさ。どこの国の連中だって、今はこれを血眼で集めている。こいつがあれば、バルカとも大和とも、どんな国とでもスムーズに交易できるのさ」
「へぇ……そんな紙切れがねぇ」
紙切れが価値を持つ。
そんなことないだろ? と、不思議そうにお札を見つめるゴドリック。
「……ま、銀貨もないんだけどさ。ほら、森でとれた薬草、いつもの物々交換だ」
そう言って、彼は持ってきた薬草を渡す。おばちゃんも、しゃあねえな、と言った感じで取引に応じる。
「ん、まあよかろう。っと、言いたいところだけど今回が最後さ」
「なんでだよ? 俺の村には金なんてないぜ?」
「仕方ないよ、今は大和から安い薬が入ってくるようになってね。こっちも、薬草からポーション作って、なんてやってられない。大和から安く仕入れて売るのさ」
「なんだって?」
貨幣経済すら行われていないゴドリックの田舎村には、大和円どころか銀貨すら流通していない。何もかもが物々交換の世界だ。
そんな中、貨幣での取引を要求されたら……。
「……なら、俺たちは今後、どうすればいいんだよ?」
「出稼ぎなんてどうだい? 今は、街のいたるところで大和関連の仕事があるよ。給料もいいし、森の奥で木こりをするのなんかに比べたら何倍も稼げるさ」
それを聞いて、ふーむ、と悩むゴドリック。
今までの生活をがらりと変えるのは、覚悟がいることではあるが……この街の変わりようを見れば、自分も変わらなければ取り残されるだろう。
大和ねぇ……と、全てを変えてしまった元凶の名を呟きつつ、薬屋を後にするのだった。