第百二十三話 満州沖海戦 前編
総統閣下が親衛隊に対して、ちょっとした不信感を抱いている頃……。
大和帝国海軍は、輸送船団を沈められたという事実に大きな衝撃を受けていた。
海洋国家『大和帝国』。
その生命線であるシーレーンの防衛を担う世界最強の帝国海軍が、田舎のファンタジー海軍ごときに一本取られてしまった。
それは、損害の大小にかかわらず、極めて大きな問題である。
総統閣下の信頼あってこその帝国海軍なのだ。
もし、この事で総統閣下が「海軍は役に立たない」なんて思ったら……海軍軍人は二度と太陽の下を歩けないことになるだろう。
帝国海軍の威信と名誉。
そして、存在意義を取り戻すためには、総統閣下に「さすが海軍!」と思ってもらう何かが……具体的には『不届きな通商破壊艦隊の撃滅』が必要なのだ。
斯くして帝国海軍は動き出す。
世界最強の名をかけて、総統閣下の前で恥をかかせてくれたベリヤ艦隊を全力で追い詰め撃滅するのだ。
のちに『満州沖海戦』と呼ばれる戦いの始まりである。
最初に帝国海軍が行ったのは偵察飛行。
戦闘機、爆撃機、練習機……満州の各飛行場から夜間飛行できるすべての航空部隊が飛び立ち、上空より偵察を行う。
視界の悪い夜間は偵察飛行には不向きではあるが、そんなことは知ったことではない。
敵艦隊を撃滅するために、どうしても敵を発見する必要があるのだ。
幸運なことに、輸送船団が最後に沈められた位置から、ベリヤ艦隊の位置はある程度推測可能だ。
その空域に可能な限り大量の航空機を送り込めば……物量で効率性を補ってやれば、その発見もそれほど難しくないだろう。
索敵開始からおよそ2時間。
まだ、夜明け前の暗い時間にも関わらず、偵察飛行中の爆撃機『連山』の一機が、洋上に単縦陣で航行する4隻の艦影を発見。
照明弾を投下し、その全容を確認した。
パッと、洋上を明るく照らす照明弾。その光に照らされて、排水量2万トンの巨大な氷の船体が白く輝く。
エルフ最強の『バシレウス級戦艦』だ。
――敵艦隊を発見セリ。
その報告を受け、満州の防衛を担う『第三艦隊』……前ド級戦艦である『敷島型』4隻からなる艦隊が洋上から追い詰める。
通商破壊が目的で艦隊戦を行いたくはないベリヤは、偵察機に発見された時点で、バシレウス級の最大速力20ノットで逃走を図るが……。
そこは練度に定評のある帝国海軍。
偵察機の情報と合わせ、ベリヤ艦隊の進路を完全に予測。
前ド級戦艦の速度の遅さを立ち回りでカバーし、先回りして逃げ道を封鎖する。
そして……。
満州時間、午前4時45分。
「東堂提督! 前方距離1万に敵艦隊を捕捉、偵察機が敵艦隊上空に照明弾を落としてくれています!」
「よし、これなら有利に戦えるな」
ついに両艦隊は会敵。
東堂提督率いる第三艦隊は、照明弾に照らし出されるベリヤ艦隊を前方距離一万に捕捉。攻撃の機会を得た。
帝国海軍のモットーである『見敵必殺』の好機というわけだ。
「総統閣下のために、敵を撃滅する千載一遇の好機だ! 各艦、面舵一杯、丁字戦にて敵艦隊を撃滅する!」
「よーそろー!」
このチャンスを逃すわけにはいかない。
第三艦隊の各艦――旗艦『三笠』を先頭に『初瀬』、『朝日』、『敷島』の四隻の前ド級戦は、闇夜に石炭の黒煙を吐き出しながら単縦陣にて突撃。
敵前回頭――日本人が『東郷ターン』と呼ぶ艦隊運動を行い、お得意の『丁字戦法』に持ち込む。
殲滅戦の構えだ。
その東堂の動きにベリヤは完全に翻弄されつつあった。
「……上空の敵機をなんとかして撃墜できないのかい? さっきから照明魔法を落としてきて鬱陶しいよ」
「かなりの高高度をワイバーン以上の高速で飛んでいるらしく、撃墜は困難です。――っと、ベリヤ司令、前方に敵艦隊を発見しました! 戦力は戦艦4隻!」
「むっ? 距離は1万……いや、8000ってところかな? かなり近いね、先回りでもされていたのかな?」
いや、それどころか、上空を飛び回る偵察機に気を取られていた上に東堂たちが暗闇の中、灯火管制をしながら肉薄してきたこともあり、『東郷ターン』を始めるまで、その存在に気づくことさえなかった。
さらに……。
「ベリヤ司令! 敵艦隊は、どういうわけか、我が艦隊の眼前で回頭しています! この瞬間、敵艦隊は我が方を狙えません!」
「あのような無防備な姿をさらすとは……どうやら、敵は後方に配備された二線級の艦隊のようです。練度も高くない! 戦いましょう!」
気づいた後も、目の前で行われている「敵前で無防備に逐次回頭する」という奇妙な艦隊運動に惑わされることになる。
ただでさえ、命中しがたい洋上での射撃。
直線に運動しながら、砲撃戦をするだけでもほとんど命中弾は出ないのに、回頭――急速な進路変更をしながら射撃して命中弾を出すことができるはずがない。
つまり、今の『第三艦隊』は一方的に撃たれる射撃の的のようなもの。
この機会を逃していいのか?
戦うつもりがなかったベリヤですら、『決戦』の二文字が脳裏によぎる。
しかも、この時点でベリヤは東堂の第三艦隊が速度の遅い旧式艦の集まりであることを知らない。
実際には、敷島型の速力は18ノットで20ノットのバシレウス級より遅い。本気で逃げ出せば、2ノットの速度差を活かし逃げ切れるのだが……。
そんなことをベリヤが知るはずがない。
だから、彼女の思考は「大和帝国の軍艦は高性能だから、きっと逃げても追いつかれる、いっそのこと、このチャンスを利用して敵を撃退した方が……」となってしまう。
そして、それは全て帝国海軍の狙い通りだった。
「ボクたちは、正面の敵艦隊を突破、本国に帰還する。各員戦闘配置! 敵の戦闘艦を狙え!」
東堂の思惑通り、配下の4隻のバシレウス級に突破を命じるベリヤ。
帝国海軍が待ち望み、彼女が絶対に避けなければならなかった決戦を自ら選んでしまったのだ。
もちろん、バシレウス級は腐っても戦艦だ。
戦えない非武装の輸送船ではない。
やられて堪るかと、4隻合計32門の20センチ級高濃度魔道弾発射機を撃ちまくり、第三艦隊旗艦『三笠』を沈黙させようとする。
数十発の光輝く魔導弾が闇夜を貫くように弧を描き、回頭を行っている『三笠』に降り注ぐ。
第一射、第二射、第三射。
遠距離砲撃に必須な『測距儀』も『統制射撃』も知らないエルフ達の射撃は、命中精度という点では期待できない。
だが、数十、いや、数百の魔導弾の雨を降らせれば……命中率の低さを少しはカバーできる。
矢継ぎ早に乱射される魔道弾。
そのうちの数発が、ズガンッ、という轟音と共に『三笠』の舷側装甲に命中する。
が……。
「艦長、被弾したようだが被害はどうなっているか?」
「舷側装甲に20センチ級と思われる砲撃命中。されど、損傷軽微。流石は229mmのクルップ鋼ですな。この程度の砲撃ではびくともしません」
戦艦である『三笠』は簡単にはやられない。20センチ以上の厚さを誇る自慢のクルップ鋼で弾き返す。
流石は敷島型の中で最も重装甲の艦、と言ったところ。
この艦をバシレウス級の砲撃で沈めたければ、もっと大量の……具体的には数十発の命中弾が必要になるだろう。
砲撃の命中率の低いベリヤ達が、短時間でそれほど大量の砲弾を浴びせることなど不可能に近い。
ぽつぽつと少数の命中弾を出すだけで、結果を出すことができず時間だけが過ぎていく。
そして……。
「東堂提督、各艦回頭終了しました」
「ウム、それでは、反撃の時間だ。各艦、撃ち方はじめ!」
時間切れ。
敷島型4隻が丁字戦の準備を整え、計16門の30センチ砲でお返しの砲弾を浴びせかける。
攻守逆転。
今度は大和帝国のターンである。