第十八話 人でも獣でもない少女
これは、イエネコ島に住む人間にも獣人にもなれない可哀想な『半獣人』の少女――ミケのお話。
イエネコ島北岸の都市『イエ・キャットバニア』。
猫系獣人イエネコ族たちが暮らす島、イエネコ島で唯一の都市。産業と言えば漁業くらいしかない、人口1000人ほどの小さな漁師町だ。
そんな街の中心には、他の建物よりちょっぴり豪華な建物がある。
イエネコ族を束ねる老猫、族長デカキャット12世の屋敷だ。
屋敷の廊下をのっそのっそと重たそうに歩く、長い毛におおわれたでっぷりと太った老猫獣人。
醜悪な外観をした彼こそが、デカキャット12世だ。
「おい、貴様!」
「ひゃっ、ひゃい! なんでしょうか?」
屋敷に響き渡るデカキャット12世のしわがれた怒声。
その矛先は廊下の掃き掃除をしていた半獣人の奴隷ミケ。猫耳を持った彼女は、驚き、びくんと体を硬直させる。
自分は何か悪いことをしたのだろうか?
命令通り、掃除をしていただけなのに?
驚き身を固めたミケに、デカキャット12世はずかずかと歩み寄る。そして、手に持った堅い樫の杖で彼女の頬を思いきり殴りつける。
「薄汚い半人間のくせに、このワシの前で二足歩行をしたな! 頭が高いぞ、今すぐ這いつくばれ」
「も、申し訳ありませんでした……」
理不尽な殴打。
そう、彼が怒っていた理由は“奴隷が生意気にも自分の前で立っていた”から、それだけだ。
倒れ伏し、必死に土下座し許しを請うミケ。
デカキャット12世はそんな少女を情け容赦なく蹴りつけ、「ふんっ、醜い毛無し猿モドキめ」と唾を吐きかけその場を後にした。
傲慢で、自分以外の全ての生き物を見下すイエネコ島の支配者。それがデカキャット12世なのだ。
いや、これは彼に限ったことではない。
奴隷を有する獣人たちは皆同じような態度を取るだろう。
自分たち獣人以外の人権を一切認めない。自分たちと少しでも異なる存在は、即座に攻撃し奴隷とする。それが、獣人と言う生き物だ。
そんな獣人に奴隷として仕える。
それが“半獣人”という種族に生まれたミケと言う少女の人生だった。
――『獣人』。
と、一言に言っても、この世界にはいくつもの種類が存在する。
例えば、それぞれの動物の種族。
犬系の獣人だったり、猫系の獣人だったり、あるいは、ライオン型だったり、ゾウ型だったり。
とにもかくにも獣人と言う生き物は種類が多い。この世に存在する大型哺乳動物と同じくらいの種類はいると思った方がいいだろう。
それだけ種類が多ければ、差別の一つや二つ発生しそうなものだが、今のところは無いらしい。
この世界には、エルフや人間と言ったそもそも獣人ですらない種族が多々存在しているからだろう。
外見が多少違っていても獣人は獣人。
エルフや人間と言った強大な敵を前に、同族同士で差別し合っている余裕などどこにもないのだ。
ただし、それはあくまで『獣人』の範囲内に収まっていればの話。
一応は獣人に分類されるものの、獣人たちの間で奴隷階級として差別されるものも存在している。
それが、ミケを始めとした『半獣人』と呼ばれる人々たちである。
二足歩行の獣といった容姿の獣人と違い、半獣人は所謂ケモミミ人種である。
四足歩行をすれば「あっ、動物だ」となるほど獣に近い外見をしている獣人たちと違い、耳や尻尾などを除けばほとんど人間と容姿は変わらない。
パッと見れば獣人よりか、人間に近い生き物に思えるだろう。
実際、通常の獣人とは遺伝的に離れた生き物で交配は不可能。半獣人と言う名前こそ付いているものの完全に別の生き物である。
限りなく外見は人間、獣人との交配は不可能。
これだけの条件がそろって、排他的なこの異世界で差別されずに生き残れるはずがない。
半獣人たちは、獣人たちから「半人間」「毛無し猿モドキ」「獣人のできそこない」などと呼ばれ、蔑まれ他の異種族同様奴隷扱いされてきたのだ。
そして、哀れなことに彼らはこの状況から逃げ出すことはできなかった。
獣人たちから「半人間」と呼ばれているからと人間の領域に逃げ込めば「半獣人」と呼ばれ、獣人扱いされ差別されて排除される。
エルフの領域に逃げ込めば、そもそもエルフではないからと奴隷にされる。
さらに、彼らは少数民族であった。
獣人から独立して国を作るにはあまりに少数派、人口比では十対一。
獣人相手に独立戦争をすれば即座に民族浄化される、そう言った規模の人口しか存在していない。
生きるためには獣人の奴隷であるしかない。
上位種を自認する獣人の命令は絶対、死ねと命じられれば死ななくてはならない。命令に逆らえば死刑だ。
獣人の前では二足歩行は許されない。できそこないのくせに二足歩行とは頭が高いから。獣のように地を這うことを要求される。
これに反すれば、最低でも殴られることになる。獣人様のご機嫌次第では殺されることもあるだろう。
服を着ることも許されない。
獣人たちにとって半獣人が服を着るということは、毛皮を脱ぎ捨てた醜い毛無し猿が、獣人様の真似事をするということだからだ。
全裸で獣のように地面を這いずり、獣人たちの奴隷として一生を過ごす。
それが、半獣人たちに与えられた人生の全てなのだ。
デカキャット12世が立ち去って数分後、土下座の姿勢で地面に伏せることになったミケの猫耳がぴょこんと動く。
周囲に誰もいないか確認しているのだ。
「よし、族長もどこかに行ったね……」
そして、誰もいないと判断すると箒を手に立ち上がる。
くうくうと少女のお腹が鳴く、お昼ご飯の時間だ。
半獣人奴隷に与えられる食事は三日に一回、基本的には残飯だ。そして、今日はその食事の日なのだ。
三日ぶりの食事。
午前のお仕事はもうおしまいだ。
ミケは屋敷に併設された奴隷小屋のエサ置き場に足を運ぶ。さて、今日はどんな食事なのだろうかと若干の期待を抱いて。
「うえぇ臭い……」
しかし、その期待は裏切られる。
家畜小屋と見紛う奴隷小屋、そこに帰ってきたミケを待っていたのは酷い食事だった。
カビの生えたパン、腐った魚の頭、雑草汁。蛆がわいていそうな汚物を、ぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたものが小さなエサ置き皿の上に置かれていた。
こんなもの食べられるものではない。が、食べなくては生きていけない。
それに、運が悪いとこれに糞尿が混ぜられている時もあるのだ、今日はまだマシだ。
「いやねぇ、半獣人は薄汚くて……毛並みもボサボサ、なんて醜い種族なのかしら……」
とうの昔に壁が壊れ、修理もされない吹きさらしの奴隷小屋。
この小屋は、大通りに面しており、それはさながら見世物小屋だ。
「おい見ろよ! 残飯なんて食ってるぞ! できそこないの半獣人め!」
「石を投げてやれ! ほれっ!」
通りすがりの猫獣人にゴミを見るような視線を向けられ、石を投げられながら、ミケは美味しくもない食事を無理やり胃の中に押し込む。
当然、半獣人であるから全裸で。
少し時間が経てば、仲間の半獣人たちが奴隷小屋に集まってくる。そして、みんな顔をしかめ、蔑むような視線に耐えながら食事ともいえない食事を取るのだ。
惨めで悲しくて、けど、死ぬに死ねない。
原始的な生きることへの欲求、このまま惨めに死にたくないという気持ち、そんな感情がミケ達の生きる数少ない原動力だった。
ミケは祈る。
神様、私たちを、半獣人を助けてくださいと。
贅沢は言いません。寝床だって藁のままでいいですし、家の壁だって無くていいです。
ぼろきれでもいいから服を着て、美味しくなくてもいいから腐ってないものを食べて……それだけでいいんです、と。
その願いは叶うことになるだろう。
遥か海の彼方から、鋼鉄の軍艦が今まさにイエネコ島にやって来ているのだ。
即席の揚陸指揮艦と化した『富嶽』の艦橋で、軍服を身に纏った総統閣下が命じる。
「海兵隊上陸準備、海軍は艦砲射撃にて支援。早く戦争なんて終わらせて、クリスマスまでにはおうちに帰りますよ」
総統の命令の下、軍勢が攻撃を開始する。イエネコ島掌握のために。