第三十五話 獣の王と最強メイド
しめしめ、上手くいったぞ。
総統専用艦『富嶽』により、王都ライカンバニアまで連れて帰られたライカン二世はほくそ笑む。
王印を取りに帰らなくてはならない。まあ、これに嘘はない。
王印無しには、書類を王家の正式なものとすることはできない。だから、降伏もできない。ここまでに嘘偽りは一切ない。
だが、素直に降伏するかと言えば話は別だ。
陸でも負け、海でも負け、何をどう頑張っても勝てないのは十分理解した。生殺与奪も相手の自由であることも頭では十分理解出来る。
だが、ライカン二世にとって敗北とは受け入れがたいもの。
勝てないのであれば……逃げるしかない。
逃げ切るチャンスが皆無であれば、降伏するかもしれないが……彼にとっては幸運か、不幸か彼はそのチャンスを再び手に入れたのだ。
いつもの様に喫水不足からライカンバニアの沖に停泊した富嶽。
そこから、発進した内火艇に乗ってライカン二世はライカンバニアに上陸する。そこまではいいのだが……。
「……なにか?」
と、不機嫌そうにライカン二世を睨みつけるのは一人のメイド――アヤメ。
内火艇を操縦する兵士一人は別として、このメイド一人が監視役としてついて来たのだ。
このメイド、自ら監視役に立候補したのだ。しかも一人で。
自らの君主を「緊縛放置プレイ」の名目で寝室に閉じ込め、反対派を押し切っての単騎出撃。
「何のつもりだ、メイド。貴様一人で監視役など……務まると思っているのか?」
「ええ、もちろん」
凛とした態度でライカン二世に相対するアヤメ。
ライカン二世はそんなアヤメを暫し観察する。
濡れ羽色の黒髪を肩の長さあたりで切りそろえた凛とした少女だ。人間としては美しいのだろう、獣人であるライカン二世もそう思うくらいには整った容姿だ。
体格は……女性としては平均的、いや少し低いくらいか? 小柄なエリュテイアと並べば高く見えるだろうが、実際にはそれほど高くはない。
筋肉も筋骨隆々のライカン二世と比べれば貧相そのもの。華奢なメイドと言ったところだ。
だが……。
「自信満々だな、メイド。俺がお前を殺し逃げるとは考えないのか?」
そう問うと、アヤメは鼻で笑った。そして「もし」とだけ答えた。
――“もし”できるのであればやってみろ。そういう意味である。
メイドと国王。
二人の緊迫した空気の中、内火艇はライカンバニアの港に到着する。
整備の遅れた中世風の港には突如襲来した大和帝国艦隊を見るべく、多くの人が集まっていた。
「おい、見ろ! あのでかい船を! あれは人間の艦隊だ!」
「我が水軍は敗れ去ったのか!? そんな馬鹿な! 生涯無敗のライカン二世が率いる艦隊が!?」
民衆たちは、近づいてくる内火艇を指差し、叫ぶ「ライカン二世だ! 国王は生きているぞ!」と。
そんな彼らの前に、降り立つライカン二世。
顔面は血まみれ、腕は縛られ自由はない。
「ああ、国王陛下がなんて姿に……」
「ボロボロだ、やはり我が水軍は敗北したのだ」
「タイガーバニアでも決戦に負け、ここでも負け……このままでは獣人は……」
その姿を見て、ライカンバニア市民は艦隊の敗北を悟った。人間国家に囚われた、それだけは間違いがないと。
暗く沈みこむ民衆たち。
だが……。
「聞け! 忠実なる獣人諸子よ! まだ、我々は負けていない! ここにいる人間を殺し、再び戦端を開くのだ!」
ライカン二世の命令により息を吹き返す。
もとより、ナショナリズムによる愛国心は高い。あとは、独裁者の命令があれば戦える。
彼の命令にそれに素早く反応したのは、ライオン族の衛兵隊。
何事かと港に集まっていた彼らが、真っ先にアヤメに槍を突き付けたのだ。
その数は……およそ20。そんな大人数で一人の少女を包囲したのだ。
「これはこれは、ライカン二世殿。敗北を認めるとおっしゃったのは嘘で?」
「馬鹿め! こんな絶好のチャンスがあるのに逃げない奴がいるものか! 騙される方が悪いのだ!」
何度も何度もぼこぼこにされて、敗北を味わったライカン二世。だが、今回は話は別だ。たった一人の少女相手に、数多の衛兵と、万の市民だ。
負けるはずがない。
勝利を確信し、思わず高笑いする。
だが……。アヤメは涼しい顔。後ろにいる内火艇の操縦手に「逃げておきなさい」とだけ命令を下す。
「ふん、こうなるのはわかっていたようだな。そして、犠牲者を自分一人に抑えるつもりだったのか。見上げた心意気だ、貴様が薄汚い人間でなければ俺の部下に欲しいくらいだ」
可愛がってやるものを、とライカン二世は下品な視線をアヤメに向ける。
「ご冗談、死ぬつもりなど毛頭ありません。それに、私は永遠にエリュさんのモノ。今までも、これからも、千年先も、万年先も……」
このアヤメ、いや、アヤメとエリュテイアは事実上の不老不死だ。
数百年と言うゲーム時間をプレイするアバターとその副官。無限に近い時間を生きるただ二つの生命体。
だから、アヤメは異常にエリュテイアに執着する。
彼女の生涯に付き合えるのは、同じく無限の寿命を持つエリュテイアだけだから。
そして……300年と言う『ラスバタ内』の時間を生きてきただけあって、アヤメは決してか弱い少女ではない。
「殺せ!」
ライカン二世の鋭い命令。
それに従い、衛兵が槍先を揃えてアヤメに突撃する。
「やったか!」
周囲を囲い、突撃する衛兵。それはまさに肉の濁流。衝突の瞬間、ライカン二世は思わずそう叫んだ。
だが、それはフラグ。
「残念、外れ。惜しかったですね」
アヤメは、槍を避けるために空中高く飛びあがった。
「それがどうしたのだ! 空中では受け身がとれまい! やれっ!」
衛兵たちが空中のアヤメに槍を向ける。
着陸すれば串刺しだ。
だが……。
「あまり長引かせると、エリュさんが困りますから……おしまいです」
アヤメが手を振り上げた次の瞬間、ばたりと衛兵が一斉に倒れる。体がばらばらに引き裂かれて。
瞬きするほどの一瞬で血の海になった港。
もはや、槍を向けるものはいない。そこに一人降り立つアヤメ。
「ば、ばかな! こ、これは魔法か!?」
「お答えする必要がありますか?」
メイドたるもの強くなくてはならない。
エリュテイアを守るためだけに存在するアヤメ。彼女にとって銃すら持たない雑兵を蹴散らすことなど造作もないこと……。
「さて、ライカン二世殿。この裏切りの代金は高くつきますが……お覚悟はよろしいでしょうか?」
アヤメが一歩踏み出す。
ただ手を一振りしただけで衛兵隊を蹴散らした化け物メイド。恐怖にかられ、ライカン二世の腰が砕ける。
「お、おい、民衆! このメイドを殺せ! そして、俺を、このライカン二世を助けろ!」
必死に命令を下すライカン二世。
だが、それに従う民はいない。もしこれが、衛兵が八つ裂きにされる前であれば皆喜んで王の命令に従い、アヤメに襲い掛かっただろう。
だが、目の前で衛兵が一瞬で八つ裂きにされ、王が情けなく腰を抜かしている状況で「はい、今向かいます」と言える者がどれくらいいるだろうか?
おい、お前が行けよ。いやだ、お前が先だ。
真っ先に向かえば死ぬ。このメイドの訳の分からない魔術で八つ裂きにされる。
――『死』。
それこそが、この争いを抑止する唯一の力。絶対に死ぬと分かっていれば、人は戦いを挑まない。
「う、うぉぉん! だ、だめだぁ!」
誰も助けてくれないと分かるとライカン二世は一目散に逃げ出した。
そして……。
「もうここまでですよ。父上」
「ぐふひゅ……なぜだ、レオン。この父を……!」
ナイフで突き刺され、その生涯を終えた。
逃げ出したライカン二世を、その進路上に立っていた王子レオンが刺殺したのだ。
「あなたは……」
「レオンです。ビーストバニア王位継承第一の。父が亡くなったので……次期国王となります」
そして、彼は周囲を見渡した。沖合いに泊まる大和帝国の軍艦、引き裂かれた衛兵の死体、ボロボロになっていたライカン二世の惨状。
「状況は理解しています。わが父が何をしようとしていたのかも……」
父の敗北、そして、何らかの理由をつけて逃げ出そうとしたことも全て彼は理解していた。
だから、彼は父を殺した。これ以上大和帝国を刺激しないように。身内の罪は自ら清算しなければならない。
それがこの戦争を、勝ち目のない絶滅戦争終わらせる数少ない手段だと分かっているから。
そしてレオンは深々と頭を下げ腰に佩いた剣をアヤメに差し出す。
「これをあなたの国の王へ……。ビーストバニア獣人国は貴国に降伏します」
こうして、ビーストバニア戦争は終わりに向かい始める。
舞台は再び『富嶽』に戻る。
数え切れないほどの血を流し“戦場”で勝敗を決める段階は終わった。これからは“議場”にて最後の戦いを行うのだ。
変態とメイドは総じて強い。そんな気がします。