第百三十二話 総統閣下と医務室
揺れる艦内、真っ白なシーツ、アルコールの匂い……。
そして……。
「エリュさん? 怪我をしているんですから、動いちゃだめですよ?」
ボクが寝かされているベッドの枕元で、心配そうにこっちを覗き込んでいるアヤメさん。
はい、どうも、戦地で名誉の負傷をして総統専用艦『秋津洲』の医務室に運び込まれ、本国に送還されているエリュテイアです。
……まあ、名誉の負傷と言うのは嘘ですけど。
本当のことを言うと、一連の戦闘が終わってティーガーから降りるときに転んで膝をすりむいただけです。
ただ……。
「た、大変です、エリュさんの玉体に傷がっ! 医療班、今すぐエリクサーをエリュさんに投与してください! それから、本国の病院にエリュさんを緊急搬送します!」
と、アヤメさんを筆頭に親衛隊員が大騒ぎで……。
リンさんが、「エ、エリクサー!? 死者すら蘇らせる伝説の秘薬をただの擦り傷に!? 過保護すぎる!」と、困惑する中、変な薬は飲まされますし、緊急搬送されますし。
本当に酷いんですよ? リンさんが、ですね? ボクの膝を見つめながら呟くんです。
「あの膝にエリクサーが……ロンデリアの国家予算が……金貨100万枚の価値が……」
とかなんとか、すっごい虚ろな目で。
ちなみにロンデリアの一般的な金貨が100万枚もあれば、戦艦……は、ぎりぎり買えないですけど、大型の巡洋艦くらいなら買えます。
そんなものが目の前でボクのお膝の擦り傷のために消えたとあっては、目も虚ろになりますよ。
ほんと、何をしているんですかね、アヤメさん。
……まあ、終わったことは仕方がないです。
それはそれとして、未来に目を向けましょう。
「むう、たかが擦り傷くらいで、緊急搬送だなんて……。っと、それより、ボクがいなくなってから戦況はどうなっているんですか?」
気になるのは、ロンデリアの戦況です。
現在、時は大和歴312年9月14日。
エルフジア軍の攻勢が始まってから、約一か月になります。そろそろ、勝敗が付いていてもいいんじゃないかなぁ、って。
夜桜艦長がお見舞いのために持ってきてくれたリンゴをむいてもらうよう、目線でおねだりしながらアヤメさんに問いかけます。
「……ロンデリアですか? それなら、もう決着がついていますよ? 『親衛隊』の精鋭が、敵将アシガ・クッサイナーを仕留めましたから」
すると、リンゴの皮をむきつつ親衛隊のところを強調しながら、アヤメさんは答えてくれました。
ふむふむ、敵将と討ち取ったということは、敵の指揮系統を崩壊させた、と言った感じですかね?
「そんな感じです。陸軍が包囲した敵攻勢主力は、総司令官を失ったことにより有効な反撃作戦を行うことができず、二週間程度で餓死しました」
「……うわぁ、じゃあ、数十万の敵軍は全滅ですか?」
「はい、数千機の敵ゴーレムも同じく魔力切れでスクラップです」
敵主力は壊滅、ですか。
なら、もうロンデリア戦線は時間の問題ですね。
「……それと、残存敵兵力ですが。こちらも、補給がないので数週間以内に餓死するかと」
「と、いうことは、エルフジア軍はロンデリアで約300万の兵力を溶かした、ということですね」
ロンデリアにいたエルフジア軍300万人が戦病死……。
まだ開戦から一年しか経過してないですけど、エルフジア軍の人的資源をそこそこ削れたと言ってもいいんじゃないでしょうか?
当初の「ロンデリアを使ってエルフジア軍の戦力を消耗させる」という作戦は、ほとんど成功と言ってもいいと思います。
本当は、もうちょっとロンデリアを戦場にして削りたいところですけど……。
「……エリュさん。ロンデリアは、すでに軍民合わせ100万近い損失を出しています。そろそろ、限界ですよ」
「そうですね、これ以上は可哀想なので別のところを戦場にしましょうか?」
肉壁として酷使し続けたので、たぶん限界です。キリもいいですし、この辺でやめてあげましょう。
あとは敵海軍の動き次第ですけど……こちらの海軍が海上封鎖を行えば、ロンデリア戦線は事実上の終了、と言ったところでしょうか。
……あっ、リンゴはウサギさんの形にしてください。
「分かってますよ、はい、ウサギさんです。っと、それと我が軍の被害ですが、死傷者約1万名となっています」
「死者だけなら?」
「2000名ほどかと。攻勢当初、いくらか乱戦が発生したのでその時に……。最前線で戦い続けたチハも数十両が破壊されています」
ふむふむ……無傷とはいきませんでしたが、100万単位でエルフジア軍が死んでいることと比べると被害は軽微と言った感じですね。
チハに関しては、そろそろ、新型が必要でしょうか?
……けど、「へっぽこインフラでも使えるほど軽量コンパクト」で「誰でも整備できるほど高い信頼性」を持ち「敵の攻撃を防ぐ最低限の装甲」を有するチハを超える戦車なんて、なかなかないんですよね。
試作段階の次期主力戦車も、十分な性能を持たせようとしたら『M4シャーマン』とか『T34』並みの重量になってしまったみたいですし。
悩みどころです。
……っと、アヤメさん?
あーんしているので、そのリンゴ、早く食べさせてください。
「はいはい、エリュさんは甘えん坊ですねぇ。……それで、次はどうします? 陸軍としては、背後を固めるべく、ロンデリアから軍を移動させ黒エルフ皇国を壊滅させるつもりみたいですが……」
むぐむぐ……んぐ。このリンゴ、思ったよりおいしいですね。アヤメさんが食べさせてくれたからでしょうか?
……じゃなくて、黒エルフ皇国ですか。
確か、東方大陸にあるダークエルフの国家ですね。今後、エルフジア本国、西方大陸に進出していくなら後顧の憂いを断つためにも潰しておきたい国です。
ただ、ボクの陸軍が動くほどのことかなぁ、と思ってしまいます。
この国、エルフジアと比べるとすっごく弱いんですよね。
人口も1億人くらいとそれほど多くないですし、何より、技術力が中世とか近世レベルで強力な氷結艦もゴーレムによる装甲部隊もないんですよね。
戦列歩兵に毛が生えたくらいで、ボルトアクションライフルを持った歩兵でも十分制圧できてしまいます。
むしろ、戦車とハーフトラックで機械化されたボクの陸軍を投入すると、インフラ状況、コスパ的によろしくないです。
……なにより。
「……それに関してはボクに妙案があります。今度の大東亜共栄圏会議で発表しましょう」
ボクに、ちょっとした良い案があるんですよ。
ボクの陸軍を使わなくても、黒エルフ皇国を粉砕できる素敵な案が。ただ、外交政策が上手くいけば、の話ですけどね。
「では、そういうことにしておきましょう。それで、エリュさんの今後の予定ですが……まず、本土に一度帰還、病院で精密検査を行います」
「ふむふむ、それで」
「その後は、ロンデリアでの戦勝を祝って軍事パレードを総統官邸前広場で行います。本国の臣民が大きな凱旋門を用意してエリュさんを待っているんですよ?」
凱旋門……まるでナポレオン戦争です。いつの時代の話なんですかね?
ボクの国って、たまに変なこと始めますよね。まあ、内政に関しては、臣民にほとんど丸投げなので、ボクがどうこう言うこともできないですけど。
「その後は、傷を癒すために長期療養です。エリュさんは、私の水着姿を楽しみにしていましたよね? 実は、満州沖に良い感じの無人島を用意したんですよ」
そういって、ベッドサイドに腰かけつつ「南国って感じで、まだ暖かいですから……」と、ボクを抱き寄せるアヤメさん。
海に行って遊ぼうってことですね。
……むう。一国を統治する総統閣下が戦時下に療養目的とは言え長期休暇というのはどうなんでしょうか?
なんて、思っちゃいますけど。
「もちろん、エリュさんの水着もたくさん用意したのでちゃんと着てくださいね?」
と、耳元でささやくアヤメさん。……はい、そういうことです。ボクに拒否権はないんです。
おとなしく、アヤメさんと遊びましょう。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!
これにて、ひとまず第六章は完結ということにさせていただきます。面白いな、と思っていただければ感想、高評価など頂けると幸いです。