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宰相は死にたがる姫君を愛する  作者: 雪形駒次郎
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山茶花の咲く道で⑤

風の国は王位も爵位も跡継ぎに血のつながりを求めない。

実子が実力不足であれば臣下とし、その地位にふさわしい器の者を養子にむかえて後継とする。個人の才と努力を第一とする風の国の流儀だ。

それでも貴族と平民は一線を画している。


風の国の新たな国王夫妻を出迎えたヴィタリー・ワーステル侯爵は、色素の薄い緑の瞳に怜悧な光を宿し、隙のない身のこなしで見事な跪拝を取った。

上質な髪飾りで一つに束ねられた彼の長い黒髪がマントを滑り落ちる。


「このたびは過分な任を賜り、驚いております。何卒、辞退いたしたく…。」


ヴィタリー・ワーステル侯爵は前トビアス王の元で、軍部省長官として辣腕をふるっていた。

今は候爵だが彼本人は貴族の生まれではない。

類いまれな鬼才と努力を惜しまぬ謹厳実直さを買われ主家であるワーステル侯爵家から請われて婿入りしたのだ。

その出自から社交界におけるワーステル侯爵への風当たりは、いまだ強い。

とはいえ本人は飄々とあしらっているし、その潔癖な仕事ぶりと洗練された所作、そして豪胆で見事な社交技術を高く評価したルシアスはワーステルを財務省長官に指名したのだ。

ルシアス戴冠にともなう叙勲の内示は、国王夫妻が王都を発つと同時に発送した。

正式な任命式は、収穫祭にともなう視察での話し合いの後、新年に王都でおこなわれる。


「いや、貴方には、受けて頂かないと困る。コストナー伯爵もあなたが財務長官につくことを前提に宰相をひきうけてくださったのだから。それにヒルシュ副官の上にたてるのは貴方ぐらいですよ。」

ヒルシュ副官は商家の出。今のところ長官にはなれない。かといって貴族のプライドを笠に着る上官では頭脳明晰敏腕官吏を殺してしまう。

だから先王トビアスは、長い間、凡庸で面倒くさいことには手も口もださない者を長官にすえていた。

ルシアスはそのぼんくら長官を更迭し、攻めの人事に踏みきったのだ。


確固たる意志をにじませ、真っすぐにワーステル侯爵を見据える。

ここ十数年はヘルター公爵が率いていた司法省が優勢だったが、本来、元老院を構成する十二長官のうち最も発言力がつよいのは財務省長官だ。

国庫の番人であり、関税を管理する財務省。外交の窓口は宰相だが、実務レベルでそれを支えるのは財務省長官。

ちなみに軍部省はランセル子爵を昇任させて長官とし、司法省の捜査官と連携しながら、引きつづき竜の密輸について追ってもらう。


「…ずいぶん思いきったことをなさる。あなたはやりにくいでしょうに。不信任決議を提出してあなたに退任をせまるかもしれませんよ?」


「ヘルター公爵は国王になる気はないそうですよ。目をかけているコストナー伯爵に宰相をおしつけるぐらいですからね。擁立候補もいないのに、無駄なことに時間をさくような方ではないでしょう、貴方は。」


「工部省か…。ヘルターめ、一番楽なところを取りおって。」


工部省は精霊石の輸出監視と技術者の留学や派遣を担っている。

財務省とともに“きな臭い”場所だ。だが工部省のほうが現状では“小者”が多く、大鉈をふるいやすい。

ここ最近、どうも東大陸の精霊石の値が落ち着かない。産地も各国の輸出量も特段おおきな変化はみられないのに、である。

商部省長官が自由ギルドと癒着し、本来は廃棄となる粗悪な精霊石を横流しして、不正に利益を得ているという噂がある。工部省や財務省の内部にも協力者がいて、巧妙に証拠をもみ消しているようだ。当然、ワーステルらも、承知している。

だからこそ、気骨稜稜たる彼らを長官にすえたのだ。

司法省の方は、ヘルター公爵が後任をきちんと育ててくれていたから大丈夫だろう。


「…では、私たちがセレナを切り捨てろ、と要求したら?陛下はいかがなさるおつもりです。」


顔をあげたワーステル侯爵の厳しい指摘にもルシアスは動じない。

敵の敵は味方。…据え置き人事の重臣の多くは、親帝派もしくは日和見な中立派。

元老院、そして貴族院を抑えるためには、保守派を重要ポストに据え、バランスをとる必要がある。


「…戦況によっては、やむを得ないでしょう。アーロン皇子はまだ若く後継ぎとしては心もとない。」


「水の民は東大陸の営みを守るものたち。それを見捨てれば国王であるあなたは仁徳を捨てた王として、諸外国から厳しく非難されるでしょう。」


「今は国力温存に努めるべきと考えます。すべては救えない。それにともなう批判は私がうけます。私は一人ではない。私のすべき務めが終わればすみやかに次代へ引き継ぎます。」


ワーステルらを中心とする保守派が望むのは、同盟破棄と国内自給率向上。

いっぽう、帝国との融和までは主張しないものの、中立派にはセレナの水運網を隙あらば奪い取りたいと思っている過激派が多い。

軍部省派だ、禁軍府派だと内輪もめしている場合ではないのだ。

セレナに侵攻すれば、風の国の対外的な信頼は地に堕ちる。

竜兵団を抱えるローイエンを“化け物集団”と腹の内で嫌悪している他国の要人は多い。

クルド・カシューナ・サーシャの3国が同盟して攻めよせて来たら、大事になる。

狭い世界で己の既得権益ばかりに目がいっている愚か者のせいで風の国全体を危険にさらすわけにはいかない。


「もちろん、侯爵も手伝ってくださるでしょう?…聞きましたよ。コストナー伯爵家から予定どおり次男坊をひきとるそうですね。聞けば、“謡い手”の才を持つ利発な子だとか。」


レニー・コストナー伯爵は、じつはワーステル侯爵家の3男だった。コストナー伯爵令嬢シルヴィアと大恋愛の末、婿にいったのだ。

ワーステル侯爵家の長男、次男はクルド共和国との小競り合いで戦死している。そこでレニーの妹であるフローラの相手としてヴィタリーが選ばれ、ワーステル侯爵家を継いだ。

義兄であるコストナー伯爵のほうが年下だが、仲は悪くない。

そしてヴィタリー・フローラ夫妻の関係も、政略結婚とは思えないほど良好だ。しかし残念なことに子宝には長い間めぐまれていなかった。

“謡い手”は、精霊の強力な加護を得ることが多く、多くが王座についている。

優秀な人材を何人も育ててきたワーステルが、養子とする自分の親族の可能性を伸ばさないわけはない。


フッと、ワーステル侯爵が笑った。


「―…よいお覚悟だ。よろしい。引き受けましょう。」


「よろしく頼みます。」


固い握手を交わす夫と重臣の姿を、アーシャ王妃は安堵の表情で見守った。


++++++++++++++


「すまない、アリシア。そなたには辛い思いをさせる。」


「いいえ。皆、まもるべき民がいるのです。陛下は、陛下の信じる道をお進みください。」


ワーステル侯爵邸のゲストルーム。

今夜は収穫祭を祝う花火が上げられるという事で、領都は大騒ぎだ。

街中の通りに様々な色の灯がつるされ、領都を縦断する大路には屋台が立ち並び多くの家族連れや恋人たちが行きかっている。

高台に建つ侯爵邸まで軽快な拍子の音楽が聞こえてくる。

広場でおこなわれる花火大会の開会式で侯爵夫妻は挨拶をするということで、少し早い夕餉をともにとったあと、ルシアス達は部屋へと戻ってきたところだ。

屋台巡りは昼のうちにすませてある。

ゲストルームのバルコニーにつくられたテラス席では、すでにマリアが温かいお茶と軽食を準備中だ。

その動きを室内から見ながらルシアスは静かに言った。


「そなたの兄君と従兄殿に内密に接触するつもりだ。精霊たちからセレナの民が離散していることで水脈が乱れていると訴えがきているのだよ。私だけではどうにもならぬゆえ、早急に協力をしたいと考えている。」


こくり、とアリシアが頷く。

その笑顔が無理しているようにみえて、ルシアスはグッと拳をにぎる。

口を開きかけた時、


ドオッ……パーーーーーン!!


はっと外を見る。


わああああああ


地面をゆらす歓声が聞こえた。

正面の夜空にひらいた光の粒が、きらきら、きらきら、と光りながらゆっくりと落ちていく。


「綺麗…。」


アリシアが立ちあがりマリアの待つバルコニーへと歩きはじめた。


「待ちなさい、アリシア。」


椅子の背にかけてあった自分の外套を慌てて手に取り、ふり向いたアリシアの肩にかける。


「外は寒い。これを羽織りなさい。…手を。」


うやうやしく手を差し伸べれば、アリシアがおずおずと指先をルシアスの手のひらにのせる。

並んで歩ける距離感になれたことを心から嬉しく思う。

カラリ、とバルコニーに通じるガラス戸をあけた。


ヒュウウウウウと首元をかけぬける冷たい風に、首をすくめる。

「マリア、一度中へもどって、そなたも、もう一枚着てきなさい。」

「ありがとうございます。すぐにもどって参ります。」


シュウウウウーーッ!


七色の光の束が筒上に立ちあがる。


ほぅ、と息を吐き光の余韻にひたっていたアリシアが、はっとしたように言った。

「これではルシアス様がお風邪を召されてしまいます!」

「…まぁ、軍で鍛えていたから、このぐらいの寒さは平気だが…。」

答えながら、アリシアから急ぎもどされた外套を素直に羽織る。

「でもやはり寒いから、温めてくれ。」


「…え?」


声は、花火の音にかき消される。


ドッ、ドッ、ドッ!


「そら、上がったぞ。」


アリシアの両肩をつかみ、くるりと反転させて花火のほうへむける。


パッ、パッ、バーンッ!


柳の木に似た軌跡をえがいて無数の光が頭上からふってくる。

「わぁ。」

「見事だな…。」

バルコニーに寄りかかって声もなく頭上をふりあおぎ感嘆するアリシアの後ろから身をよせる。

手すりに片手をついて、ルシアスはその身体を囲いこんだ。

目をまん丸にして見あげてくるアリシアをじっと見つめ、彼は微笑した。


もう10回以上、訪問先の領館で部屋を共にしている。

もちろん、寝台は別だ。

彼女が寝つくまで少し離れた距離で他愛もない話をして、眠る。

戦場で一人果てていくことを覚悟していた。それなのにこうして人並みに結婚し、誰かの気配を感じながら目を閉じる生活を得た。

ルシアスはじゅうぶんに満足だった。


でも、たまには良かろう?

…もう少し、近くに。


「入っておいで。」

あいている手で外套の端を持ちあげアリシアを呼ぶ。



「おいで。」

ルシアス様が、わたしを呼んでいる。

「……。」

自分に手をさしのべ、居場所を与えてくれたひと。

成婚式をあげてから、ルシアス様とすごす時間が急にふえた。

旅をしていた頃のように竜に一緒にのせてもらって市場に行ったり、眠くなるまで言葉遊びをしたり。

風の国の民は、素朴で、たくましい。

目があえば手をふりかえしてくれて、私たちを歓迎してくれる。

幸せすぎて、こわくなる。

いつかは出ていかなくちゃならないかもしれないのに、最近の自分はおかしい。

今もむけられている、獅子のようなルシアス様の黄金の瞳。

前は、すべての罪が暴かれそうで、こわかった。

だけど少し前から、なんというのか、こう、胸のあたりが苦しくて、たまらないのだ。

もっと、見て。もっとわたしだけを見て。

気づけば、そう思っている。

なんだか食べられてしまいそうで、ぞくりとするのに、何もかも忘れて飛びこんでしまいたい。

ああ、本当に、食べられてしまえば、ずっと一緒にいられるのに。


街を包む熱気に、非日常の興奮に導かれるように、アリシアは彼の懐にもぐりこんだ。



ひゅるひゅるひゅる………ドオオオーン!!


「きゃッ。」


大玉だ。身をすくませたその身体を守るようにルシアスは彼女を外套の中に封じ込める。


距離感の近さに、夜の気配に、自分も酔っているのかもしれない。


毛皮でくるむようにアリシアのお腹のあたりに腕をまわし、そっと引きよせてみた。

彼女は、嫌がらなかった。


「そなたは温いな。…今夜は一緒の布団で寝るか。」


「…はい。」


夜祭りは始まったばかり。

小難しいことは考えるな。

ただ愛しいひとの温もりに溺れる夜も悪くない。

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