第二十九話 タイガーバニアの戦い 中編
「ぱんつぁーふぉー!」
総統エリュテイアの号令の下、タイガーバニア内に待機していた親衛隊戦車大隊が城門から出撃、突撃を開始する。
パンツァーカイルを組み、土埃を巻き上げながら進むそれはまさにスチームローラー。圧倒的な重圧を持つ鋼鉄の軍勢だ。
さらに、その後方にはトラックに分乗した親衛隊歩兵部隊が続く。
これらの部隊は、親衛隊機甲大隊を主力にさらに各師団の捜索連隊から装甲部隊を抽出。それに、親衛隊自動車化歩兵大隊や騎兵隊を追加し、作り上げられた即席機甲部隊だ。
この部隊で敵軍左翼を一気に突破、この決戦を終わらせ、そして機械化部隊の速力をもって追撃、敵国王の鹵獲まで狙ってしまうという大和帝国の大胆な計画だった。
大日本帝国の戦車ハ号とフランスのルノーFT-17を足して二で割ったような外観を持つ戦車、三式軽戦車。
その大群がタイガーバニアの平原を駆け抜ける。
今回の戦争に旧式戦車である九九式軽戦車は参戦していない。全て最新鋭の三式軽戦車だ。
帝国が誇る最新鋭機甲部隊の速力は――なんと、驚異の時速7キロ。
遅い。
あまりにも遅い。
徒歩よりかは速いが……と、言った感じの速度だ。
……だが仕方ない。
そもそも、三式軽戦車は塹壕突破と歩兵支援を目的とした第一次世界大戦型の軽戦車であり、第二次世界大戦のような高速を生かした電撃戦を行う戦車ではないのだ。
不整地の最高速度は駆け足程度、それで十分とされていたのだ。
そんなポンコツの三式軽戦車だが、この戦いにおいてはまさしく無敵の移動要塞だ。
「て、敵の……なんなんだあれは?」
「わからん……鉄の塊が動いている?」
「ご、ゴーレムの一種だ! 矢を放て!」
総統閣下に率いられた大和帝国装甲部隊が突撃していく先は、ビーストバニア軍左翼。そこに所属していた獣人兵は、この未知の物体に恐怖していた。
どういう原理かは分からないが、鉄の塊が動いている。
必死になって矢を放つのはサル系の獣人たち。
普通の猫や犬の獣人だと、おててが肉球になっている。
肉球は、人間の“手”と比べると不器用で、武器を持つくらいならできるが器用さが必要な矢など扱うことができない。
だが、お猿さんの彼らは手先が器用で様々な武器を使うことができるのだ。
お猿さん部隊が展開し、突撃してくる戦車に遮二無二弓を放つ。
放たれた無数の弓矢は……。
「……アヤメさん、なんか装甲に当たってますけど。こんこんって」
「矢ですね、危ないのでキューポラから顔を出さないでくださいね、エリュさん」
最前線を進む総統の戦車に命中するものの装甲にあっけなく弾かれ……。
「それでは、反撃しましょうか? 全戦車、射撃を開始してください」
お返しに主砲の37mm砲弾を浴びせられる。
「だ、だめだ! 矢が弾かれる!」
「後退! 後退っ!」
数十輌の戦車から浴びせられる砲撃、銃撃に猿獣人の戦列は瞬く間に崩壊し、後退を余儀なくされる。
開戦寸前まで「ふんっ、この俺様が人間なんてけちょんけちょんにしてやるぜ!」と粋がっていたサル族の族長。
そんな彼も、この攻撃の前には一気に弱気になり「も、もうだめだ、逃げるんだぁ……」と尻尾を巻いて撤退を開始している。
「くっ、左翼が押されておるぞ!」
「陛下、敵の鉄の化け物が攻めてきたクマ! 増援を送らねば駄目クマよ!」
機甲部隊の投入により、ただでさえ劣勢だった戦況が一気に崩壊に近づくビーストバニア軍。
その様子を見て、ライカン二世は地団太を踏むが……。
「ええい! ベアー卿よ! 何でもいい予備部隊を出せ!」
「……もうないクマ」
「なんだと!? こっちには10万の兵がいるんだぞ!?」
力なくベアー卿は首を横に振る。
もう投入できる予備隊などどこにも存在しない。
何しろ、元々本陣を構えていた丘の上さえ、前線から5kmほどしか離れていない。大和帝国の砲兵隊の射程内なのだ。
ほぼすべてのビーストバニア軍の部隊が射程に収まっているせいで、もれなく砲撃を受け、少なからぬ打撃を受けているのだ。
今、無傷の部隊は、国王を誤射することを恐れ、大和帝国の攻撃目標から外されていたライカン二世率いるライオン族の部隊くらいだ。
……その部隊も督戦隊として働いており、増援として送れない。
この時点で、ビーストバニア軍の崩壊は時間の問題だった。
砲撃により指揮系統は混乱、さらに、なんとか前進できても機関銃の嵐の前に皆倒れる。
撤退しようにも、後方にはライカン二世率いる督戦隊が展開中。
さらに、左翼には総統自ら率いる大和帝国機甲部隊が前進中、側面から攻撃を開始している。
唯一逃げられる右翼側はと言えば……そこは海。
海に隣接しているタイガーバニアの街を攻める都合上、一方向を海に面するのは仕方がないこと。
だが、これで完全に逃げ道を失ってしまったのだ。
最初10万を数えた軍勢も、1万、2万と減っていき、すでに半数が討ち取られている。
会戦開始から2時間。
通常ならとうの昔に撤退を考慮するべきだが、ライカン二世にその選択肢はない。
ここで退いてしまえば、獣人と言う種族の沽券にかかわる。それに……。
「俺は、偉大なる王になるべきなのだ……こんなところで、半数以下の人間軍に負けていいはずがない!」
彼自身のプライドが何があっても敗北を許さなかった。
前に!
前に! 前に!
ひたすらに突撃を命じるライカン二世。
しかし、いかに命令を下そうと、もう彼の命令は前線の兵士たちには届かない。軍勢同士の連絡網は砲撃により完全に寸断されているのだ。
そして……。
「へ、陛下! 毛無し猿の鋼鉄兵器が!」
「なっ、なにっ!」
ライカン二世のいる本陣に駆け込んできた伝令兵。彼が指さす先には、ビーストバニア軍戦列を突破してきた戦車の群れ。
総統閣下率いる機甲部隊だ。
このままでは、本陣、ライカン二世の後方さえ危うい……。
「負けるのは屈辱的だが……ここで、死ぬわけにはいかん! ベアー卿、撤退するぞ!」
命の危険がその身に迫った瞬間、ライカン二世は瞬時に「負けてはならない」というプライドを捨てる。そして、傍らに立つベアー卿に命令を出す。
そして、ベアー卿も即座に「では前線の兵に退却命令を出すクマ!」と反応する。
……しかし。
「駄目だっ! 軍の後退は許さん。この俺が逃げるまで持ち場を死守するのだ! 全滅してもだ」
「そ、それは……しかし!」
「10万の兵は確かに大軍だが、再編成できないわけでない。兵などいくら死んでも代わりはいる。だが、このライカン二世に代わりはいない! この俺が捕まることの方が問題だ!」
たった一人。
国王の命を守るために、前線で戦う将兵たちすべての命を捨てるという命令。ライカン二世が選んだのはそう言う命令だ。
ベアー卿は、その命令を何としても拒みたかった。
だが。
「ベアー卿よ。死守命令を出せば、お前も逃げられるぞ」
耳元でささやかれる悪魔の言葉。
その言葉にベアー卿は、首を縦に振ってしまった。ライカン二世の甘い誘惑に乗ってしまったのだ。
彼の脳裏に浮かぶのは、愛おしい妻ともうすぐ成人を迎える若い娘。まだ死ぬわけには……。
「死守せよ! 死守するクマ!」
「そうだ、その意気だ! よし、我らは逃げ出すぞ!」
「わかったクマ!」
そして、いくつかの側近、護衛を引き連れ本陣を後にするライカン二世たち。その逃げっぷりは、まさに矢の如く。
指揮官を失い残された兵士たちは、さらなる絶望の戦いに身を投じていくことになるだろう。