第百一話 動き出す野望
大和歴311年9月2日。
総統閣下がヘレルフォレード貴族学校に入学してから約一年。
神聖エルフジア共和国首都『ジリエーザグラード』の中心にある大宮殿では、海軍大臣ホルスが玉座に座る同志ジリエーザの前に跪き報告を行っていた。
「同志ジリエーザ、ついに艦隊の準備が整いました。いつでも出港可能です」
「そうか、やっと完成したか……。この一年、どれだけ長かったか……」
報告を受けた同志ジリエーザは、感涙を浮かべつつこの艦隊が完成するまでに散っていった同士のことを思い浮かべた。
スケジュール通りに軍艦を完成させることができずに粛清された者、粛清を恐れて嘘の報告を行い処刑された者、せっかく完成させた軍艦を海上公試中に座礁させてしまい即席裁判で死刑判決を下された者……。
死因の大半はジリエーザ本人では?
……という、ツッコミは粛清されるので無しとして、とにもかくにも多くの同志が、この艦隊完成のために散っていった。
「……同志ジリエーザ。全ては人間を排除し、エルフの楽園を、エルフのための世界を建設するためです。同志たちも、我らが艦隊の雄姿に満足しているでしょう」
「そうだな、全てはエルフのため。そして、あの人間どもを、ナチどもを殲滅するためだ。同志たちの犠牲を無駄にはしないようにしなくてはな」
エルフのための世界、それは世界をエルフと二分する人間という種族のいない世界を意味する。
諸悪の根源である劣等種族――『人間』を皆殺しにして、優等種族エルフが支配する世界がやってくれば、それは、きっと幸福に溢れたものになるに違いない。
その理想郷実現のために勇敢な同志たちは死んでいったのだ。同志ジリエーザはそう自分を納得させ……いや、そもそも、こいつは同志を粛清することに何の躊躇もないので納得もクソもない。
自分を納得させたのは、同志ジリエーザの命令で仲間を粛清してきた人々だろう。
彼らは、エルフのため、人間という異種族を滅ぼすため仕方なかったと、そう言って自分の心を納得させるのだった。
「それで、同志ホルス海軍大臣。エルフ主義に愛された我が艦隊の出港はいつかね?」
「は、来月の……」
「来月、来月だと? 来月まで最低でも一か月はあるぞ? 海軍はその間、港に船を浮かべ、遊んでいるつもりかね? 日々労働に勤しむ人民に対して申し訳ないとは思わないのかね?」
「は、はい、では、予定を繰り上げまして来週にでも……」
「甘えるな! 三日だ。三日以内に艦隊を出港させたまえ。出来ないのであれば……」
「ひっ、ひい!」
同志ジリエーザは冷酷に睨みつけるだけで粛清するとは口にしない。だが、口にしなくても彼の言いたいことは理解出来る
だって、同志の怒りを買ったもので粛清されなかったものはいないのだから。
かくして氷結艦隊の出港は三日後に決定。
一か月後の予定だった各種行事を繰り上げるために、海軍関係者は国中を駆けまわるのだった。
……して、海軍関係者が血反吐を吐きながら迎えた三日後。
神聖エルフジア共和国で、最大の軍港を持つ街『ウラジオザーパト』。
氷結艦隊の建造拠点であるその街は、エルフ史上類を見ないほどの熱気に包まれていた。
市民は熱狂し、街中お祭り騒ぎ。
街のあちこちにエルフを象徴する真っ赤な旗が飾られ、人々は旗を高く掲げながら誇らしげな笑顔を浮かべ、氷結艦隊の出港を見送るために港に集まる。
「おい、港を見ろよ! ついに艦隊がそろったぞ!」
「ああ、凄い艦隊だ! これなら、人間どもを皆殺しにできる!」
市民が笑顔で見つめる先にあるのは超巨大な氷結艦隊。
超巨大氷結空母『ハボクック』1隻、2万トン級氷山空母『ブラッククロウ級』8隻、2万トン級氷結戦闘艦『バシレウス級』12隻、1万トン級氷結戦闘艦『グラーフ級』12隻。
これだけで、エルフがかつて見たことがない巨大艦隊になるというのに、さらに護衛の小型艦艇や大量の陸軍を輸送する無数の輸送船が戦列に並ぶ。
その数は1000隻を超え、港を埋め尽くさんばかりの巨大艦隊は、一目で理解出来るエルフの強大な軍事力の象徴だ。
そして、それは素敵な見世物であると同時に、日々の生活に不満を抱えるエルフ達にとって、現状を変えてくれるかもしれない希望だ。
「やったぞ、この艦隊があればエルフは無敵だ! 人間さえこの世からいなくなれば、もう重い税金に苦しむことは無い!」
「食糧難ともおさらばだ! あいつらを皆殺しにすれば、俺たちの食うものを奪われなくて済む!」
「キョーサンシュギ万歳! エルフ万歳!」
エルフ達は口々に叫ぶ。
西方大陸を支配し、そこにいる異種族を奴隷化したエルフジア共和国。その、国家予算はいつ反乱を起こすかわからない国内の奴隷――人間の支配のために軍事に傾倒している。
その総兵力は最低でも200万。広大な国土の治安維持のためには平時でもこれだけの大軍を必要とするのだ。
エルフ人民が背負っている多大な税金のほとんどは対人間用の軍備に費やされ、福祉などは無いに等しい。
おまけに化学肥料もないこの世界の貧弱な食糧事情では10億の人口を支えるのは困難。労働力としての人間奴隷などに食わせる飯などもったいないことこの上ない。
……とはいえ、人間奴隷を完全に殺してしまえば、一時的とはいえ労働力が大きく低下することは確か。来るべき人間との決戦を前にそれは致命的だ。
食糧は足りないのに、奴隷としての人間を排除できない。
人間を殲滅するにも膨大な労働力が必要であり、そのためには人間奴隷が必要になるから。
エルフは考える。
なぜエルフは優等種族であるはずなのにこんなに貧しいのだろうか?
そして答えを導き出す。自分たちが貧しいのはこの世界に人間がいるからだ、と。この世界に人間がいなければ、エルフは貧しい思いをしなくて済むはずだ、と。
故に彼らは叫ぶ。
人間を殺せ、背後からの一突きなど許すな、エルフのための世界を取り戻せ、と。
人間を殺せばすべての問題が解決される。
これと言った根拠はないが、彼らは本気でそう思い、夢を叶える希望として艦隊を見つめていたのだ。
大勢の市民が見守る中、港の広場では盛大な軍事パレードが執り行われる。
真新しい軍服に身を包んだ数万の精鋭エルフ兵が一糸乱れぬ行進を披露し、その後に、ゴブリン、オークなどを主力としたモンスター軍団が進む。
見世物はこれだけではない。パレードの最後を飾るのは100を超える『スターリン重ゴーレム』。
巨大な鋼鉄の騎士は、堂々と市民の前を横切り、広場の中心に設置された見上げるほど巨大な演説台の前まで進む。そして、立ち止まり一斉に敬礼する。
演説台の上には、みんな大好き同志ジリエーザ。
大量の兵士、精強な兵器、偉大なる同志。
集まった市民は、その強大な軍事力を前に熱狂し「いいぞ! 同志ジリエーザ!」、「最強のエルフジア軍で醜い人間を滅ぼしてしまえ!」と口々に叫ぶ。
自分たちの国『神聖エルフジア共和国』は世界最強の国家であり、その国を構成するエルフと言う種族は優等種族であり、そんなエルフである自分は最高の存在に違いない。
そうして、エルフ達は都合のいい幻想の中に溺れ、熱狂に酔いしれる。
そんな哀れな自称優等種族の姿を、演説台の上から同志ジリエーザは満足げに見下ろす。どこかのちょび髭も言っていた、大衆は愚かで、ちょっとしたことで誘導することができる、と。
この対人間戦争により同志ジリエーザの独裁はより一層堅固なものになるだろう。
何もかも、彼の思い通りなのだ。
狂気の中、同志ジリエーザは演説台の上で高らかに宣言する。
「同志諸君! 我々エルフがその優位性を世界に示す時が来た! 我らの思想が正しいと、新大陸の蛮族共に! あの汚らわしいナチどもに教えてやれ!」
「ウラー! 同志ジリエーザ万歳! キョーサンシュギ万歳!」
誰しもが、侵略を否定しない。
誰しもが、その軍事行動を待ち望んでいた。
歓呼の声が鳴り響き、船のマストに真っ赤な旗が掲げられる。
「これより、我がエルフジア軍は対人間進攻作戦の第一歩、ロンデリア王国攻略作戦『オペレーション・シヴーチ』を発動する! 大祖国戦争の開戦だ!」
同志の言葉と共に、エルフジア艦隊は出港。
当初、一か月で準備する予定だったパレードの準備を、同志ジリエーザの無茶苦茶な命令により、たった三日で終わらせた有能な同志たちは完璧な式典の成功に胸をなでおろすのだった。
ただ……。
エルフ達の戦争はまだ始まったばかり。
エルフ達が『大祖国戦争』と呼び、人間たちが『大東亜戦争』と呼ぶ、人間とエルフの国家総力戦はこれからが本番なのだ。
……して、エルフ達の苦戦の予兆は出港直後、すでに見え隠れしていた。
堂々と洋上を航行する巨大艦隊。彼らはまだ迫る敵の存在に気づいていない。気づくことができない。
「……艦長、ソナーに感あり、敵艦隊出港の模様。彼らはこちらに気が付いていませんね」
「だろうな。よし、司令部に連絡する、潜望鏡深度まで浮上」
何しろ、相手は最新鋭の潜水艦なのだから。
水中での速力を重視した滑らかな船体。水中速力驚異の20ノットを発揮する大和帝国海軍の最新鋭潜水艦『伊二〇一』である。
西方大陸沿岸に派遣されたこの艦は、ここ数日のエルフジア近海の艦艇の動きから、艦隊の集結を把握し、その動向を調査していたのだ。
これにより、エルフジア艦隊の動向は出港直後から事細かに報告され、それに対し大和帝国も動き出すのだ。