第百十七話 司令少女と新聞
場所は変わって、エルフジア艦隊の根拠地『スカルフロー』。
その一角、艦隊司令部となっている建物の一室で小柄な少女――エルフジア艦隊司令官、ベリヤがゆったりと椅子に腰かけながら諜報員が盗んできたロンデリアの新聞を読んでいた。
「総統閣下、ロンデン支援……か、面白い記事だね」
「こちらの攻撃から三日と経っていないのに、すでに支援活動ですか。ベリヤ司令、敵も行動が早いですな」
「そうだね、まあ、それもあるんだけど……この絵を、見てみなよ」
そう言って、彼女は近くにいたちょっとMっぽい副官に新聞を渡す。
そこに写っていたのは、ベリヤそっくりの少女……総統閣下だ。
「これは……!?」
「この子、エリュテイアっていうらしいよ。ボクたちの敵、大和帝国の総統さ」
「このような少女が、総統……」
「別におかしな話じゃないだろう? ボクだって、この容姿だけど艦隊司令なんだし……もしかしたら彼女もボクと同族なのかもしれない」
「老いることができない呪いの血統、ですな」
「ベリヤ家の呪いだよ。初代ベリヤ家当主ラヴレンチー・ベリヤ、彼の性癖には困ってしまうね」
ラヴレンチー・ベリヤ。
その名を知らないエルフジア市民はいないだろう。
出自は一切不明、噂によれば異世界からやってきたともされ、エルフかどうかも怪しいらしい。
性癖は極度のロリコン。
ロリコンを極めた彼は、究極のロリを追い求め、生物を永遠にロリのままにしておく「不老の薬」を作り上げてしまったのだ。
その薬は時の権力者によって「おいおい、その薬、倫理的にどうなのさ?」と廃棄され、製造法も焼却されてしまったが……。
彼は一瓶だけこっそりと持ち出し、幼い妻にそれを飲ませたのだ。
それ以降、薬の影響でベリヤ家では一定以上の年齢になると老いない永遠のロリが誕生するようになったのだ。
と、まあ、そんなベリヤ家のことはひとまず置いておいて……。
ベリヤはやれやれと首を振ると、街から兵士が略奪してきた紅茶を口に運ぶ。
貧しいエルフジアでは、そうそう味わう事の出来ない上質の紅茶。
「……敵は強いね。ボクは、ここにきてそれを思い知らされたよ。この新聞、紅茶だけでも相手の経済力を知ることができるってものさ」
「はぁ……?」
「分からないのかい? 諜報員が簡単に拾ってくることができるくらい、人間領域内ではこの新聞が大量にばら撒かれているんだ。紙の大量生産ができるだけの製紙技術があって、識字率もある、さらに言えばこれだけ精巧な絵を描く技術も」
「そして、美味しい紅茶を前線まで運ぶ余力まである、と?」
「そうさ、ボクたちは士官が食べるものを運ぶので精いっぱいなのに、彼らは一般市民に嗜好品まで用意できるのさ」
ベリヤは、カップの中の紅茶の鮮やかな赤を見つめながら遠い目をする。
エルフの補給状況は最悪一歩手前だった。
それがどれほどかと言うと、「こんな補給作戦は無謀さ、セルフ通商破壊だよ」とベリヤがため息をつくくらいには酷かった。
てか、そもそも、エルフの船で外洋航行できるのは最新鋭の軍用氷結艦くらいしかない。
それ以外の船、輸送船などは時代に取り残された中世レベルの小型艦で、本来外洋航行なんてできない。
そんな船を無理やりかき集めて、大海原を渡り物資を運んでいるのだから事故が発生しないわけがない。
大和帝国が何一つしなくても、勝手に事故を起こして沈むし、届けられる量もごく僅か。
敵と戦う前から通商破壊を受けている……そう思えるくらい、エルフの補給状況は劣悪だったのだ。
「馬鹿馬鹿しい話さ。エルフの中には人間を魔法も使えない猿、なんて馬鹿にする人もいるけど、そう言う人に問いかけたい「キミは人間の何を知っているかい?」ってね」
そう言って、ベリヤはもう一度紅茶を啜る。今度は、窓の外……港に停泊する艦隊を目にしながら。
さっきまでは美味しかった紅茶だが、今後のエルフの未来を考えながら飲むと少しだけ不味く感じた。
「自信がなくなりそうだよ、ボクたちは敵艦の性能も詳しく知らないんだ。人間について、大和帝国について何も知らない。そんな状況で戦争を続けなければならない」
「自信家でナルシストのベリヤ司令らしくないですな」
「ボクだって、根拠のない自信はないさ。同志クッサイナーが残した報告書の後始末だけで大変だよ。不可視の攻撃、未知の巨大艦、敵は隠し玉をいくつか持っている、それを暴かないと勝負できない」
ロンデリア海峡海戦で、生き残ったワキガ・クッサイナー。
彼の残した報告書は、ベリヤにとってとても面白い物だった。
不可視の攻撃、未知の巨大艦……。何もかも、エルフの知らない未知の戦術。
「例えば不可視の攻撃だ。これの対処をどうするか? キミは何か良い案があるかい?」
「いえ、司令官殿、私にはどうすればいいか……」
「わからない。そうさ、誰にもわからない。ボクにだってわからない。その攻撃に関して、何も知らないんだからね」
不可視の攻撃――エルフ達がそう呼ぶ攻撃の正体は、潜水艦の雷撃だ。
この時点で、エルフ達は潜水艦のことを知らなかった。
一応、ベリヤなど一部の聡明な人物は「おそらく、そう言った類の兵器があるのだろう」と感じていたし、詳しく話をすれば同志ジリエーザが「……それは、ナチスのUボートというものだ」と、何かを思い出すかもしれないが……。
とにかく、現時点では詳細についてはわからなかった。
そして、分からないモノに対しては対処ができない。
「この点、まだ巨大艦の方が対処しやすい。目に見えているからね」
「こちらも同様の大型艦を建造すれば……対処可能と?」
「正解、キミも馬鹿ではないみたいだね。まあ、それ以外にもいくつか方法はあるが……ま、その辺は後々……」
未知の巨大艦――総統専用艦『秋津洲』も脅威だ。
主砲口径38センチ、常備排水量4万5000トン、20度の傾斜を持つ320mmの分厚い装甲。
既存のエルフ戦艦を上回る性能を持つ巨大艦、これを沈める効果的な手段をエルフは保有していない。
ただ、どんな存在かもわからない全く未知の潜水艦と違って、姿が見える分、ある程度性能に予測がつくので、まだ対処しやすく希望もあると言ったところだろう。
それに……。
「こちらの空中騎士団の能力不足も問題だよ。今の彼らでは、大和帝国に勝てない、精鋭の搭乗員を無駄にすり減らすだけさ」
「まさか、人間があれほどの兵器を持っているとは思いませんでしたからな」
「戦闘機、だったかな? 速度と火力、軽快な運動性、彼らは制空戦闘に必要なものをしっかり理解しているよ。こっちであれに対抗できるのは『ワイバーン』くらいだけど……」
あれを主力にすることはできない、そう言ってベリヤは大きなため息をつく。
人食い鳥を楽々と駆逐していく『五式戦闘機』。それに対抗するにはより強力なモンスター『ワイバーン』は必須。
だが、あれは、選び抜かれた精鋭しか運用できないという欠点がある。
簡単に数を増やし主力にはできないのだ。
「新兵器の開発はしているけど、実用化はまだ先。制空戦闘ではこちらが不利な状況が続きそうだよ。『フォッカーの懲罰』? だっけ、彼らはこの状況をそう呼んでいるそうだ。実に興味深い」
「……制空戦闘技術の開発を怠った我々エルフへの懲罰、ですか」
「そうともいえるし、人間からすれば侵略してきたエルフに対する懲罰ともいえる。……ふむ、まあ、どっちにしろ『懲罰』という言葉の響きは気に入った。なかなか、かっこいい」
いつかボクも使いたいな、と、ベリヤは厨二心をちらつかせながらつぶやく。
そして……。
「ま、今分かっている人間関連のことはそんな感じかな? 先の戦いでこちらの被害は甚大だ。次の航空攻勢は早くても春になってから、おそらく地上部隊と共同で行われるだろうね。それまでは休憩だ」
「その間、我々艦隊はいかがしましょうか?」
「ハボクックは前線に騎士団を送る航空輸送任務に就くだろうね。人食い鳥を効率よく運べる輸送船はあれくらいのモノだからね。それと……一つ面白い案がある」
「面白い案ですか、それは艦隊を使った奇策、と言うことですな」
「相手次第だけど……ロンデン空襲がそろそろ効いてくるはず。だから、上手くいくと思う。あと、その新聞、返してくれないか?」
「新聞……まだ、読んでない記事が?」
ベリヤは、「少し違うかな」と、部下の手から新聞を回収すると暫し、総統閣下の写真を見つめた。そして、少し悩んだ後、その写真をはさみで切り抜いた。
「ベリヤ司令? その絵をどうするのですか」
「これはその……敵の調査だ。ボクは、軍の将校として敵の総統を調べる必要がある。だから、切り抜いた、わかるかい?」
「……はぁ、つまり、自分そっくりなその子を気に入ったと。ナルシストですからな、ベリヤ司令は」
部下が苦笑いする中、照れ隠しなのか、ベリヤは「ふんっ」と小さく鼻を鳴らす。だが、否定はしないのか、その写真を大切にポケットにしまうのだった。