第百三話 スカルフロー沖海戦 前編
大和歴311年10月2日。
この日、ロンデリア北部の軍港『スカルフロー』に停泊するロンデリア本国艦隊に、一つの命令書が届けられた。
『エルフジア艦隊、スカルフロー北東50海里の地点まで接近。ロンデリア本国艦隊は直ちに出港し南下、帝国の防衛線まで撤退されたし』
インフラの整ったロンデリア南部で迎撃態勢を整える大和帝国。彼らからすれば、ロンデリア北部は一度敵の手に落ちること前提の地域。
そんな地域の港に旧式の帆船しかないとはいえ貴重な艦隊を配備し続けることなどできない。
日露戦争にて、旅順港に閉じ込められたまま壊滅した旅順艦隊のように碌な戦果を上げることもできず海の底に沈められるのは目に見えているからだ。
そう言うわけで送られた撤退命令。
この命令を受けた艦隊は、「敵艦隊が接近? それは一大事だな」と迷うことなく直ちに出港。
旗艦『クイーンエリザベート』を先頭に一等戦列艦4隻、二等戦列艦4隻、三等戦列艦12隻、フリゲート20隻からなる計40隻の大艦隊が陣形を組み、帆を一杯に海を進み始めたのだ。
……と、ここまでは完璧だった。
艦隊は命令通り出港したし、その航行能力に問題はない。その気になれば、無傷で南方の港に退避することもできただろう。
だがしかし、問題が一つ。そう、この艦隊を率いる提督である。
彼の名前はネールスン。話を聞かないことに定評のある男だ。
栄光ある王立海軍の旗艦、女王の名を冠した一等戦列艦『クイーンエリザベート』。
その艦尾楼では「話を聞かないことに定評のある男」――ネールスン提督が、望遠鏡を手に水平線を睨みつけていた。
彼が睨みつけている方向は“北東”、本来命令された進路である“南”ではない。
「ホレーション、今日もロンデリアの天気は最悪だ。曇っていて、気が晴れない。決戦に最適な一日だ、とは言えないな」
決戦、彼はそう言った。
そう、この話を聞かない男、撤退命令を無視してエルフジア艦隊と戦うつもりなのだ。
無論、言うまでも無く大和帝国は「旧式の帆船ではエルフジアの氷結艦に勝てない」とは伝えている。
だが、彼はその話を聞いていない。いや、耳で物理的に聞いていても頭では全く理解していないのだ。
「ロンデリアの天気が悪いのはいつものことではないですか。それより、何故、我が艦隊は東進しているのでしょうか? 我々に与えられた命令は、王国南部の港への退避です。これは女王陛下の……いえ、大和帝国総統からの命令です」
そんな話を聞かない男に「南方への退避」を提言するのは、『クイーンエリザベート』の艦長ホレーション。
生まれながらの海の男と言った容姿のネールスンとは真逆の地味で役人風の艦長だ。
して、その地味な艦長の提言だが……案の定、ネールスンは、全く聞いていない。
つまらないものを見る目を艦長に向けると「知らんよ、ホレーション。いいか、大和の情報によれば腐れエルフどもの艦隊が、我が国の近海50海里まで接近してきているのだ。これを迎撃せずして何が王立海軍か」と自信満々に言い放った。
「そこまで言うのでしたら……」
と、これにはホレーション艦長も引かざるおえない。
何しろ、ネールスンは話こそ聞かないがそれ以外ではかなり有能なのだ。
海戦における指揮能力などは極めて高いし、勇猛果敢でいざとなれば自分が先陣を切って戦う男気もある。
一人の海の男としてみれば、満点に近い能力を持っていると言っていい。実際、部下にも慕われてはいる。
唯一の欠点が、この話を聞かないという悪癖なのだ。
人は言う「ネールスンの勇敢さとホレーションの物分かりの良さが合わされば真の英雄になれるのに」と。
「よし、艦長も納得したことだし、気合いを入れて突撃しよう! さあ、全速前進だ」
突撃、突撃、更に突撃! 腕が吹っ飛ぼうが、心臓が消し飛ぼうが、体が動く限り突撃だ!
それが、ネールスンの信条であり、全てだった。
そんな彼に率いられ、艦隊は撤退なんてしませんよと全力で主張しながら敵艦隊のいるはずの方角――北東に向かって突き進む。
そして、その彼らが捜して求めているエルフジア艦隊だが……。
「参謀長、航海は順調ですか? もうすぐ、人間どもの巣窟に到着するはずですが……」
「クッサイナー司令、順調とは言い難いようです。つい先ほど、偵察に向かった人食い鳥から連絡がありました。敵艦隊を捕捉とのこと。位置は我が艦隊の前方20海里、30から40隻程度の旧式の帆船だとか」
「ほほう、旧式の帆船ですか。そんなもの、我らエルフの新型氷結艦の前ではおもちゃのようなもの。恐れるほどの物でもないでしょう」
すでに、空母より発艦した飛行モンスター、人食い鳥による偵察にて、ロンデリア艦隊を捕捉していたのだ。
やはり航空偵察の有無は大きいと言えるだろう。
この報告を受け取ったのはエルフジア前衛偵察艦隊、その司令官の名前から『クッサイナー艦隊』と呼ばれる艦隊だ。
その戦力は戦艦4隻、重巡4隻。
後方を進む主力艦隊の露払いを務める艦隊だ。
その旗艦は戦艦級である『バシレウス級』の一隻、『ハローシイ・レーニン』。
氷でできていることを除けば、その外観は近代的な戦艦そのもの。ファンタジー世界には全く持って似つかわしくない。
30センチ砲の攻撃にすら耐えうる重厚な氷の船体と、20センチ級の火砲と同等の威力を持つ魔道弾発射機を連装式で4基8門装備するかなりの高性能艦だ。
しかも、その名前の意味は古代エルフ語で「偉大なるレーニン」。……同志ジリエーザが命名したのだろうか? 謎である。
して。
その『ハローシイ・レーニン』の艦橋では、ひとりのエルフ将校が指揮を執っていた。
年齢は30代前半、艦隊司令になるにしてはまだ若い。エルフらしい傲慢な顔立ちに几帳面に整えられた金髪、ほっそりとした体形だが、軍服からにじみ出るほど汗が凄い。
彼の名前はワキガ・クッサイナー。
エルフジアの名門一家クッサイナー家の三男である。
「いいですか、皆さん。我がクッサイナー艦隊は最大戦速にて前進。主力に先んじて敵艦隊を殲滅します!」
「はっ、クッサイナー司令の命令のままに」
ロンデリア艦隊についての報告を聞いた彼は、迷うことなく攻撃を決断した。
旧式の帆船ごときに、エルフが誇る最新鋭の氷結戦闘艦が負けるはずがない。攻撃あるのみであると。
この判断には、彼の若さゆえの焦りもあっただろう。
名門一家出身であるがゆえに、若くして艦隊司令に抜擢されたワキガ・クッサイナー。親の七光りと言われることも多く、さらに、なぜか妙に部下から陰口をたたかれる気がする。
なんとか自分の実力を証明したい。そう思った彼の行動なのだ。
突撃を信条とする提督に率いられたロンデリア本国艦隊。
功を焦る若き将校に率いられたクッサイナー艦隊。
こんな連中に率いられた艦隊が戦わないわけがない。両艦隊は真正面から敵に向かってどんどん接近し、あっという間に互いに目視可能な距離まで迫った。
のちに「スカルフロー沖海戦」と呼ばれる戦いの始まりである。