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宰相は死にたがる姫君を愛する  作者: 雪形駒次郎
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山茶花の咲く道で③

3日間の車中泊を経て、つつがなく第一視察地であるコストナー伯爵領についた国王夫妻は、宰相となった伯爵の歓待を受け、ルシアスは慣例どおり収穫祭に参列し、精霊に楽を捧げて豊穣を願った。

何事もなく終わるはず、だった。



「……くっ。」

割れるような頭痛と身体のだるさに辟易しながら、式典をのりきる。

「…どうされました、陛下―…。」

無様に気を失うなど冗談ではない。

何かいいたげなコストナー伯爵に、もてなしに対する謝意と辞去を気力だけで伝える。

そしてバルツァー近衛副隊長をよんで領主邸で待機しているアリシアと護衛達を参集させるよう命じた。

車へ乗りこんだルシアスは、戴冠許可を得た際に龍王と交わしたやりとりを思いおこしながら崩れ落ちるように座席に身を沈める。


“体力が尽きて『新王は虚弱だ』などと言われぬよう、せいぜい気張る事だ。隙を見せたらあっという間に追い落とされるぞ。”


あの時は、閨の事を揶揄われているのだと思った。

だから“体調管理ができぬ子どもではありません。”と言い返した。

黒い龍は意地悪く笑っていた。そうして言ったのだ。

“…お前は知る事になる。隣国の王が担ってきた役割の重さを。自分の限界を見極め、気負いすぎぬことだ。”と。


身体が熱い。膨れ上がった体内のエネルギーが行き場を失いグルグルと渦巻いている。




「急に出立を早められて、驚き…陛下!?」

扉を開けて入ってきたアリシアが絶句する。

なんとか座席から身を起こしたルシアスは、アリシアが騒がぬよう、片手で彼女の口をふさいだ。

「…大事ない。酔っているだけだ―…すまん、マリア、すこし王妃と二人きりで話したいゆえ、そなたはパレード車の竜を一頭かりて乗ってくれるか。」

「かしこまりました。」

マリアもルシアスのただならぬ様子を感じて素直に下がる。

「出してくれ!」

御者に指示をだし、扉を閉める。

アリシアの腕をひいて自分の隣りに誘導し、ルシアスは呻いた。

「……気持ち悪い…。」

「え、あの…。酔ったって、まさか“精霊酔い”ですか―?」

祭などで高ぶった精霊の力にあたって不調になることを精霊酔いという。

アリシアが懐疑的に尋ねるにはわけがある。普通は、はじめて精霊を知覚した幼子や、精霊と契約を交わす際に一時的におちいるもので、鍛錬を積み、ましてや御前試合に出場するような立場のものがかかるようなものではないからだ。

「……もしや…っ」

はっと気づき瞠目するアリシアに肯首する。

「…人の世の代表として精霊に感謝し、恭順を誓約し、国の安定を願う。それが“収穫祭”の本質…。」

風の精霊は元来気ままで、およそ束縛をきらう。

形式的に祈りは捧げるが、応えないことも多い。

だが。

「“水の眷属(彼ら)”に直接呼びかけたわけではないのに…鉾をついて鈴をならした瞬間、どおおおん、と来た…。」

「精霊たちは、何と言ったのですか。」

「分からんのだ。今もいろいろな声がすごい剣幕で、がなりたてている。頭がおかしくなりそうだ。」

わんわん響く水の精霊たちの声に吐き気がこみあげてくる。勘弁してほしい…。

「ずいぶん皆さん切羽詰まっていますね…普通は高位の方が皆を代表して接触してくるのですが…不測の事態を伝えたいのか、それとも話をきいてくれそうな陛下を引き止めたくて必死なのか…。」


…ヘン……けて…女…ない…


…下敷き…


「下敷き…?」

額を抑え浅く息をしながら懸命に声をひろい考えを巡らせていたルシアスは、はっとした。

「非常事態…あるかも、しれん。」

コストナー伯爵領の隣りは、ディアス伯爵領…領主である伯爵が帝国との協調を訴え自刃した、いわくつきの場所であった。

ディアス伯爵領は嫡男ヴィルがルシアスとの一騎打ちの際に果てているため、次男のマークが後継ぎとなるはずだった。

表向きトビアス王は病死という事になっている。

竜の密売にかかわった明確な証拠もないので、査察にも入れない。

とりあえずマークの領主就任を追認し、今後の動向を監視しようと思っていた矢先。

ディアス伯爵領とコストナー伯爵領の境にあたる山が突然崩落し、ディアス伯爵領主邸と領地のほとんどが土石流で埋まった。

軍部省と禁軍府の連携で、生き埋めになった民のうち半分は助け出すことができたが、次期伯爵マーク・ディアスは行方不明。

継承者不在で伯爵領は解体され、民はとなりのコストナー伯爵領がひきうけた。


「土石流で、小さな川が埋まった。…もしかしたら…。」


「たぶん、それではないでしょうか…。」


水の加護を受け継ぐ…つまり水の精霊の住処を整える義務が生じる。


「…なるほど、龍王陛下が言っていたのは、こういう事か…。」


歯を食いしばり不調と闘いながら、やはり、国王として、継承者として、応えなければ、ダメだろうなぁ、と思う。

彼は御者席側の小窓をあけ、先般、土砂崩れのあった場に立ち寄るよう指示し、野営の場所を指定する。

元のように錠をかけたルシアスに、アリシアが震える声で言った。

「申し訳ございません、陛下…わたくしが、」

「…膝枕。」

「……陛下?」

「はやく膝を貸せ。…あと、ルシアス、だ。」

ルシアスは、わざと不機嫌そうな表情をつくり、アリシアを睨む。

大丈夫だと強がったり、気にするななどと宥めたりすれば、かえって“継承”した責任を感じ気に病むだろうから。

「一緒に背負ってくれるのだろ、王妃。」

「ええ、はい、あの、私の膝でよければ、その。」

アリシアの横にはクッションがある。だから潰す心配もない。ルシアスは遠慮なく靴をぬいで彼女の膝に倒れ込んだ。

こういう場合は役割をふり、まきこんでしまう方がよい。

「掛布もくれ。そなたも寒いだろう。一緒にくるまるといい。」

力つきたようにアリシアの膝に突っ伏し、ぞんざいな口調で要求すれば、彼女は従順に毛皮のついた掛布を向かいの座席からひきよせて自分たちの上にかける。

「…アリシア。水の精霊へ呼びかける決まり言葉はあるのか?」

上目づかいで問えば、アリシアが、記憶をたぐるように首を傾げる。

「神殿でならったものは、“この地に宿りし水の守り手にご挨拶申し上げます”から始まるものが多かったです。…セレナの初等科や騎士養成学校で使われている教科書が手に入ると良いのですが…兄弟が多い子の親が普通に売り買いしているので、市場に行くと中古品が売られていたりするのです。書き込みや乱丁が少ないものを見つけなければなりませんが、マリアなら怪しまれずに購入できるかもしれません。」

「…成程。」

「けれど呼びかけはきっかけにすぎません。水は私たちを形づくるものなので、例え相手が清らかな水気であっても、取り込みすぎれば今のへ…ルシアス様のように精霊酔いを起こします。今回は向こうも混乱しているようのでなおさらですね。身体…器に満たせる水気の量を意識し、巡りを整え、それ以外は何らかの現象に変化させて放出するしかありません。」

「…例えば?」

「最たるものが、雨です。祈雨・止雨神事は霊気の偏りをなくし適切な場所に水を誘導することなのです。破魔の鳴弦の矢や、奉祝の舞は、霊気を拡散させ、場を浄めることを目的とします。空間全体を浄め鎮める…これはおもに神殿関係者の考え方ですが。」

「収穫祭に雨を呼ぶのは、目立ちすぎるな。…それはもう完璧な雨乞い神事だ。つよい水の加護を得たことが露見しかねない。」

「ええ…。」

「ふつうの水の民はどんな感じなんだ?」

「花壇や畑に水やりをしたり、可愛らしいものでは、村まつりの余興で子どもたちが虹を出したり…。」

「…40すぎのオッサンが虹をだすのは、ちょっと痛いな―…。」

二人で顔を見あわせて乾いた笑いをもらす。

「騎士養成学校ではどうなのだろう。」

「兄や従兄は霧で目くらましをかけて護衛をまいたり、氷の剣で打ち合いをしていましたね…。」

「…若いな。だが、なるほど、氷か。風とぶつけ合えば私もつくれそうだな。」

ためしに体内の熱を集める感覚で人差し指で円を描く。

それに、ふぅっと息を吹きかければ。

カロン。

こぶし大ほどの氷塊が指先からこぼれ落ち、車内の床に転がった。

「…あっ。」

アリシアが目を瞠る。

「すごいです、ルシアス様!」

ゆっくり起きあがる。

「このままだと溶けるな…。すまん、アリシア、飲み物をだしてその樽にいれてくれるか。」

「はい。」

アリシアが車内の隅に置かれた樽から果実水やワインの瓶をとりだし、かわりに氷をいれる。

ルシアスはさらに10個ほど氷塊をだし、吐息をつく。少しすっきりした。

だが、あいかわらず精霊たちの声は姦しい。

たぶん、騒ぎの原因を解決しないかぎりこのままなのだろう。

風の盾(シールド)…。」

音を遮断する風の盾を張る。

だいぶ良くなった。

「…さて、私はとりあえず眠る。」

「わかりました。」

反対側に移動しようと腰を浮かせたアリシアの袖を、つん、と引っぱる。

「近くにいてくれないか…。」

背面のクッションをどけて奥を広げる。再びごろりと横になり、驚いた表情で固まるアリシアを見あげた。

「眠るまで手をにぎってくれるだけでいい…。」

狡いとは思った。優しい彼女はきっと断らない。

それでも久しぶりに触れた彼女のぬくもりが、ルシアスの心を狂わせる。

もう少し、このままで。

「アリシア…。」

懇願するように名を呼べば、アリシアは座面のあいているところにちょこんと座り直し、おずおずとルシアスの手をとった。

「お…おやすみなさい、ルシアス様。」

気恥ずかしそうにつっかえながらそう言った彼女は、本当に可愛かった。

「あぁ…。」

よく眠れそうだ…。

ぼんやりとした頭でそう考え、彼はゆっくりと眠りに落ちていった。

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