第四十五話 戦乱の東方大陸
大和歴305年の元日。
この日、一つの戦いが始まろうとしていた。
場所はビーストバニア獣人国と黒エルフ皇国の国境、オオカミ族の城塞都市ウルフバニア。
幾多の国境紛争を乗り越えてきた約5000のオオカミ族正規兵が立てこもる城塞都市に、約2万の黒エルフ皇国軍が襲来してきたのだ。
城壁に籠り、今か今かと剣や槍を磨く狼族の兵士たち。
それに相対するのは、壮麗な戦列を組む長き耳を持つ種族ダークエルフ。
彼らは軍楽隊の奏でるメロディーに乗り、杖をまっすぐ敵に向け一糸乱れぬ見事な行進を見せる。
「獣人の弱さはすでに白日の下にさらされておる! 今ぞ好機、薄汚い獣の城壁を焼き払うのじゃ!」
その戦列の後方、でっぷりと太った黒エルフ皇国の国家元首、ムスタ・チョールヌィ執政官が兵士たちに檄を飛ばす。
ビーストバニア獣人国と黒エルフ皇国の大規模戦闘、ウルフバニア包囲戦の始まりだ。
この戦いの発生原因は少し前にさかのぼる。
大和帝国がビーストバニア獣人国を降伏させた。
この情報は、そう時間もかからず黒エルフ皇国にまで到達した。降伏後数週間後には、すでに軍の動員を始めていたくらいだ。
そして、彼らはこの情報を基にこう判断したのだ。
「どういう理由かは分からない。だが、今まで頑強に抵抗してきた獣人たちが急に弱腰になった。攻撃の機会である」
魔法が使えない獣人は、この世界では弱い種族だ。
魔法というのは近代兵器を除けば強力な兵器。
呪文を唱えるのにかかる時間は約30秒。つまり30秒ごとに高威力の飛び道具を放つことができる。
その威力は、マスケット銃にも匹敵するだろう。
魔法が使えないというのは、マスケット銃を装備する軍隊に、剣や槍で挑むも同然。
それほど魔法が使えないというのは、軍事的に極めて不利なのだ。
ダークエルフと獣人が戦えば、ダークエルフが勝つ。
それは、誰もが理解しているこの世界の常識だ。
現に、黒エルフ皇国とビーストバニア獣人国の野戦における戦績は、九割以上の確率で黒エルフ皇国の勝利となっている。
……だが、ここ数百年の戦いの歴史を振り返ってみれば、獣人がダークエルフに致命的な敗北を受けたことはない。
魔法が使えなくとも、軍事的にどれほど劣勢に追い込まれようとも獣人国が決定的な降伏をしたことはないのだ。
幾度、戦おうとも。
幾度、野戦にて撃破されても。
幾度、要塞を粉砕されても。
獣人はそのたびに折れた剣を手に再び立ち上がった。
軍が粉砕されても、彼らはゲリラとなり抵抗をつづけた。城を失っても戦意を失わず、その命が尽きるまで奮戦し続けた。
ダークエルフの軍隊は、このゲリラ戦に何度も何度も撃ち破られてきた。どれほど、敵軍を粉砕しようと、彼らは大きな打撃を受けない。
獣人たちの真の主力は全国民であり、その数は約1000万。
一方の黒エルフ皇国の一戦線における軍の動員数は約10万。
たった、10万で1000万からなるゲリラの大軍に挑むのだから多少の魔法の優劣があったところで勝ち目はない。
そのことをダークエルフは強く理解しているからこそ、本格的にビーストバニア領へ攻撃することはなかった。
これまでの彼らの戦争の多くは国境での小競り合い。
互いにちょいと侵攻しては奴隷狩り。ちょっと略奪して、敵軍と軽く戯れ負けそうになったらさっさと撤退。
深入りしても損しかない。だが、異種族が隣にいることは許せない。
だから、こんな中途半端な戦争を延々と続けていたのだ。
しかし、ビーストバニア獣人国が大和帝国に降伏してから、この状況は変わってしまった。
「どういう方法かは知らない。だが、あの頑固な獣人を降伏させる方法があるのだ。それを優等種族であるエルフができないはずがない」
黒エルフ皇国上層部はそう考え、ビーストバニアに対する本格的な侵攻を決意したのだ。
そしてその第一陣が、このウルフバニア包囲戦である。
「放てぇー!」
その号令と共に黒エルフ皇国最前列を進む魔道戦列歩兵が、一斉に呪文を唱える。
火炎魔法、風刃魔法、氷魔法。
様々な種類の魔法が一斉に飛び出し、ウルフバニアの城壁を襲う。
「負けるな! これ以上敗戦し獣人の名を世に汚すこと無し! 勝利か、死か!」
次々と魔法攻撃が命中し、城壁の表面が砕ける。
しかし、獣人が国防を託すその壁はそう簡単には壊れない。弓、投石、バリスタ。逆襲の猛射がダークエルフ軍に降り注ぐ。
まだ、ウルフバニア包囲戦は始まったばかりなのだ。
王都ライカンバニア。
先王から王位を奪取した新国王レオンが、黒エルフ皇国軍侵攻に大慌てで対応しようとしていた。
「死守だ! 何があってもウルフバニアを落とされるわけにはいかない!」
「しかし、レオン王よ。我が国には兵も武器も足りません。このマー、武器もなく兵を戦わせるのは反対です」
「……くっ、半獣人を解放したのが痛いな」
しかし、事は思うようにいかない。
まず、そもそもの兵力が足りていない。先の大和帝国との戦い、激戦を極めたタイガーバニアの戦いでビーストバニア獣人国の動員可能兵力は大きく損耗している。
さらに、武器が足りない。
これもタイガーバニアの戦いで、失った武器が多いことが原因の一つではあるが……。
それ以上に、武器を生産する奴隷、半獣人が独立してしまったことが大きな原因だ。
パッと見たところ二足歩行の獣と言った外観の獣人の手は、肉球になっている。
手が肉球――そう、彼らは細かい作業ができないのだ。
故に、高度な器用さが必要とされる鍛冶仕事なんてできないし、建築だって難しい。
これまでは、手先の器用な半獣人を奴隷として運用していたので、それほど大きな問題は発生していなかったが……。
大和帝国に敗戦したことにより、半獣人たちは『エリュサレム半獣人国』という独立国家を形成。
ビーストバニア獣人国から離れて行ってしまった。
最初は「ふんっ、下等な半獣人が獣人様無しに生きていけるか?」などと上から目線で調子に乗っていた獣人だったが……。
あっという間に生産活動が行き詰まり、兵力の回復すらままならない状況に陥ってしまったのだ。
しかも……。
「あまり大きく負けるわけにはいかないというのに……」
「先の敗戦により、国民の戦意が低下しておりますからな」
強いナショナリズムによる国民防御。
それこそが、ダークエルフに対する獣人の最大の防衛策。
だが……。
大和帝国に敗戦してからというもの、そのナショナリズムに大きな亀裂が走り始めていた。
獣人の優位性に対する疑問、負けてもなんとかなるのではないかと言う誘惑。
必死に戦うより、早いうちに降伏して相手の機嫌を取った方がいいのではないか?
そんな説まで出てくる始末だ。
おまけに、「敗戦したライオン族が王位を持っていて大丈夫なのだろうか?」などと言う、国内紛争にさえ発展しかねない思想をもつものが、そこら中に湧いているのだ。
ここは国王たるレオンが何とかしなければ、ビーストバニア獣人国が空中分解しかねない。
「大和帝国だ」
暫し、考えを巡らせたのちレオンはその名を口にする。
「はっ、いまなんと?」
「大和帝国から兵器を輸入しよう。いや、上手くいけば支援と言う形を引き出せるかもしれない」
「それは、不可能……いえ、しかし、考えようによっては……」
「可能だ。彼らは我が国の崩壊を望んでいるわけではないからな」
そう、大和帝国はビーストバニアの崩壊を望んでいるわけではない。
いや、むしろ存続を望んでいる。
何しろ、せっかく、話が通じる政権が完成したのだ。せめて賠償金を払い終えるまでは生き残っていてもらわなくては困る。
「しかし、元敵国。それほどうまくいくでしょうか?」
「マー。僕は、国のためならエリュテイア総統の足だって舐めるつもりだ。尻の穴を舐めてもいい」
「……陛下、なんというお覚悟。立派になられた」
涙ぐむ老将軍マー。
若き王がすべての名誉を投げ捨ててでも国に忠を尽くそうとする姿。その姿に感激しているのだ。
「ついでに踏まれて冷たい目線を向けられてもいい。「ゴミですね、あなたは」とか言われてもいい」
「……陛下、それは趣味が多分に含まれているのでは」
「そ、そんなわけないだろう? ただ国を想って……」
歪んでしまった性癖を隠し切れず、顔を引きつらせるレオンであった。
だが、彼の考えはおおよそ上手くいき、ビーストバニア獣人国は大和帝国から格安で兵器を輸入することに成功する。
……もっとも、それは鉄パイプの先端に余っていた銃剣を溶接しただけの『ホームガード・パイク』と呼ばれる簡易槍だったが。
無いよりかはマシだろう。
ちなみにこの槍は「敵である人間から直接輸入するより、元仲間の半獣人を間に挟んだほうが彼らの国民感情を刺激しないだろう」という大和帝国の計らいにより、エリュサレム半獣人国を仲介役として販売されることになる。
その転売利益で、エリュサレム半獣人国は若干潤うのだが……まあ、それは今は関係ない話。
ともかく、ビーストバニアの苦しい戦いはまだ始まったばかりなのだ。
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