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宰相は死にたがる姫君を愛する  作者: 雪形駒次郎
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山茶花の咲く道で①

時間軸は「あなたの心はまだ遠くて」の前です。

結婚式後。

「はい。成婚式当日衣装の決定デザインと見積書。あと、地方視察用の略装の仮デザイン。…こちらはまだ変更可能よ。何か要望はある?“旦那さま”」


ルシアスはイザベラ・バーナー公爵の差しだしたデザイン画に目をおとす。

成婚式の正装は晴れた日の海の色。ほんの少し立て詰襟となった光沢のあるビロード生地の細身のドレスを飾るのは、黄金の装飾と、ローイエン特産のしなやかな織紐。かっちりとしたつくりの藍の上衣と、頭部からかぶる銀紗のヴェールが一緒になると、高貴さがいっそう際立つ。


「…正装、やはり地味じゃないかしら?胸元をあけてもっと派手にしたかったのに。」

不満そうにつぶやくイザベラに苦笑を返す。


「あれはじぶんが年若い事を気にしているから少しでも大人っぽく見られたいのだよ。…口調だって、そのままで良いと言ったのに。」


アリシアは妃教育を受け始めた一年前から一人称を“わたくし”に改めていた。

水の民であった頃と自分なりに決別しようと無理しているようにもみえて、すこし心配だった。

ルシアスはちいさく頭をふり、こんどは略装の仮案を手に取る。


やはり上質な瑠璃色のビロード生地。マーメイドドレスで、こちらの胸元は開放的だ。そのかわりに華やかな波しぶきを思わせる銀のレースが鎖骨のあたりまであしらわれており、娘らしい上品さが保たれている。二の腕までは細く、肘から下は幅広のショールのようにひろがった銀紗の両袖部分が幻想的だ。

「……肘の絞りの部分と、ウエスト部分に金装飾を足してくれ。あと、これにあう装飾品を。そうだな、真珠をメインにして…。」


「…ほんとうに、独占欲丸だしね。これだけ自分の色でがんじがらめにしても、まだ足りないの。」


かつてルシアスは、その髪の色と戦場での怜悧さから“銀の君”と呼ばれていた。そして金は、彼の瞳の色だ。

成婚式の正装ヴェールが銀紗になったことには、ルシアスの強い意向が反映されている。

もちろん、彼女の藍の上衣は、彼の正装の上衣と対の生地でつくらせた。

ちなみに夏服は白衣に銀刺繍がほどこされた長衣に、ルシアスは濃紺の掛け襟、王妃は同色の肩帯サッシュである。


「本人も同意の上だ。何の問題もあるまい。」


しれっとそう言ったルシアスを半眼で眺め、イザベラは机上を片づけ始める。

「はいはい。くれぐれも調子にのってアーシャちゃんを抱き潰す事のないように。そうそう、落ち着いてからでいいけど、一度帰ってきてね、こっち(ヴァールブルク)に。ご領主様も、領民たちも心待ちにしているわ。」

バーナー公爵家は先代のスファルの功績で爵位を与えられたが、領地をもたない官僚貴族であった。スファルは王都に自分の屋敷を得て中央で暮らしていたが、実妹のイザベラは主家であるヴァールブルク領内にある生家に住み続けている。

イザベラは服飾加工と販売で才を開花させた女実業家。工芸大国サーシャの国境に近く、領内に希少な鉱脈をかかえるヴァールブルク領に拠点を置くほうが彼女にとって都合が良いのだ。




ルシアスの握っていたデザイン画を取り上げようと顔をあげたイザベラが目を瞠る。


「…なによ、あなた…。」


目の錯覚か、疲れか。

イザベラは目をしばたく。


もうすぐ正式にこの国の王位を継ぐ男は、なぜだか迷い子のような顔をして彼女を見ていた。


+++++++++++++++++++++++++++++


朝の光が眩しいダイニングルーム。

王都城下の貴族街一画にあるこの屋敷の主は、控えめな微笑みをうかべ綺麗な所作で食事を進める婚約者の顔を見つめ、一瞬固まった後、言いだそうとした言葉を呑みこんで別の言葉にかえた。

「ここのところずっと慌ただしかっただろう『アーシャ』。成婚式の衣装も準備も一段落したし、妃教育もおわっている。式までの残りの10日はゆっくりしなさい。」


アリシアが結婚の申し込みを了承した一年前のあの日から、朝食は必ず一緒にとろうと約束した。けれど壁際で控える給仕の者や侍女、護衛兵がいるから通り名でしか呼べない。


少しでいいから二人きりになりたい。やましいことをしようというのではない。

ルシアスとアリシアが一度契りを交わしてしまったことは、絶対に知られてはならないこと。

何よりアリシアが男女の機微を理解していない今の状態で恋人同士のふれあいをすれば、互いの信頼関係に亀裂を生むだけ。


無理強いなんてしない。“アリシア”と、その真名を呼びたい。ただそれだけ。

けれど周囲がそれを許してくれない。


彼らはまだ結婚前の男女で、侍女や家令の厳しい監視が、東の客室で妃教育に励むアリシアを守っている。たまに庭園散歩でエスコートするぐらいが関の山だ。それもつかず離れず側近がついてくるので気がぬけない。

結婚と同時に戴冠式を行う関係で、ルシアス自身、引継ぎやら調整やらで多忙を極め、朝食の席でしか婚約者と会えない日がもうずっと続いている。

だからせめても食事の席ではたくさん話すようにしていた。

「まぁ身体を休めると言っても何もしないのも退屈か。何か欲しいものはあるか?…本とか、食べたいものとか…。」

「そんな…じゅうぶん頂いておりますもの。」

「…どこか行きたいところがあれば、なるたけ希望に添おう。マリアがいれば大抵の場所は大丈夫だろう。郊外の湯治場で半日ほどゆっくりしてくるか?」

「そうですねぇ…でしたら…。」


式をあげて国母となる以上、彼女には王妃として果たすべき義務がある。

どこの国でもそうだろうが、秋は収穫祭が各地でひらかれる。

風の国でも同様で、国王夫妻の各地域の視察巡業は恒例行事だ。

新しい国王と王妃のお披露目を行う絶好の機会。だからルシアスも多くの王がそうしてきたように成婚式を初秋の吉日に設定した。

それに行事が立て込んでいれば体調管理を理由に初夜を日延べしても言い訳が立つ。

そう思い、わざと式の後は過密に予定を組んだ。

今のうちに、しっかり静養させたいと思っていた ルシアスは、向かいのアリシアが返してきた言葉を聞いて、握っていた食器を思わず卓上に取り落とした。


「…すまん、もう一度言ってくれないか…。」


「時間ができてからでよいので、ルシアス様の故郷が見たいです。イザベラ様に聞きました。とても緑豊かなところだと。」


転がってしまったスプーンをつかみ、動揺をしずめるように深い呼吸をくり返す。

まさかどうやって切りだそうかと思い悩んでいた件を彼女の方からふられるとは思わなかった。


「それは…どちらにせよ式がおわれば各地をまわるのだから、私の故郷もとおるが…だが、あそこは…。」


イザベラの言葉は正しいが、あの土地の一面しか伝えていない。

もうずいぶん昔の、けれど忘れがたい苦い思い出が彼を逡巡させるのだ。

畜産を主力産業とする土地独特の臭いや、一年のほとんどが寒冷なあの領地の環境は貴族令嬢がもっとも忌み嫌うものだ。

幼少時に馬房に入り浸っていたとしても、王女として長じた今の彼女の感覚は良家の子女のもの。自分の心を支える言葉をくれたのが目の前の彼女だからこそ、今のアリシアにヴァールブルクを忌避されたら、自分はおそらく立ち直れないほどのショックを受けるだろう。


だから、あそこだけは一人で巡察に行こうかと考えていた。

理由など何とでもなる。

それなのに。


「…やっぱり我儘ですよね。すみません。……見たかったのです。夕日の中に立つ羚羊。」


「うちの、土地は、その、令嬢にはあまり……待て、羚羊??」


音をたてることなくカップをソーサーに戻したアリシアが、こくりと頷いた。

鳶色の瞳は婚姻を了承した今でもやはり翳ることが多い。

セレナの状況も芳しくなく、心にかかることもたくさんあるはずだ。

けれどこうして思いもかけない関心を見せる時もあった。


いつも年上の余裕を崩さないルシアスが珍しく口ごもる。


「だがうちの領地は、畜産業が主流でね。…その、糞尿臭いし、秋の初めから雪もふりはじめるしな。羚羊の繁殖地に行くとなるとドレスをぬいて汚れてもいいような格好で行かないと…。」


ちらり、とアリシアをうかがった彼は、瞠目した。


「楽しそうですね。」

彼女が娘らしく頬を染め、口元をゆるめていた。


「……う、うむ。そなたに合いそうな防寒具をつくるとしよう。」


ルシアスとアリシアが名実ともに夫婦となるのはまだ先の話。

けれどこの朝、二人の距離は、久しぶりにほんの少し近づいた。

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