第三十三話 ライカンバニア沖海戦 後編
ドン、ドン、ドン、と一定のリズムで太鼓の音が海原に鳴り響く。
その音に合わせて、ビーストバニア水軍のガレー船は櫂を動かす。
彼らが進む先にあるのは、戦艦『富士』率いる帝国海軍第一艦隊だ。
「こ、国王陛下……敵艦は以前見た物より一層巨大で……」
「お、臆するな! 我々には無敵の獣人精神がある! 見よ、敵艦は舷側を晒している! そこに必殺の衝角攻撃を仕掛ければ勝機はあるのだ!」
ド級戦艦2隻、装甲巡洋艦4隻。
以前ライカンバニアにやって来た防護巡洋艦『千代田』、その数倍はあろうかと言う巨大な船影にビーストバニア艦隊旗艦『雄々しきライカン二世号』の甲板上は恐怖に染まる。
だが、この男ライカン二世だけは全く臆することはなかった。
いや、臆することができなかった。
すでに、大和帝国軍にタイガーバニアの戦いで蹴散らされた彼は、この海戦で何としても勝利を得るほかなかった。
それは、王都を守るという面でも、ライオン族の族長がビーストバニア獣人国の王家であるためにも重要なことだ。
ここで負ければ、いや、ここで戦わないだけでも彼の王族としての正当性は失われてしまうだろう。
まさしく背水の陣だ。
退くことは断じてできない。
だから、「いや、あんな巨大な鉄の巨艦に突っ込むなんて無理があるだろ?」と逃げ腰の水軍卿であるカバー卿を急かしていたのだ。
「突撃! 攻撃戦あるのみ!」
大きく回頭して丁字有利を確保し、舷側を晒している大和帝国第一艦隊。
いつでもビーストバニア艦隊を砲撃できる状況だ。20世紀の艦隊戦において、丁字陣形は圧倒的な有利。それは、誰もが知るところだろう。
だが、この世界ではそんな常識通用しない。ガレー船による衝角攻撃が基本のこの世界では舷側とは最大の弱点。
丁字陣形とは、その弱点を無様に晒している状況に他ならない。
「カバー卿よ! 敵艦隊は狂ったのだ! だから側面を晒すなど愚かなことをしたのだ! いまだ、突撃、突撃、突撃ッ!」
千載一遇の好機。
そう判断したライカン二世は、まさに神に感謝しながら戦いに身を投じていくのだった。
だが、当然それは神が与えた幸運などではないし、その選択肢は彼に取って勝利への道筋になるわけでもない。
「敵ガレー船接近。数23。敵旗艦は先頭艦の模様、国王を確認できます」
「了解、旗艦のみ目標から外し射撃開始」
大和帝国第一艦隊旗艦『富士』。
その司令塔では、命令が飛び交い、そして、その命令に従い数百人の乗員と2万トンの巨艦が動く。
31センチの主砲を二門収めた四基の砲塔が重々しく動き、突撃してくるビーストバニア艦隊の一隻を捉える。
「目標、敵ガレー船、距離1200、うちぃかた始め」
そして、砲手の「うちぃかた始め」の号令と共に発砲。
爆炎と共に重量400kg近い31センチ砲弾が撃ち出される。
「……敵艦爆発!」
「自滅か!?」
31センチ砲の発砲。その巨大な発砲炎にビーストバニア艦隊はざわめく。
それもそうだろう。基本的に王都に配備されているビーストバニア水軍はこれまで、大和帝国の砲撃を見たことがない。
だから、この段階では大和帝国が何をしたのかわかっていないのだ。
だが、ライカン二世は違う。
「カバー卿! 敵の魔法攻撃が来るぞ! 大規模な爆裂魔法だ、気を付けろ!」
「はっ! 艦隊は各々突撃しながら回避! 伝令兵は早く信号を送れ!」
先のタイガーバニアの戦いで『砲撃』というものを理解した彼は、発砲と同時にそれが極めて危険なものであると理解したのだ。
だが、理解したからと言って何かできるわけではない。
この時、帝国第一艦隊とビーストバニア艦隊との距離は僅か1,2km。
どの船にライカン二世が乗っているのか確認するために、長距離砲戦を主任務とする戦艦が肉薄したという理由があるが……。
そんなことは、どうでもいい。
問題なのは、この超至近距離では弾着までの時間が極めて短く艦砲の命中精度が極めて高いということだ。
爆炎、轟音。
旗艦『雄々しきライカン二世号』の数百メートル隣を進んでいた船「麗しのスワン号」が31センチ砲弾の直撃を受け無残にも弾け飛ぶ。
「う、うわ! な……い、一撃だと!?」
そのあまりの威力にライカン二世がそう漏らした瞬間。ぐわんっ、と『雄々しきライカン二世号』が揺れる。
砲撃の衝撃、水柱が起こした波が彼の乗る船を大きく揺さぶったのだ。
猛烈な揺れに「う、うぉえぇぇ……」と汚物をまき散らすライカン二世。
だが、それを汚いと思っている時間はない。
大和帝国の艦艇は『富士』一隻ではないのだ。
同型艦の『八島』、及び巡洋艦が一斉に砲撃を浴びせ、次々にガレー船を沈めていくのだ。
必死に回避しようにも、僅か1kmほどの距離で、しかも彼らが乗っているのは鈍足のガレー船。
逃げることもできず、ただ「な、なんでこんな船に乗せたんだ!」と上官に文句を言うことや「おお、神よ! 哀れな小猫をお救い下さい!」と神頼みすることくらいしかできない。
無数の水柱が立ち上り、空中からは砲撃で吹き飛ばされた船の破片や肉片が降り注ぐ。
木造の小型船が戦艦の砲撃を受ければどうなるかなど、最初から分かっていたことだ。
勝負はここに決した。
ほんの数斉射後には、ほとんどの船が沈み、ビーストバニア艦隊に残っているのはライカン二世の『雄々しきライカン二世号』のみになっていた。
一方の大和帝国艦隊は弾薬を消耗した以外はダメージすらない。
「ま、まだビーストバニアは……ライオン族は……獣人は……」
敗北したライカン二世は、現実を逃避しうわごとを繰り替えずばかり。
夢破れた哀れな王の末路だ。
一方、勝利した大和帝国側はと言うと……それほど、勝利の喜びを味わってはいなかった。
ガレー船に戦艦を率いて挑めば勝って当然、喜ぶほどのものでもないと言ったところだ。
……たった一人を除いて。
「す、素敵ですわ! 東堂おじさま! この調子でエルフも倒してください!」
「それは無理な相談です。我々軍人は総統閣下の命令に従うのみ。エルフとの戦いに関しては、閣下に相談していただかないといけませんな」
戦艦『富士』の艦橋。
そこでは、聖女ロシャーナが大喜びで連合艦隊司令長官の東堂に抱き着いていた。
……自分の胸を押し付けながら。
まあ、所謂ハニートラップ的な奴である。祖国『セレスティアル王国』解放のためには、大和帝国の協力は必須。
だから、恥を忍んで聖女様は頑張っているのだ。
もっとも、効果はないようだが。
大和帝国は国教と憲法にて巨乳崇拝を禁止している。貧乳である総統閣下の絶対性を守るために巨乳好きは許されていないのだ。
故に、帝国の高官の多くは貧乳好きだし、仮に巨乳好きでもそれは絶対に口にしない。
頑張って聖女様が豊満な胸を押し付けても、帝国軍人の心は動かないのだ。
「……っち、やっぱり効果はないようですね。エリュテイア総統本人を陥落させるほかないみたいですね」
「おや、聖女様何か言いましたか?」
「いえ! なんでもありません」
ニコニコと手を振って誤魔化す聖女様。
しかし、そうなるとあのヤンデレ貧乳メイドが邪魔ですね……と、心の中で思いながら。
さて、この時点でビーストバニア艦隊は残り『雄々しきライカン二世号』のみ。
帝国海軍はこれを拿捕すれば、任務達成と言うわけだ。
「この任務、できれば鮫島に任せたかったが」
「彼の『千代田』は第二艦隊所属ですからね」
「ここにはいない。残念なことだ」
防護巡洋艦『和泉』の艦橋では、くいっと帽子を被り直しながら、艦長若林が「敵艦拿捕のために接舷せよ」と命令を下していた。
戦艦や装甲巡洋艦など、大柄で鈍重な艦では拿捕に多少手間取るため、小型の『和泉』が拿捕任務を与えられたのだ。
勝利する道筋を完全に失い、絶望に染まるライカン二世。
彼は大した抵抗も見せずあっさり捕まった。
そして、見せしめに彼の船『雄々しきライカン二世号』は戦艦『富士』『八島』二隻の主砲一斉射で吹き飛ばされる。
この砲撃により、ライカンバニア沖海戦は終結した。
ビーストバニア艦隊の全滅と言う結果を残して。
ざっくり解説『この世界の海軍』編
東方大陸においては「火砲」が存在していないので砲撃戦と言う概念はほとんど存在せず、接舷からの乗り込み戦闘が基本となる。
そのため、ビーストバニアに限らず、ガレー船が海戦の主役になっている。
さらに、異種族と陸で国境を接しているという地政学的な都合上、海軍に予算は掛けられず、どのの国でも貧弱なものとなっている。
一応、西方大陸のエルフは高い魔法技術を使い新兵器を開発しているが、ド級戦艦と喧嘩できるかと言えば……お察しで。
戦艦どころか防護巡洋艦でも過剰戦力。転移後の経済力低下を考えれば、帝国海軍も軍縮が必要なのかもしれない。
……が、しかし、総統閣下は海軍大好きっ子である。軍縮は不可能だろう。