わたしじゃ、ダメですか。② (R-15)
「…おい、これは…。」
ルシアスは、ズイッと差しだされた盆の隅に目をとめ、低い声で問う。
「ご入用かと思いまして。」
「…余計な気はまわさなくていい。」
唸るように言えば、
「王妃様の御身が心配なのです。お健やかであられてほしい。私の願いは、ただそれだけですわ。」
マリアは怯むことなく物申してきた。
眉間にしわをよせ、ルシアスは“それ”ごと盆をうけとりため息を吐いた。
「…扉前の不寝番はいらない。明日の朝も声をかけるまでは来るな。」
命じれば、心得たように微笑し、マリアは静々と控え室に下がっていった。
「…さて、どうしたものかな。」
往生際悪くそう呟いたルシアスは、部屋に入った瞬間、これは格好をつけている場合ではない、と悟った。
照明がだいぶ絞られた居間のテーブルの上に紙札を広げ、アリシアが暗い目つきで続き番号をつくる一人遊戯を黙々とおこなっている。
テーブルの上に置かれた燭台の蝋燭が、ゆらりゆらりとアリシアの顔に影をつくって幽鬼のようだ。
ダラダラダラ。
ルシアスの背を冷たい汗が流れおちた。
深呼吸。
「…アリシア。公爵夫人に聞いたのだけれど、蛍が綺麗だそうだよ。こちらに来て一緒に見ないかい?」
「蛍、ですか…?」
とりあえず、話を聞いてくれる気はあるらしい。
ほっと胸をなでおろし、彼は寝室の窓辺へとアリシアを誘った。
カーテンはいずれの部屋も閉め切られている。
湯あみをしていたそうだし、外の景色にはやはり気づいていなかったのだ。
ベッドサイドテーブルに盆を下ろし、彼はカーテンを半分、開け放った。
「見てご覧。」
アリシアがゆっくりとやって来た。窓辺に手をつき外をみた彼女は、はっと息をのんだ。
「綺麗…。」
なだらかな傾斜をえがく広い領主邸の前庭は、昼過ぎから降りはじめた雪でうっすらと白くなっている。
その雪をぼんやりと照らすやわらかな光が不規則に点滅していた。
ルシアスは一度隣室にもどり、外が見やすいように居間のテーブルの上の燭台ひとつを残して灯りをおとした。居間との境の扉をあけておけば、寝室は丁度良い、ほの暗さになる。
目が慣れるのを待ってアリシアのところにもどる。
寝台に腰かけ、彼はワインの瓶をとり、キリリと蓋をあけた。
フルーティーな香りがあたりに広がる。
これは社交界デビューをした女性がもっとも好む果実酒で、細身でスタイリッシュな瓶と、華やかな桃色の色味が特徴だ。
ちなみに生産地はコストナー伯爵領。あの洒落もの好きらしい主力品だと思う。
対のワイングラスにそれぞれ果実酒を注ぎながら彼は言った。
「雪蛍。その名が示すとおり、初冬に繁殖する寒冷地の蛍なんだ。昔からこの地方では餌の野菜くずと一緒に虫籠にいれてこんなふうに数日たのしむんだ。もちろん、弱らないうちに放すが…。雪の中だと幻想的だろう?ああやって自分なりの光り方で相手にアピールするんだ。」
「…へぇ。……いいですねぇ、蛍は。体型とか関係ないんだぁ。」
ガチャン。
手元が狂った。
…落ちつけ。
彼は片方のグラスをとり、一息に飲み干す。
もう一度ふたつの杯を満たしてからゆっくり酒瓶をおき、彼は両手にグラスをもってアリシアの隣りに立った。
左手にもった自分の杯を、ちびりちびりと飲みながら、彼はふぅ、と息をつく。
「美味しそうですね。」
「ああ。“新妻”と一緒に飲む酒だからな。今夜は格別だ。」
アリシアがほんの少し困ったような、どこか苛立ったような表情をうかべた。
ずいっと、ルシアスはもういっぽうのグラスを差しだす。
「…………そなたも飲んでみるか?」
「え?…わたくし、が?」
「この果実酒は度数が低くて甘口だ。女性に人気でダンスパーティーでもよく出てくる。今後つきあいで勧められることもあるだろうし、少し舐めてみると良い。」
ルシアスは人差し指をグラスに差し入れてワインを一滴つけ、ゆっくりとアリシアの鼻先に持って行った。
「まず色を見て、においをかぐ。」
アリシアが恐る恐るといった調子で鼻をひくつかせた。
「桃色で、甘酸っぱい香り…。」
「ひと口飲みなさい。」
ほら。
グラスを差しだす。しばらく躊躇したあとグラスを手に取り、アリシアはゆっくりとそれを傾けた。
「どうだ。」
「…甘いです。ぜんぜん、酸味もないし、苦くありませんね。」
「そう、それがこの酒の特徴だ。よく覚えておきなさい。毒見役に必ずマリアもつけるつもりだが、少しでもこの酒に酸味や辛みが混じっていたらそれは何かが混ぜられている。ぜったいに飲み込まないこと。」
「分かりました。」
「よし。ぜんぶ飲んでいいぞ。」
ふっと表情を緩め、ルシアスは自分の杯を飲みきり、グラスをサイドテーブルにもどす。
ふり返れば、アリシアは嬉しそうな顔をして、素直に残りを飲んでいた。
気に入ったらしい。
あっという間に飲みきった。
ほんのり頬が染まっている。
「それきりでは足りまい。そら、もう一杯いれてやろう。」
空のグラスをうけとる。
アリシアは窓際に寄りかかり、ふたたび蛍を見はじめた。
とっとっとっとっと。
ルシアスは瓶を傾け、軽快な音とともに果実酒を注いだ。
そして盆の端に置かれた薬包を自然な動きでとり、その包みをゆっくりとひらく。
さらさらさら。
包みの中身をグラスに流し込み、彼はそれを持って窓辺に立った。
「アリシア。」
「はい?」
かすかに潤んだ鳶色の瞳がルシアスをふりあおいだ。
再度酒に浸した指先を今度は強引にアリシアの朱唇へとすべらせた。
「ん…。」
唇をなめるアリシアの舌の動きが艶めかしい。
「さっきと何かちがうと、思うか?」
「んー?」
グラスを手に持たせてやれば、素直にこくん、と飲みこむ。
「…ちょっと、酸味がある?」
口調が幼くなっているのは、酔いがまわってきているためか。
ルシアスは小さく苦笑し、彼女の頭をふわりとなでた。
「正解だ。身体の調子を整える薬を入れた。もちろん、毒ではないぞ。」
「…この薬を飲んだら、わたしも大人っぽくなれるかなぁ?」
「……たとえば…?」
「だって男のひとってみんな大きな胸の人が好きなんでしょう。」
こめかみに手をあて、ため息をつく。
「…アリシア。そなたはどうして胸をおおきくしたいんだ。」
そう、それがずっと不思議だった。
アリシアは、すでに既婚者。その言い方ではまるで…。
「だって、そうしたら、もっとルシアス様にさわってもらえるでしょう。スタイルの良さに騙されて変な女のひとにルシアス様がのめり込んだら困るの。だから…ッ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。」
深呼吸。
すって…はいて…。
「……アリシア。そなた、私に触られて、嫌じゃないのか。」
「はい?」
きょとんとした顔で首を傾げられる。
上気した顔で上目遣いで見あげるとか、こんな小技をどこで覚えた。
天然なのか。
「ルシアス様にふれられるのは、好きです。あたたかくて、安心できて。」
「…アリシア。そんなこと、酒を飲んだ男に言うもんじゃない。」
ルシアスは諦観めいた苦い笑みを口元にきざんだ。
…抑えきれない。
もう、限界だった。
アリシアの持っていたグラスを奪い取り、カン、とサイドテーブルに戻す。
R-15部分は短編で外してあります。
指摘があればムーンライトノベルズに移動します。(作者名は共通です)
本編次話は、出立の日の朝になります。




