第二十七話 決戦前日
タイガーバニアの街を見下ろす丘の上。そこに、ビーストバニア国王ライカン二世は立っていた。
彼の前方には、ずらりと並ぶ10万の兵隊。タイガー族、キツネ族、ウサギ族、ライオン族……さまざまな部族の兵士が集まり、歴史に名を残すであろう大軍を形成しているのだ。
その光景を見て感極まるライカン二世。
「グォォォッ! 見よ、苦難の道を越えて俺はここにいるぞ。ビーストバニア史上最大の軍を率いてな!」
「苦節数か月、ここまでの道のりは果てしなかったクマ……」
やつれた顔のベアー卿。
10万の兵隊を、王都ライカンバニアからタイガーバニアに行軍させる。
言うは易く行うは難し。
どれほどの苦労があったか、それは彼らでなくとも想像できるだろう。
補給、と言う概念やそれを遂行するための技術が発達していないこの世界。こんな世界では大軍を運用することは極めて困難だ。
いや、困難どころではない。
技術レベルがあまりに低く、大真面目に後方から補給をしようとすればするほど補給状況が悪くなるほどなのだ。
よく「補給を気にしない奴なんて馬鹿」と言う人もいる。
だが、中世……いや、蒸気機関が開発されるまでは、むしろ、現地調達に頼った方が上手くいくのだ。
一人の兵士が一日に消費する食糧の重量は1kg。馬車の運搬能力は精々200kg程度。
つまり、10万の兵士を養うには一日あたり500輌の馬車が必要になる。
だが、これだけではない。
さらに、ライカンバニアからタイガーバニアまでの距離は、200km。
馬車が前線に到達するまでの日数は早く見積もっても一週間、一日あたりの7倍、3500輌の馬車がないと途中で補給が途絶えてしまう。
さらにそこから補給を終えた馬車が拠点に帰っていく時間も考えれば……その倍、7000輌くらい馬車があれば長期間補給できる計算になるだろう。
……と、油断するのはまだ早い。この計算には『補給隊そのものが消費する物資』が入っていないのだ。
馬車を扱う輜重兵にも食事が必要だし、さらに馬車を牽く馬は人間の十倍は食べる。つまり、一日あたり最低で11kgの物資を消費するのだ。
これらを計算に入れると、補給隊の数は数倍に跳ね上がり……まあ、5万輌くらいの馬車があれば安定して補給できるのではないだろうか?
もっと多くあった方が安定するだろう。
想像してほしい。
舗装もされていない中世の狭い道を数万の馬車が隊列を組んで進む姿を。
最低限の食糧だけでこの有様。これに、生活に必要な物資を増やせば……さらに多くの馬車が必要になるだろう。
本隊を遥かに超える大軍団の完成である。
むしろ、そいつらを突撃させた方がマシなのでは? と思うような事態が発生するのだ。
これを解決できるのはより大量の物資を効率よく運ぶことができる蒸気機関の登場。
それ以前もある程度の補給は行われていたが、それより「補給? 前線の街から奪うぜ!」みたいなことが、むしろ『最も合理的な手段』として普通にまかり通っていたのである。
そう言うわけで、あの手この手で道行く先から食料を徴収しながら頑張って200kmの旅路を越えて前線に到着したライカン二世。
その苦労は筆舌にしがたいものがあるだろう。彼らが進んできた道の後ろには、自国の軍隊の略奪に苦しむ国民の姿があるのだ。
だが、その苦労のかいもあって今まさに彼は、10万と言う大軍を率いて戦場に立っているのだ。
「陛下! 我らタイガー族に、汚名返上の機会を頂きたい!」
「いや、ここは最も忠実なしもべ、キツネ族に先陣を!」
「いやいや、僕たちウサギ族の兵隊が一番多いんだからさ? 僕たちが一番槍を務めるべきだよね?」
ライカン二世の下に跪く、各族長。
自軍は10万の大軍、一方の大和帝国軍はと言うと……。
「見よ! あの哀れな人間の軍隊を! 数は多く見積もって3万! そして、怯えたネズミのように穴倉に籠っているぞ!」
塹壕陣地にて防御姿勢を固めた二個師団3万。塹壕戦を知らぬ獣人たちにとっては、穴の中に隠れるという行動が滑稽に見えて仕方がない。
こちらは数で優り、さらに相手は穴に籠る軟弱ぶり。
勝利を確信した族長たちは、手柄欲しさに先陣を切る許可を求めているのだ。
まさに大戦果は目前、優越感に浸りつつ「グハハハッ」と高笑いするライカン二世。
「よしいいぞ、攻撃は明日決行だ! ウサギ、キツネ、トラよ。貴様らに先陣は任せる」
こうして、ビーストバニア側の準備は整った。
一方の大和帝国側は……。
大和歴304年11月11日。
バルカ王国から前線のタイガーバニアに帰ってきて早数か月。
バルカへの観光旅行、なかなか実りのある旅行でしたよ?
一週間くらいですかね、あの国に滞在したのは。その間に、バルカ国民とはなんだかんだか仲良くなれましたし、兵器の方もある程度は売れました。
結局、女神扱いされたままですけど。
その辺の影響で、これまでより食糧輸出量も増やしてもらえたので、国内の飢餓問題も少しは改善できたと思います。
まあ、その代償としてバルカ王国に、『抱え大筒』を装備した筋肉モリモリマッチョマンの変態戦列歩兵が現れてしまったんですけど……。
上半身裸で、大筒抱えて、戦列を組むマッチョの大軍……強そうですけど、全く持って美しくない。
あれと見比べるとメイド親衛隊が、まともに見えてしまいます。
戦場においてメイド服に実用性なんてものは皆無ですけど、見た目は可愛いですからね。
親衛隊と言うことで、総統であるボクの身辺警護や儀仗部隊も兼ねていることを考えれば、あのメイド服にもある程度の合理性があるのではないでしょうか?
うん、たぶん。
きっと。
さてさて。
ボクは双眼鏡を片手にタイガーバニアの城門の上に立っています。
周囲を見渡しても……うん、あまりいい景色ではないですね。
11月ですから季節は秋、大和本土に帰ってみれば、紅葉が綺麗な季節です。今年は紅葉狩りもできていませんから、寂しい限りです。
前線でも秋を楽しみたいところですが、赤道に近いビーストバニア半島では秋なんて言葉はどこへやら。
どこを見ても秋らしい光景はなく、夏の雰囲気を感じ取ることができます。
そんな、ビーストバニアの一都市『タイガーバニア』。
城門の上から、その前面に広がる平原を見下ろしてみれば二つの軍勢が展開している光景を目にすることができます。
一つは、我らが大和帝国。
第一海兵師団と第三師団の二個師団、計3万の兵力がタイガーバニアの街を背に塹壕を掘って防衛体制を整えています。
さらに、後ろを振り返って、城壁の中を見てみれば、機甲大隊を備えた親衛隊もいつでも出撃できるように準備態勢を整えています。
そんな我が軍に対峙するのは、ビーストバニア諸侯軍。
国王ライカン二世に率いられた獣人約10万からなる大軍で数キロ離れた丘の上に本陣を布いているようです。
武装は……槍とか剣とかですかね? 遠くてよくわかりませんが、普通の中世風の軍隊です。
っと、誰かが城壁の階段を上ってきていますね。この感じは……。
「総統さん! 総統閣下さん!」
「……どうかしましたか、ミケさん」
親衛隊半獣人情報部に所属することになったミケさんですね。ぴょこんとネコミミも跳ねて元気そうで何よりです。
「新しい情報です! 獣人軍、明日動きます」
……そうですか。
いよいよですね。敵軍の到着までが無駄に長かったので、我慢できずこっちから撃ってしまうところでしたよ。
敵陣地はこっちの砲兵の射程内ですし。
けど、頑張って我慢しましたよ。
だって、敵の攻撃は始まる前から砲撃で吹き飛ばしてしまったら戦いにならないじゃないですか?
ボクたちが求めているのは、戦闘における完全勝利です。
相手がなんと言い訳してもぐうの音も出ないほどの圧倒的な勝利です。
奇襲だとか、奇策だとか、そう言うのは一切不要、正面からぶち合ったって火力で薙ぎ払う。
この戦いでやらなくてはいけないことは「どう頑張っても獣人ではボクたち大和帝国に勝てないと彼らに認識させること」。
どんなに多くの軍を集めても、どんなに正々堂々戦っても、ビーストバニア獣人国はボクたち大和帝国に勝てない。
負けを認めないと死ぬ、そう敵の国王に認識してもらわなければいけないんです。
それこそが『衝撃と畏怖』の第二段階……。
さて、明日になるまで一休みしましょう。
「……おや、エリュさん。『富嶽』に戻りますか?」
「ん、そうします」
ほら、アヤメさん、『富嶽』まで連れて行って下さい。ボク一人だと迷子になっちゃいますよ?
えっ、抱っこしてくれるんですか? ……それは恥ずかしいのでいいです。
「まあまあ、そんな遠慮せずに、ほら抱っこ」
ちょっ……お姫様抱っこって……もう、仕方ない人ですねぇ。
……このタイガーバニアの街、結構不衛生なんですよね。下水道とか無いですし。
だから、寝るときは一々、『富嶽』に戻っているんです。ふかふかのベッドと衛生環境の整った寝室……これに勝るものはありません。
それに、どこで寝ていてもアヤメさんが襲って来ることに変わりはないですし。
実は船を使えば劇的に補給が楽になります。実際、大和帝国軍はそうやって補給をしています。船の輸送能力は馬車の比ではないですから。
獣人たちもそうすれば、現地調達に頼らなくて済むのですが……まあ、大和帝国相手に制海権を奪えるはずがないですよね。