第十四話 国交樹立ならず
大和歴304年5月10日。帝国が異世界転移してから約二か月。
この日、大和帝国はついに異世界の国家と本格的に関わりを持つことになった。
現在場所が把握されている国家『バルカ王国』、『ビーストバニア獣人国』、『大天モルロ帝国』、『黒エルフ皇国』の四か国に対し、国交樹立のために大使を送り込むことにしたのだ。
それぞれの大使は、軍艦に乗り数千キロの船旅を経て、大和人にとって未知の東方大陸にたどり着く。
そして、そこで、たった一人を除き全く同じ結末を迎えるのだ。
東方大陸、ビーストバニア半島。ビーストバニア獣人国王都『ライカンバニア』。
ライカンバニア、それは海に面した城壁に囲まれた都市で、人口は2万程度。
国家の首都機能を持つ都市であり、中世程度の技術力しか持たないこの世界としては大きな都市だ。
外観はごく普通のファンタジー都市……強いて特徴を上げるとすれば、若干、建物がボロボロになっているくらいだ。
そんなライカンバニアの港で、一人のライオン型獣人が高らかと血の滴る槍を掲げていた。
その槍の穂先には人間の生首。
ビーストバニア獣人国に対し、大和帝国が送った大使の首である。わざわざこの地にやって来た直後、話も聞かず槍で突き刺され、首を斬り飛ばされたのだ。
あまりに残虐、あまりに酷い仕打ち。
近くには大使とともにやって来た護衛官数名の死体も転がっている。
「グルルァッ! 見よ、大和帝国と名乗る国からやって来た、薄汚い毛無し猿を討ち取ったぞ!!」
槍を持つライオン男――ビーストバニア獣人国国王ライカン二世が吼える。そして、その周囲の民衆たちも同様に咆哮する。
彼らには人間を殺したということに対し欠片ほどの罪悪感もない。いや、まるで、それを行うことが絶対的な正義であるかのような感情すら抱いている。
「うぉぉぉッ! さすが偉大なる国王ライカン二世! 百獣の王ライオン族の屈強なる長!」
「いいぞ! 毛無し猿どもを皆殺しにしろ! あの船も沈めてしまえ!」
大使の殺戮。
それだけで、21世紀の国家からすれば卒倒モノの行為。世界の警察を名乗る米軍が殴りこんできても文句は言えない行為だ。
だが、その行為に与えられるのは非難の声ではなく歓声。
この世界では異種族を殺すということは、どうあれ歓喜すべきことなのだ。
さらに、獣人たちはそれだけでは止まらない。地球と違って『人権』と言う言葉すらないこの世界に生きる彼らには、ただ、大使を殺すだけではまだ足りないのだ。
血と暴力。それをまざまざと見せつけられ、獣人たちは人間に――正確には自分とは異なる異種族に対する恨みを爆発させ一挙に暴徒と化す。
そして、そんな彼らが次に目指した目標は、大使を運んできた巡洋艦『千代田』である。
喫水不足から港に泊まることができず、沖合に停泊する『千代田』めがけて、港に停泊した各々の船――漁業用のボートや古臭いガレー船に乗り込み勢いそのままに突撃を開始したのだ。
その様子に驚愕する『千代田』艦長鮫島。
当り前である。
国交樹立のために大使を送りこんだら、王様みたいなやつが出てきて、さあお話が始まるぞと思ったら、まともに話すこともなく大使やその護衛がまとめてサックリ殺された。
さらになぜか民衆が手漕ぎの船で襲い掛かってきているのだから。
まともな神経をしている人間なら、何が起こっているのかと混乱するだろう。
「……こいつら狂ってやがるな。あんな手漕ぎのボートしか持ってないくせに、3000トンオーバーの巡洋艦に喧嘩を売るとは。大使も殺されちまったし、ここは逃げの一手だ」
「反撃しないのですか? 大使の仇は?」
だが、『千代田』艦長は冷静さを保った。そして、無抵抗に逃げると宣言する。しかし……と、納得できなさそうな副長。
彼が言いたいのはこうだ。
目の前で同胞が理不尽に八つ裂きにされて殺された、それを見て、すごすごと引き下がることができるのか?
副長の訴えもよくわかる。鮫島だって、目の前で同胞が八つ裂きにされて黙っているほどお人よしではない。
軍人として大使の護衛と言う任務を果たせなかった罪悪感も大きい。
だが、鮫島は決定を覆さない。
「駄目だ、勝手な発砲は許さん。ここで、俺一人で戦争始めるわけにはいかんだろう?」
「……しかし、こちらは国交樹立のための大使が殺されたのです。この仕打ちに対しては断固報復するべきです! 大使殿の御霊が浮かばれません。艦長には人としての心はないのですか?」
「さぁてね……お前にはどう見える?」
そう答えた鮫島の顔に表情はなかった。全くの無表情。絶対零度で凍ってしまったかのような表情。
それを見た副長は察する。
鮫島と言う男は、感情を隠すような男ではない。彼は、まさに海の男を体現したような自由な男だ。
怒りたければ怒り、泣きたければ泣く、嬉しいことがあれば真っ先に笑い、悲しいことがあれば誰よりも悲しむ。
そんな男が、今一切感情を表に出していない。いや、出してはいけないと思っているのだ。
「軍人としての責務を果たせ、副長。軍人に感情は不要だ」
「……はっ、了解しました」
「なに、総統閣下ならわかってくれるさ。そうすれば、堂々と陛下の御旗を背負ってあの蛮族共に一撃喰らわせることができる」
鮫島とて、こんな明らかに頭のおかしい蛮族に成すがままにされるのは不服だ。軍人が背を見せ敗走することほど情けないことはない。
だが、それでも、軍人は軍人の務めを果たさなくてはならない。文民の、ましてや総統の意向を無視して、勝手に戦争を始めるなどあってはならないのだ。
「よし、機関一杯、全速で逃げるぞ。なに、手漕ぎのガレー船では20ノットのこいつの足には着いてこれんよ」
黒煙を濛々と吐き出しながら遥か洋上に撤退していく『千代田』。
それみて獣人たちは吼える。
「うぉぉ! 見たか、あんなデカい船に乗っているのに逃げたぞ! 弱小ハゲ猿め!」
「やはり獣人こそが優れたる種族なのだ! 毛無し猿を殺せ! そうでなければ奴隷にしろ!」
「あんな醜い生き物と話し合いなど出来るか! 戦いあるのみ!」
各々の小舟の上で、鬨の声を上げる獣人たち。
彼らは酔いしれる。束の間の勝利に。
そのほんの数十分後、遥か西方、大和本土に各方面から無線連絡が届く。
それは、ビーストバニア獣人国に送った大使が殺されたというだけではない。
そのほかの国、大天モルロ帝国、黒エルフ皇国に送った大使も同じように残忍な殺され方をしたというものだ。
唯一、国交樹立に成功したのはバルカ王国のみ。
相手が蛮族であることについてある程度把握していたが、まさか大使がこうもあっさり殺されるとは思っていなかった大和帝国は、これに対し、緊急御前会議を開催。
総統官邸に各種官僚が集まり、東方大陸に対する協議が行われようとしていた。