第三十二話 ライカンバニア沖海戦 前編
ビーストバニア軍10万が消滅したタイガーバニアの戦い。
その戦場から命からがら王都ライカンバニアに逃げ帰った国王ライカン二世。
そんな彼だが、新たな脅威に直面していた。
「国王陛下! 敵の艦隊が王都を目指して進撃中との情報が入ったクマ!」
「な、なんだとっ!」
ライカンバニアの王城。
そこに据え置かれた玉座に座っていた彼は、軍務大臣のベアー卿の報告に驚き思わず腰を上げた。
「そ、それはいつ到着するんだ!」
「情報によると明日には……」
当然、この情報は大和帝国が半獣人情報部を用いて彼らに掴ませた情報だ。
本来であれば、高速で洋上を動き回る大和帝国艦隊の動きをビーストバニア側が知ることができるはずもない。
「くそっ! 忌々しい毛無し猿め! ベアー卿、王都まで失うわけにはいかん!」
「わかっているクマ! 我が水軍に出撃命令を下すクマ!」
「うむ、では指揮官は……」
そこまで口にした時、ライカン二世の脳裏にとある光景が浮かぶ。
それは、かつて大和帝国の大使を殺害した時、防護巡洋艦『千代田』が見せた動きだ。大使を殺した瞬間、泡を食ったように尻尾を巻いて逃走する姿……。
「そう言えば奴らめ、でかい船を持っていたが怯えて逃げていったな……。陸戦では強いのかもしれんが、海戦ではそれほどでもないのか?」
暫し考え込むライカン二世。
タイガーバニアの戦いの大敗で『国王の権威』に傷がついているのは事実だ。
そして、ビーストバニア獣人国は多数の獣人種族による連合国家だ。国内諸侯の間では「このままライオン族について行って大丈夫か?」と不安視する声もある。
ライオン族の族長であるライカン二世が国王に相応しくないとなれば……その先は言わなくても分かるだろう。
このままでは、国王の座が危うい。
一度大きな勝利を得て、国内の諸侯にライカン二世の力を見せつける必要があるのだ。
確かに、大和帝国軍の力は強大だ。戦いを挑めば十中八九負けるだろう。
それは、あの戦いでライカン二世も身に染みて理解している。何しろ、十万の兵が何もできずに薙ぎ払われたのだから。
だがしかし、迫りくる敵艦隊に勝利すれば王都を守り切ることができ、そして、それ以上のメリットを得ることができる。
それに100パーセント負けると決まったわけではない。あの日、大和帝国の大使を殺した日、大和の軍艦は逃げたではないか。
奴らが絶対に勝てるという確信を持っているのであれば、逃げはしまい。
「……艦隊は、この俺自ら率いる。ベアー卿よ、留守を頼む」
「わかったクマ! ご武運を祈るクマ!」
こうしてライカン二世は海に出る。艦隊を率いて。
そんな国王の背中を、息子であるレオンは不安げに見つめるのだった。
翌日。
王都ライカンバニアの沖、数キロ。
ライカン二世は、ビーストバニア水軍総旗艦『雄々しきライカン二世号』に乗って穏やかなバルカ海に漕ぎ出していた。
この『雄々しきライカン二世号』は、全長40メートル、排水量100トンの大型ガレー船で、五段櫂船とも呼ばれる種類の船だ。
最大で400名もの乗員を有するビーストバニア史上最大の巨艦。
国王であるライカン二世の名が冠されるまさにビーストバニアの艦隊の誉れだ。
……と、言っても所詮は木造のガレー船。大和帝国最大の艦艇、ド級戦艦『富士』と比べると小舟みたいなものである。
そして、そんな『雄々しきライカン二世号』の周囲を守るのは22隻のガレー船。こちらは『雄々しきライカン二世号』より一回り小さい三段櫂船。
排水量は50トン程度、乗員も200名程度。旗艦の半分程度の大きさになるだろう。
いずれもこれと言った武装は持たず、衝角による突撃かあるいは乗員による乗り込み戦闘が戦闘のメインになる。
旗艦『雄々しきライカン二世号』の甲板に据え付けられた玉座。その玉座の上では「グルァァ……」と力なくうなだれるライカン二世の姿があった。
「陛下、船酔いですかな?」
「グルゥゥ……このライカン二世が船酔いになる情けない男と思うか? 水軍卿」
「いえ、そのようなことは」
カバの獣人にて水軍卿を務めるカバー水軍卿は、どこからどう見ても船酔いに陥っているライカン二世を心配する。
が、ライカン二世に睨まれ即座に退散する。
ライオン族はそもそも顔が怖いのだ。それに睨まれたら誰だって臆する。
そんな彼らの視界の先に、幾筋もの黒煙が現れる。
「国王陛下、いよいよですな」
「グルァ! 来たな毛無し猿め! 海のモズクにしてくれるわ!」
そう、それは蒸気機関の煙。大和帝国海軍の登場である。
大和歴304年11月22日。
蒸気機関が吐き出す黒煙。
波を切り裂く鋼鉄の巨大な船体。
重厚感あふれる光景31センチの巨砲。
戦艦ってやっぱりいいですよね……。
ビーストバニア獣人国、王都ライカンバニア。
ボクは、総統専用艦『富嶽』に乗ってその十数キロ沖にまでやってきました。帝国海軍第一艦隊も一緒です。
まあ、なんていうか、その……。
「納得できないんですよね、ボクは」
「……どうしたんですか、エリュさん? ほら、戦艦ですよ」
富嶽艦橋の総統席。
艦長席っぽいそこにアヤメさんのお膝の上に座る形で、着席しているボクはちょっとした理不尽に不満を漏らします。
だって……。
「ロシャーナさんは、富士に乗れているのに……」
前を見れば戦艦『富士』『八島』の第一戦隊、装甲巡洋艦4隻の第四戦隊が一列にならんで単縦陣を形成しています。
カッコいいですね。
その先頭の『富士』には、ロシャーナさんが乗っていて観戦武官的なあれで戦闘を観戦しているそうです。
羨ましいですね。
戦艦に乗って戦場に向かえるんですよ? ボクは、アヤメさんがダメっていうから、なかなか乗せてもらえないのに……。
「もう……エリュさんは仕方のない人ですね。私のお膝の上では我慢できないと?」
「そうは言ってませんけど……」
むう……。
なでなでと、後ろから太ももを擦ってくるアヤメさん。内ももには触らないでくださいね。
ボクも日本海海戦のアドミラル東郷に憧れる男の子でしたから、戦艦に乗って陣頭指揮を執りたいというロマンがあるわけですよ。
なのに……はぁ。
「閣下、先頭の『富士』が敵艦隊を補足しました。敵旗艦には……予想通り、敵国王ライカン二世が搭乗しているようです」
「ん、間違っても海のモズクにしないでくださいね」
了解、と敬礼する艦長夜桜さん。
去り際にさりげなく、「藻屑ですよ、総統閣下」とボクの頭を撫でていくのはどうしてなんでしょうか?
お姉さんって、感じの雰囲気で嫌いじゃないです。
あと、アヤメさん、そんなに夜桜さんを睨んだら可哀想ですよ?
「っち、あの女、私のエリュさんに……」
「いいじゃないですか、頭をなでるくらい」
「駄目です。はぁ……エリュさんは乙女心を理解していないんですね」
大きなため息をつき、さらにさりげなく耳元に息を吹きかけてくるアヤメさん。
乙女心ねぇ……分かれば苦労しませんよ。いろいろと。
さてさて。
そうこうしている間に艦隊も忙しく動き出してきました。前方を進む主力艦隊は“取り舵一杯”。
丁字の形を取るように敵艦隊の行く手を抑える艦隊運動ですね。伝統の丁字戦です。
「敵艦隊正面より接近、我が艦隊の主力は急速回頭。……閣下?」
座ったまま戦いを見届けるのもなぁ、と思い立ち上がると夜桜さんに「急にどうしたんだこいつ?」みたいな視線を向けられてしまいました。
……ほら、アヤメさんも立ってください。手でも繋ぎます?
「……それで、敵艦隊の戦力は?」
「ガレー船約20」
ん、なら大丈夫そうですね。
さっさと船ごと王様捕まえちゃいましょう。それで、脅して降伏させて戦争は終了です。