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宰相は死にたがる姫君を愛する  作者: 雪形駒次郎
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終章:風の国の王と水の国の姫①

王都にもどって5日目。

先王トビアスの国葬をおえて城下にある自分の屋敷にもどったルシアスは、東の離れの客室へまっすぐ足を向けた。

「姫。起きているかい」

「…!!はい、どうぞ、鍵はあいております。」

応接スペースのラグにすわりソファのひじ掛けにもたれてローイエンの地理に関する本を読んでいたアリシアは、慌てて姿勢を改め深く頭をたれる。

戸口にたったルシアスは、白い衣をまとっていた。これから1年、国全体が前国王トビアスを悼み、喪に服すのだ。

「お疲れさまでした……。」

それ以上何も言えずに、アリシアは目を伏せた。

龍王につかまれて空を飛ぶ恐怖で気を失い、次に目が覚めた時はこの客間の寝台の中だった。枕元には紙片。「よく休め」の文字とルシアスの署名を見て安堵とともにふたたび眠りにおち、はっきりと覚醒したのは今朝だ。目覚めたアリシアに、この家の家令が告げた。

トビアス国王が病で亡くなり、ルシアスが正式に国王となることが決まった、と。

肉親をなくしたことで王位を継ぐルシアスに、ご即位おめでとうございます、などと言えるわけがない。アリシアにとってもその知らせはひどく急な事で、いまだにどう受け止めてよいか分からないのだ。


やや右足を引きずりながら近づいてきたルシアスが、アリシアのむかいのソファに身を沈めて大きく息を吐いた。後ろからついてきた二人の近衛兵が、丸い籐のカゴと重そうな木箱をそれぞれ足元に置き、退出していく。

「…兄上のことは、少し前から、分かってはいたんだ。体の調子が悪くてね。…ところで、そなたは?具合はどうだ。貧血と疲れと聞いたが。」

ルシアスは上半身をかがめ、平伏するアリシアの肩を指先でつつき、ソファーに座るようにうながす。

「はい。おかげさまで、もう大丈夫です。」

遠慮がちにソファーの端に腰かけ、アリシアはルシアスの右足に目をむけた。

「新しい義足の具合はいかがですか」

「だいぶ慣れてきた。長時間歩いたり立ったりするのは避けた方が良いそうだから、竜にのれない時は車椅子か、滑空機グライダーになるだろう」

「…そうですか。お茶、いれましょうか」

「うん」

アリシアは茶器のおかれたサイドテーブルの傍らに立ち、茶の支度をはじめる。

その動きを見守りながら、ルシアスは言った。

「宰相職と近衛隊長の後任は決まったが、早急に決めねばならぬ件がいくつかあってな。またしばらく王宮に泊りになる。留守を頼むよ。」

「………はい。」


前国王の不信任決議に署名した者については、即位前の件であるし、今は何の処罰もしていない。だがスファルが長年にわたり調べてきた詳細な身辺調査書をたたき台に、ルシアスは貴族や商人の後ろ暗い過去や不正の証拠をがっちりおさえている。準備は万端だ。今後ふたたび反発してくるようなら、容赦ない粛清をおこなう。そうなれば、主要な職のほとんどが空位になる。それを見越して、あたらしい国政を担う人事案を検討中だ。


ルシアスの表情は、すっきりしている。やることが山のようにあって身体はつかれていても、気持ちは前向きだった。今は、兄やスファルの死を悼む哀しみより、負けられない、という対抗意識の方が強い。

先ほどアリシアに言ったことは、半分は真実だ。兄王は心の臓を患っていた。スファルの私書箱の一番下にひっそりとおさめられていた先王トビアスの診断書で、それを知った。内臓疾患も併発しており、先はあまり長くない、というのが医師の見立てだった。ルシアスは『竜輝』を借りたつもりでいたが、たぶん兄は譲るつもりで、だから出立の際に『より扱いやすくなるから』などと言って、『竜輝』との主従契約をあらためて結ばせたのだろう。

近衛隊長の職務を逸脱し、『大鷲』の地位を餌に不穏分子を意図的に煽っていたスファルといい、まったくとんでもない。最後までやりたいようにやって死んでいったあの二人。ふりまわされ、勝手におせっかいを焼かれ、とにかく悔しい、の一言につきる。

死んでもなお、のこされた者に影響をあたえる彼らへの称賛と嫉妬をバネに、ルシアスは一歩一歩自分の治世の土台作りをすすめていた。


「北東のクルド共和国が自由ギルドに接触して不穏な動きをしていると報告があった。我が国にも自由ギルドとの接触が疑われている人物が何人かいる。竜の転売がないか、ひきつづき調査させる予定だ。…すぐにセレナへの疑いを晴らしてやれなくて済まない。」

自由ギルドは、各国が流通や販売を規制する特殊物や麻薬、賭博場の運営で莫大な富をえている闇市場の総称である。固定の店をもつわけでもなく、各国の取り締まりをかいくぐってうごめく流動的な闇。武器のやり取りも頻繁で、戦争の裏にいることがおおい。


「…陛下には、本当にご配慮いただいて感謝しております。」

お湯を注ぎ終え魔法瓶をテーブルに戻し、ふたたび頭を下げる。

「仇は、私が必ずとる。だから、そなたは、まっすぐに生きろ。」

「……わかりました。」

ルシアスは、さらに言った。

学術院アカデミーも増やす予定なんだ。後方支援養成コースと、実戦を意識した攻撃特化コースをもつ上級学院をつくる。飛び級ももうけて、優秀な生徒は短期間で卒業できるようにする。興味があればそなたも入学試験をうけてみるといい。もちろん風の民として受けてもらうから準備は必要だが、后教育と重複する内容がほとんどだから、そなたならパスできるだろう。留学生も多く受け入れるつもりだから、きっと楽しいぞ。」

神殿で寝起きし国の神事のために身を捧げてきた彼女が、少しでも普通の学生のように過ごせたらよいと思う。

顔をあげたアリシアが目を丸くし、そしてひどく切なそうな表情で笑った。

「楽しそうですね。」


ルシアスはその顔を見て、やはり今日、伝えねばならないな、と思う。


言葉をえらぶような間があく。

茶葉が十分にひらいたのを見計らい茶器をかたむけながら、アリシアが静かに言った。

「忙しくても、しっかり召し上がって、できるかぎり眠ってくださいね。身体が資本ですから。」

凛とした真っ白な茶碗にそそがれた若草色の茶から、甘く爽やかな森の香りが広がった。

ことん、と茶碗をルシアスの前においた彼女は、幾度か手をくみかえたあと姿勢を正した。

「わたしが、ルシアスさまと夫婦になる、というお話のことですが…。やはりお受けできません。ルシアスさまが即位されるのを見届けたらこの国をお暇させていただきたいのです。」

眼差しで、なぜ、と問う。

アリシアが困惑したように眉をよせた。

「『継承の儀式』は無事にすみましたし…」

(残せるもの、…ね。)

彼女のなかであれは、納めるはずだった謝礼金の代わりだったのだろう。

その件ももう、気に病むことはないのだが。

ルシアスは苦笑まじりに応える。

「困ったね。今夜、婚礼衣装をつくるお針子たちがそなたの身体の採寸をしに、ここへ来ることになっているのだが。」

「…え、今日の夜、ですか。」

「ああ。」

お節介なのはスファルだけではなかった。

スファルは生涯独身をつらぬいていたが、彼には妹夫婦がいる。

その妹夫婦の養子としてアリシアを届け出ていた。落ち着いた頃に挨拶に行こうと思っていたルシアスの機先を制すように、先日、スファルの妹イザベラが押しかけて来たのである。

『兄が私たちに託していった娘と会いたいんだけど。あなたのところにいるのよね?』

そこから根掘り葉掘り、アーシャをどう扱うのか、どう思っているのか、はてはどこまでの関係かまで問い詰められ…『アーシャちゃんの婚礼の支度はあたしが責任をもってやってあげるわ。善は急げよ。早速採寸しなくちゃ』となった。


つけくわえておくと、バーナー公爵位はイザベラが継いでいる。

スファルと違いイザベラは政界にはまったく興味がない。彼女は自分の服飾ブランドを展開する女性商人の大物だ。たぶん『ローイエン王妃の婚礼衣装』を足掛かりに、これからイザベラを筆頭とするバーナー公爵家は、新たな道を切り開いていくのだろう。

「そなたがセレナの行く末をともに見届けるという約束を違えるとは、思っていなかったものでな。」

「……足手まといにしかならないと思いますが。」

「何を言う。そなたがいいのだ。即位する以上、私は、だれかを王妃に選ばねばならない。国事の際、王妃同伴でなければ諸国や国民に示しがつかないからね。だが綱紀粛正の足かせとなる姻戚関係は結びたくないのだよ。面倒なしがらみを持たぬそなたなら、王妃の親族からの干渉に悩まされることはない。」

ルシアスとしても、ここまできてアリシアに逃げられてはたまらない。

だからイザベラのつくってくれた流れにまかせ、たたみかける。

「そなたにも利はあるぞ。妃、といっても、風の国の王座は世襲制ではない。跡継ぎを産めという圧力もないのだから、閨事を無理強いする気はない。そなたが嫌ならば、もう何もせぬ」

「……ルシアスさまは、それでよいのですか。誰か気になる方は、おられないのですか。」

あの夜の事を少しは思いだしてくれたのだろうか。

ほんの少し頬をそめたアリシアの様子に、ルシアスは、ふ、と口元をゆるめた。

一丁前に感情的な部分で反論してきたか。男女の機微がまったく理解できぬほど幼いというわけでもなかったようだ。

茶碗の水面に目をおとし、彼は、ふぅっと物憂げにため息をついた。


「…私は、そなたを好いているよ。そなたを縛りたくなかったから黙っていただけだ。そなたが信じるまで何万回でも愛していると言おう。けれど今それをしたら、そなたは戸惑うだけだろう?」

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