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宰相ルシアスが水の国の姫を保護した時、風の国の王都では国を揺るがす事態が起きていた。
反乱である。
「なぜ我ら風の民が、セレナのために犠牲をはらわなければならない!」
「そうだそうだ!」
「我々はトビアス王へ不信任決議を提出する!」
「トビアス王にこのまま国政をまかせてはおけない!」
「古い考えに縛られた王は退位せよ!」
「退位せよ!」
東大陸の北。峻厳な山に守られた風の国ローイエン。
その夜、武装した竜にまたがった一団が、手に手に武器をもち、
横柄に民を蹴散らしながら王宮へおしよせた。
「なんだなんだ。」
「『大鷲』の旗だ…。」
「『大鷲』の旗…ディアス伯爵家か。」
王城を守る近衛兵が槍を交差させ、一団をおしとどめる。
「止まられよ、『大鷲』の君の使いとて、このような刻限に無礼ではないか!」
「止まらぬ。次期王の直訴権を今夜ここに発動する!見よ!
協賛する元老院の方々の署名もある。道をあけよ!」
「そんな、」
「…まさか。」
兵の制止は急激に力を失い、武装集団は瞬く間にローイエン国王執務室にたどりついた。
「失礼します、陛下」
剣呑な眼差しの男たちが扉を荒々しく開け放ち、机上の書類から顔をあげたローイエン国王トビアスの周囲をぐるりとおし包む。
「…夜分おそくに、一体、なんの騒ぎか」
トビアス王の問いに答えたのは、一番最後にゆっくりと入室してきた男だった。
「陛下におうかがい致します。隣国セレナに援軍をおくるだけでなく、亡命者のうけいれをお決めになられたというのは、本当ですかな?」
貴族院議長をつとめるディアス伯爵である。トビアス王は眉をひそめた。
「…援軍派遣に対する返礼使の訪問を許可しただけだが。貴公こそ、
そのような格好の者どもをともなって入城するなど、どういうつもりかね?」
「閣議で幾度ハッバス帝国との融和を提案しても、陛下はまるで聞き入れてくださらぬ。セレナとの同盟関係に固執するあまり、陛下の目は曇ってしまわれた。我々が、このような行動に踏み切らざるを得ない理由を、よくお考え下さい」
「我々、とは?」
「元老院を構成する12省の長官のうちの9名と、貴族院の3分の2以上の構成員です。戦況は帝国軍が圧倒的に有利。弱体化したセレナとともに泥船にのるおつもりですか。」
…まさか不信任決議を…?…そうだとしても、意見は変わらぬ。
トビアスは沈痛な表情で首をふった。
「今、セレナを見捨てるべきではない。こちらへの進攻を許せば、東大陸は総崩れになる。」
ディアス伯の目が冷たく光る。
「…それは、先週までの話。皇帝から同盟打診の書簡が届いた今、帝国と事をかまえる必要が、どこにあるというのです!セレナなきあとのアドリア湾の共同使用が許可されれば、我が国は大きく躍進できます。」
「我が国が今まで帝国の目を逃れられていたのは、内陸の山間部に領土があり、港から遠いからだ。第一、我が国の輸出品は希少な木材や『精霊石』。上質なものをつくるには年月がいる。今のままで十分であろう。交易を急拡大して、いったい何を商うというのだね。」
「それは勿論、我が国の竜と、武器に決まっておりますでしょうに。」
「伯爵、そなた…っ!」
トビアスは、蒼白な顔でディアス伯爵を睨みすえる。
竜の横流しに一部の貴族が関わっているのではないかと密かに調査をさせていた。
ディアス伯爵の傍系が闇市場と関りがあるという情報も得ていた。
だが、まさか国の中で最も古い家の一つであるディアス家当主自ら、
帝国に服属する武器商人に成り下がるつもりとは!
「我が国が、農閑期に最低限の製鉄しか行っていないのは、製錬による水の汚染を最小限にくいとめるため。貴公らとて、すでにハッバスの国土の半分が、鉱物や火薬をふくんだ土砂におかされているのを知っているだろう!」
激高したトビアスを、うっそりと見つめ、ディアス伯爵は嗤った。
「どのみち今のままでは帝国軍に滅ぼされるでしょう。帝国のつくる銃火器の質はあがり、竜兵団ですら苦戦している。精霊や竜の住処を守るより、鋼の技術を磨くべきです。せっかく帝国が製鉄技術者を派遣してくれると言っているのです。利用せねば。」
…愚かなことを。
あの残虐非道で狡猾な皇帝をだしぬけると本気で思っているのか。
我が国には、鉄穴流しを大規模に行える落差の大きい滝がいくつもある。やつらは調査や技術提供を盾にこの国をふみ荒し、穢し、何の躊躇いもなく蹂躙するだろう。
火や鉄の穢れは、清浄を好む竜や精霊だけでなく人の身体も蝕むのに。
「ローイエン第247代国王として、『大鷲』からの直訴に返答する。帝国は新しい鉱石の製錬にも手をだし、鉱毒で人が魔物のようになっている村もあるという。領土拡大を優先し、領内の問題にたいした対策もしていない相手を信用することはできない。セレナとの同盟を維持し、帝国側からの申し出は辞退することを、再度ここに宣言する。」
トビアスは、決然と言った。
「…そうですか。我々にご賛同いただけず、残念です。」
ディアス伯が肩をすくめた。
そしておもむろに懐から取りだした羊皮紙を、静かに机上へ置く。
「仕方ありませんな…退位なされませ。国王陛下に、不信任決議を提出いたします。貴族院および元老院構成員の3分の2以上の同意。必要な署名数は得ておりますゆえ、これは決定事項です。御心配にはおよびません。あとは龍王様に認められた我が息子が、責任をもってひき継ぎましょう。」
トビアスは、グッとこぶしを握り、黙す。
正式な手順を踏んでいるから、反逆罪で処罰することはできない。
ディアス伯爵が従える精霊『白夜』は、攻撃特化型。
戦闘に長けた『竜輝』は隣国セレナと戦にむかった弟のルシアスにつけてしまった。
今、手元に残っているのは援護や治癒を得意とする『神楽』のみ。
たとえ顕現させたとしても、やられるだろう。
我が国随一の『黒狼』と契約している近衛隊長は国境付近に所用があり
昨日から不在。精霊以外の戦力…王宮に残っている近衛兵は300、
相手の手勢はおそらくその倍以上。
(秘密裏に処断するにも、力がたりない、か。)
「……」
静かに目を閉じる。幽閉ではすむまい。分かっていたことだ。
身体は衰えたが、命惜しさに信念を曲げるほど落ちぶれてはいない。
ディアス伯爵が、つい、と目を細め、腰から長剣をすらりと抜いた。
「安らかにお眠りなさいませ、陛下。」
…すまぬな―…。先に、いく…―。
朋友への謝罪と、弟の前途を祈り、彼は残り少ない力を放つ。
王都の空を、鋭い一陣の風がかけぬける。
風は夜空で大きく弧を描き、彼方へと消えていった。