第百十八話 野獣とナチス
今回はちょっとストーリーの本筋から離れた閑話のような感じです。
かつて、狂った独裁者に支配され、世界を手に入れんと世界大戦を起した国家が存在した。
その名はナチスドイツ。
彼らは、その強靭な軍事力により一時は欧州の大半を支配下に治めたが、1945年、二度目の世界大戦に敗北したことにより解体され消滅し、地球上から消え去った。
連合国……ナチスが『国際ユダヤ』と呼称する人々は、この事を喜んだ。
狂った差別主義者はこの世から消え去り、狂気の軍隊が奏でる軍靴の音を聞くことは二度と無いと信じ、それに無上の喜びを感じたのだ。
だが、しかし。
彼らは完全に消え去ってなどいなかった。
醜悪な野望の火種は人々の願いを無視し、思わぬ方向に飛び火し、地球とは全く異なる異世界にたどり着く。
そして、再び燃え上がる。
彼らは再興の機会を狙うのだ。
時は大和歴312年1月1日。
人間とエルフ。
二つの種族が争う『大東亜戦争』、エルフが呼ぶところの『大祖国戦争』の最前線、ロンデリア王国。
その王都ロンデンの細い裏路地。
そこにひっそりと隠れるように佇む一軒のエッチなお店『サロン・ヒットラー』。
その「悪の秘密結社でもここまで悪を体現していない」と評されるほど、薄暗く恐ろしげな地下会議室に、明らかにヤバい連中が集まっていた。
彼らの名は『第三帝国』。
かつてナチスドイツを彩った悪魔たちが、異世界にて集まり作り上げた組織だ。
彼らを治めるトップは、会議室の上座に座る男。
背後に偉大なる総統『アドルフ・ヒトラー』の肖像画を飾る、もっとも重要な席に座る冷たい瞳と蜘蛛の足のように長い指を持つ細身の男性。
「やあ、皆さん。忙しい中、よく集まってくれましたね。勤勉で結構、今は亡き『我々の総統閣下』もお喜びでしょう」
金髪の野獣――ラインハルト・ハイドリヒ。
彼の役職は『総統代行』。
異世界において最も早く大和帝国に取り入り、政治的権力を手に入れた彼は、『人類の再編』という夢を抱きながら無念のうちに亡くなったアドルフ・ヒトラー総統に代わり、ナチス各員を統括する立場にあるのだ。
そんな彼の下に集まるのは、かつてナチスドイツを彩った狂人たち。
ハイドリヒ政権下で空軍大臣を務めるヘルマン・ゲーリング、同じく宣伝大臣ヨーゼフ・ゲッベルス、軍需大臣アルベルト・シュペーア。
そして、異世界らしい役職、オカルト趣味を全開にした『魔術大臣』ハインリヒ・ヒムラー。
彼らの目的はただ一つ『第三帝国の復活』。
……ちなみに魔王様は、「アカ狩りで忙しい」とのことで不参加である。
まあ、そういうわけで。
「会議を始めましょう。第三帝国を復活させ、国際ユダヤを殲滅するための会議を」
ハイドリヒのこの言葉で、ナチスたちの会議が始まる。ナチ党各員、いろいろ不満はありそうだが、背筋を正す。
権力闘争が常のナチスドイツ。
会議の場というのは、有力なライバルを蹴落とす最高のチャンスなのだ。
して。
「では、まず我々の財政問題に目を向けましょうか? 我々も組織である以上、金の問題は避けられません。ゲーリング君、シュペーア君、どうなっていますか?」
「あー、その……聞いてください、総統代行閣下。私は……」
会議早々、しどろもどろになるヘルマン・ゲーリング君。
そんな彼の隣に座るシュペーアはここが好機とゲーリング攻撃に移る。
「総統代行、ゲーリングのハインケル社による『次期主力戦闘機開発計画』は失敗に終わりました。こちらからの金銭収入はありません。赤字です」
「……それは、困りましたね。我がドイツの工業技術により、大和帝国の産業に食い込み金を稼ぐ。その重要な計画の一端だったというのに、ゲーリング君はしくじりましたか」
「はい、その通りです。総統代行、無能なゲーリングは失敗しました。しかし、私は成功です。エリュテイア総統がグミ好きという噂を聞き、グミ工場を作り、売り上げは上々です」
組織である以上、運営資金は必須。
それを稼ぐために、ナチスはあの手この手で頑張っていた。
例えば、新製品の開発。優れたナチスの技術者を集め、企業を作れば最高の商品を開発でき、それで一儲けできる……。
この思想の下に作られた企業の一つが、帝国ハインケル社である。
高性能な航空機を開発し、売り、儲けの一部をナチスの活動資金にする。
まあ、開発された『He112』は高性能を追求しすぎて失敗してしまったし、その他の兵器も「凝った設計」が嫌われて、少数精鋭の高級品としては採用されても、主力兵器としてはあまり採用されていないようだが……。
それはひとまず置いておいて。
甘いもの好きなエリュテイアがグミ好きであると知ったシュペーアによるグミ工場は売上上々であり、数少ないナチスの活動資金になっているらしい。
流石軍需大臣シュペーア、その手腕はいまだ健在と言ったところだろう。
「我が第三帝国はグミの売り上げで動く、ですか……ゲーリング君の処罰は後で行いましょう」
処罰、その言葉を前に「そ、そんなぁ」と涙を流すゲーリング君。
そんな彼をしり目に、ハイドリヒは次の獲物に目を向ける。かつての部下に全く頭が上がらない可哀想な『小物』ハインリヒ・ヒムラーだ。
「それでは次の議題、魔術大臣ヒムラー、最も重要な研究――『ゲート魔法』の開発は進んでいますか?」
「は、はひっ! も、申し訳ありません総統代行! 現在の人間の魔法技術では困難を極め……召喚魔法を用いて、同胞をこの世界に召喚することが精いっぱいで……」
「ふむ、まだ難しいですか。やはり、エルフの魔法技術を吸収する必要がありそうですね」
元親衛隊長官のヒムラー。
彼が開発しているのは、ハイドリヒが最も欲する魔法『ゲート魔法』だ。
彼の野望、『国際ユダヤの殲滅』及び『人類の再編』はあくまで『地球』での問題。
つまり、異世界にいる限りこの問題を解決することはできない。なんとしても、地球に帰還しなくてはならないのだ。
それ故に、彼らは地球と異世界を繋ぎ、行き来を可能とする魔法を何よりも必要としている。
当然、そのような複雑な魔法を開発することは困難であり、魔法の専門家でも何でもないただのオカルトオタクのヒムラーには少々難易度が高い。
できることと言えば、悪魔召喚の術式を弄り、旧ナチスの人間を優先的に召喚することくらいだ。
活動資金が足りないから仕方ないともいえる。
ちなみにグミは偉大なドイツの発明品である。
ただ、ハイドリヒは、大和帝国の軍事力を用いてエルフを征服しその魔法技術を奪い取ればある程度可能性を見出せると計算していた。
……まあ、実際、どこぞの聖女様の魔法で大和帝国という国家が召喚されるとかいう珍事も発生しているし、ハイドリヒの予測もおおよそ間違いではないだろう。
だが、しかし。
ことはそれだけでは終わらない。
仮にゲート魔法を用いて、異世界と地球を繋いでも『連合国』という名の『国際ユダヤ』との決戦が控えている。
これに勝つ戦力を用意しなくてはならないのだ。
そのためには……。
「大和帝国をドイツの同盟国としなくてはならない。宣伝大臣ゲッベルス君、どうですか、あなたの宣伝でこの大和帝国を親ドイツ、反ユダヤ的にできていますか?」
大和帝国を同盟国とすること必須である。
現在の大和帝国の工業力は戦間期の米国レベル。技術レベルこそ1920年代の終わりくらいでドイツに大きく劣っているが、その工業力、経済力はナチスドイツを上回っている。
例えば……。
戦前のドイツ乗用車生産台数はおよそ20万台である。
現在から見れば、非常に少なく感じるが、これでも当時としてはなかなか多い。日本なんて1950年になっても5万台くらいしか作ってないし。
して、肝心の大和帝国の生産台数はというと、なんと驚異の200万台。
300万台以上を生産する戦前のアメリカとかいう化け物国家を除けば圧倒的である。
おまけに、この異世界には大和帝国と競合するような国家は『神聖エルフジア共和国』しか存在しない。
つまり、この国を倒してしまえば、世界征服だってできてしまうのだ。
そうなれば、全世界の資源、市場を独占できる。米国……いや、連合国全てをまとめて倒せる工業力だって夢ではない。
大和帝国を仲間とし、反ユダヤ、親ドイツ的な関係を築ければ、国際ユダヤとの決戦において大きな力になることは間違いないだろう。
「……私の宣伝の手腕を疑っているのか? ハイドリヒ」
「ゲッベルス君、私のことは正式な呼称である総統代行と呼んで下さい。賢明なるアドルフ・ヒトラー総統の遺志を継ぎ、ドイツ民族の楽園を作り上げる使命を果たす。そのために必要な役職なのですから」
不満そうなゲッベルスに粛々と諭すように、語り掛けるハイドリヒ。
全てはヒトラーの遺志を継ぐため。
それが、この場にいるナチスをまとめる彼の方便だった。
それに対し、ゲッベルスはただ一言、「うまくいっている」とだけ答えた。政治的な権力を持つハイドリヒ、そして、ナチスの中では神聖視されるヒトラー。
この二つに、逆らうのはあまり得策ではない。
ちなみに。
親ドイツ政策だが、実際のところあまりうまくいっていないらしい。そもそも、大和人の他国民に対する価値基準の基本は「エリュテイア総統に対する忠誠」である。
要するにどんな『狂人』でも可愛い総統閣下に忠誠を誓い、命令に従えば『善人』。
どんな『聖人』でも、可愛い総統閣下と敵対し、その命令に逆らえば『悪人』である。
まあ、要するに大和人は自国の総統閣下以外に興味がない変態なのだ。
こんな連中に「ドイツ人良い人! ユダヤ人悪魔!」と宣伝したところで……その、効果があるのかないのか。
「……まあ、いいでしょう。では、本日の会議はここまでとしましょう。各員、断じて大和帝国の機嫌を損なわないように。この世界における支配者は彼らなのですから」
一応の報告が終わり、ハイドリヒの号令で会議は解散する。
そして、誰も居なくなった会議室でハイドリヒは振り返り、背後に飾られていた『アドルフ・ヒトラー』の肖像画を見上げる。
その目にあるのはただ「無能な老いぼれめ」という侮蔑の感情。
ハイドリヒは忠誠を誓わない。ハイドリヒは誰も信じない。
彼が信じるのはただ一人、自分だけ。
それは、大和帝国に対しても当てはまる。
ヒトラーに対し一度も忠誠を誓ったことがないように、大和帝国総統エリュテイアに対し、心からの忠誠を誓うことなどない。
そこにあるのは純粋な利害関係。
それが、ラインハルト・ハイドリヒというナチスが産んだ少し可哀想な男の全てだった。