第百十一話 同志と報告
神聖エルフジア共和国のとある荒野。
そこに中世、近世的な文化を持つエルフジアに似つかわしくない、のっぺりとしたコンクリート製の巨大な建造物が作られていた。
出入り口の扉は分厚い金属で作られ、窓はほとんどなく、更に周囲を鉄条網で囲われている。
さらに、杖で武装したエルフ兵がネズミ一匹逃さないほど厳重な哨戒を行い、万全の警備を行っている。
もし、この建物を現代の日本人が見れば「まるで強制収容所だ」、という感想を抱くだろう。
しかし、この建物は『強制収容所』なんて可愛らしいものではない。
この建物の正体、それは……。
「同志ジリエーザ、素晴らしい出来でしょう。この『人間工場』は、現在国内最大級の規模を誇ります。まさにエルフ技術の粋を集めた次世代工場です」
「ふむ、確かに大きいな。我がエルフの工業化の象徴に相応しい」
――『人間工場』だ。
人間を家畜化し、狭い工場内で繁殖させ育てる。それこそ、人間が豚を飼育するときと同じだ。
狭い監獄の中で繁殖させ、育て、十分大きくなったら出荷する。
もちろん、教育がされることも、娯楽が与えられることも無い。ただ、狭い監獄にすし詰め状態にされ、定期的にエサを与えられるだけだ。
人権を完全に無視した恐怖の工場。
だが、エルフ達はこれを見ても何も思わない。人間が豚小屋を見ても、大した感想を抱かないのと同じだ。
「それで、この工場の生産力はどれくらいだ?」
「ここだけで年に3万匹程度の人間を出荷可能です。他の工場も合わせますと年に50万程度の人間を安定して出荷できるでしょう。そして、この人間を利用するマナ工場もすでに稼働しています」
「素晴らしいぞ、同志。これで我が国のさらなる工業化は約束されたも同然だ」
「はは、感謝の極み」
彼らが考えているのは、この工場でどれだけの人間を生産できるか、そして、その生産した人間を彼らの燃料であるマナに変換できるかと言うことだけだ。
この工場の生産量は年3万人、その他の工場を合わせればエルフジア共和国内で年に50万の人間を生産、マナ化することができる。
さらに、エルフジア国内や、占領地に生息している天然ものの人間も捕獲し、マナ化していくとすれば……。
一度戦闘を行えば、一隻当たり1万人分のマナを必要とする『バシレウス級戦艦』も容易に運用することができるだろう。
工場の視察にやって来ていた同志ジリエーザは、エルフの工業化が順調に進んでいることを確認すると、ご機嫌で宮殿のある『ジリエーザグラード』への帰路に就いた。
……が、しかし。
彼がご機嫌だったのはここまで。
ジリエーザグラードの大宮殿に帰還した彼を待っていたのは、真っ青な顔をした海軍大臣ホルスだった。
彼はゆったりと玉座に座る同志ジリエーザの前に、震えながら跪くと恐る恐る報告を始めた。
「同志ジリエーザ。先日ロンデリア海峡で行われた海戦について、報告に参りました」
「……確か、同志クッサイナーが独断で行った海戦だったな。それで、同志ホルス、そんなに冷や汗を流してどうしたのかね? まさか、この私に敗報を知らせに来たわけではあるまい?」
「いえ、そのようなことは……あったりなかったり……」
同志の恐ろしさの前に思わず口淀む海軍大臣ホルス。
もし、報告する相手がとあるメイドさん大好きな総統閣下だったのならば、彼も素直に「我が艦隊は敗北しました」と言えるだろう。
あの総統閣下は人に甘いし、粛清なんてしてこないからだ。
だが、彼の眼前にいるのは人の命を何とも思わない独裁者。可愛いだけで一国を治めている総統閣下とは真逆の恐怖で一国を治める殺戮者だ。
「同志ホルス、面を上げて正直に話したまえ。私は、嘘が嫌いだ」
などと本人はおっしゃっているが……ここでこの言葉に騙されて「クッサイナー艦隊は、戦艦4隻、巡洋艦3隻を失い敗北しました。敵への損害はほとんどありません」などと言うとろくなことにはならない。
怒り狂った同志により、クッサイナーどころか海軍上層部の多くが処刑されることになるだろう。
それを避ける策は……。
「我が艦隊はこの海戦にて敵に大きな打撃を与えました。戦艦『ヒラヌマ』、『カデクル』、空母『リュウカク』、駆逐艦『イワナミ』を撃沈。敵戦艦は、いずれも4万トン近い超大型艦です」
ヒラヌマ、カデクル……。そんな戦艦は存在しない完全に嘘である。
しかし、ここで嘘がばれるわけにはいかない。同志ホルスは、表情筋を無理やり固定し、自らの嘘がばれないようにポーカーフェイスを貫く。
「ほほう、それは素晴らしいな同志ホルス。それで、それほど大きな打撃を与えたのであれば、ロンデリア海峡の制海権は握れたのだろうな?」
だが、そこは同志ジリエーザ。彼は、人を信じることを知らない。同志ホルスに疑うような鋭い目を向け、試すように問いかける。
これに苦しくなるホルス。
ここで制海権を奪えた、と口にできれば楽なのだがそうはいかない。
そう言ってしまえば、次から海峡の制海権を奪っていること前提で作戦を練らなければいけなくなるからだ。
もし、そんな無茶な作戦計画を練るようになってしまえば……さらに、敗北は重なり、いつか嘘は誤魔化せなくなる。
「それは……その……」
ガタガタ震えながら言い訳を考える時間を稼ごうとするホルス。
そんな彼を見つめる同志の目は、獲物を見つめる荒鷲のようにより鋭くなる。
同志ホルスの心臓がキュッと縮まる。ショックで失神しそうなほどの恐怖。
だが、彼は運がいいことにここで言い訳を思いついた。
「ど、同志ジリエーザ! せ、制海権を奪えましたが制空権を奪えていないのであります。つまり……」
「つまり? 何が言いたい? 敵航空機が邪魔で、海峡を制圧できぬとでも言いたいのか?」
「は、はひ! その通りであります。敵の航空兵器により、我が艦隊は損害を受けており……これは空中騎士団が航空撃滅戦を行う以外に解決策は無く……」
へこへこと頭を下げる海軍大臣ホルス。海軍は仕事をしていますよ? 敵艦隊は撃滅できました、けど、制空権がないんです。空軍が悪いんです。
彼は、そう言いたいのだ。
「それで、我が艦隊の損害はどうなっているのだ?」
「は、はは、バシレウス級4隻、グラーフ級3隻が失われ……」
「なに? 戦艦4隻、巡洋艦3隻を開戦早々失ったのか!? 海軍大臣同志ホルスよ!」
「ご、ご安心ください、同志ジリエーザ! 我が国ではすでに新型の3万トン級氷結戦闘艦を8隻建造しております。先のバシレウス級より火力は数段上昇し、これらが就役すれば、この程度の損失など……」
必死に同志のご機嫌取りを始める同志ホルス。
彼は言う。エルフの工業力をもってすれば、この程度の損失どうにでもなると。
実際、彼の言うことは正しい。この時のエルフジア軍は、2万トン以上の戦艦級を同時に10隻、1万トン程度の巡洋艦級も同じく10隻程度建造できる能力があった。
当然、軍艦なのですぐに建造できるものではないが……まあ、戦艦4隻くらいの損失で即座に問題が発生するほどエルフジア共和国は弱くないのだ。
そんなご機嫌取りと化したホルス君に「下がれ」と命令を下しつつ、ジリエーザは考える。
「ふむ、確かに制空権は重要だな。そう言えば、空中騎士団の無能からも制空権が奪えず、爆撃されているという泣き言を聞いたな……」
現在、エルフジア空中騎士団はロンデリア北部での航空攻撃の真っ最中。主に民間人の虐殺がそのお仕事で、あまり積極的に制空権を奪おうとしていない。
そのせいで悪魔に徹底的な戦略爆撃をされているのだが……同志ジリエーザは、これが問題であると考えた。
「空中騎士団総長を呼び出せ! ロンデリアにて大規模な航空攻勢に出る。ロンデリア上空の制空権を空中騎士団の総力を挙げて奪い取るのだ!」
さらに同志は続ける。
「ワイバーンを装備する近衛龍騎兵隊も出撃させよ! 三個飛行隊全てを、人間領域に投入、制空権を奪え!」
近衛龍騎兵隊――それは、エルフが誇る最高戦力だ。
通常のエルフのテイム魔法は、飛行大型モンスターの中では低級に分類される『人食い鳥』程度しかテイムできない。
だが、しかし、国内でも上位1パーセントに分類されるような上級騎士であれば、人食い鳥よりも数段強力なモンスター『ワイバーン』を使役することができるのだ。
本来であれば、その希少性、戦力的価値から同志に対する反逆者の始末がメインミッションの近衛飛行隊だが……迷うことなく、三個飛行隊150騎からなる部隊をロンデリア戦線に投入。
かくして、同志ジリエーザの号令の元、ロンデリア上空で大規模空中戦が始まろうとしていた。