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宰相は死にたがる姫君を愛する  作者: 雪形駒次郎
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「まぁまぁ。この場で様々な部署からの要請にすべて応えるのは、どだい無理な話です。しかし、我々がもってきた案件は山積する問題のごく一部。ルシアス殿にそれをさばける胆力と技術があるか、見極めねばなりませんね。」


割って入ってきたのはコストナー伯爵だった。

息子と同じ灰色の目、優しげな風貌。けれどまとう気迫と眼光が天と地ほども違う。流麗でありながらどこにも隙がない。飴色の短髪を風にまわせ、コストナー伯爵は凄艶に笑った。

「という事で、わが主と手合わせしていただくよ。腑抜けたままの君に仕える気は、全くないんだ。」


ヘルター公爵が銀の笛をかまえ、ルシアスを真っすぐ見た。

「貴族院と下院から推挙され、元老院の承認を得て、このたび正式に大鷲アクイラ候補となった。こうなったからには全力で行かせてもらう。だが公平な試合での勝利にこそ意味があるものだ。身体的な攻撃ではなく、互いの契約精霊の戦意喪失をもって決めようではないか。」

「承知しました。」

コストナー伯爵が周囲を囲む兵士たちを後方へと誘導し、二人の戦いのために場を空けてくれた。

その場に残ったランセル子爵が審判をしてくれるらしい。軍部省第4師団を任されている彼は制服の胸元から生真面目な表情で懐中時計をだし、15分に一回休憩を入れることを決めた。

時間が来ても決着がついていない場合は優位と思われる方を判定し、そちらの勝利となる。最長で3試合までとし、先に2試合先取したほうが勝ちだ。

「それでは1試合めを始めてください!」

きりっと表情を引き締めたランセル子爵が宣言した。

ヘルター公爵が笛に呼気を吹き込む。軽快なテンポの曲だ。

金狼スコル銀狼ハティが顕現し、まずは肩慣らしと言った調子でルシアスとヘルターのまわりを走りはじめる。

ルシアスは深く息を吸い、古から歌い継がれてきた戦歌いくさうたを唇にのせた。

『竜輝』が顕現し、咆哮した。

笛の音が特徴的な旋律を奏でる。くり返されるごとに灰色狼が出現し、白虎へと群がる。

くんずほぐれつの争いが続き、『竜輝』が灰色狼たちに噛みつかれながらも首領である金狼スコルを組み敷き、銀狼ハティを投げ飛ばしたことで、1試合めはルシアスが取った。


2試合め。ルシアスが呼んだのは『緋燕』だ。

読みどおり、ヘルター子爵は勇壮な凱旋曲に切り替えてきた。

技術に裏打ちされた安定性のある調べを支えに、狼たちは地を離れ、空へと進出する。伸びやかなバリトンのアリアに導かれて華麗に飛び回り苛烈に鉤爪をふるう緋の鳥を追い、狼たちも噛みつき、引っかき、空中を駆け巡る。

自らの契約精霊の天馬をよびだして上空にあがり、淡水色の瞳で真剣に状況を追っていたランセル子爵の判定がくだる。僅差でヘルター公爵が優位。これで引き分けだ。


最終試合。

ヘルターの灰青色アイスブルーの目とルシアスの金の瞳が、ぶつかり合う。

「偉大なる存在よ。あなたがたは、大いなる恵みをもって我らに喜びを授けられた。」

ルシアスが選んだのは、初代風の王が好んだとされる情熱的で激しい抒情歌だ。ヘルターが凄絶に笑い、すぐに合わせるように華麗な旋律を吹きはじめる。この曲の伴奏パートである。

とは言っても独立したメロディーをもち、主旋律である歌と複雑な掛け合いをするので、知らなければ全く別の曲だと思うだろう。


「あなたの愛は、金よりも慕わしく、蜜よりも甘い。どうか、とこしえに絶えることなく、わたしを潤してください。」


この曲が練習室をでて多くの人に披露されることは、ほとんどない。

トリルとアルペジオが多用された最高難度の曲だからだ。そして非常に長い。

主旋律は、強い声質を維持しながら広い音階スケールに及ぶアルペジオを正確に行い、なおかつ連綿と続く華やかな装飾音符を軽やかに歌いきらなければならない。

今現在このアリアを修めている謡い手は、ルシアスだけである。

しかし謡われることが少ない最大の理由は、周囲にあたえる影響が大きすぎるためだ。


風が渦巻く。

あちらこちらから見られているのを感じる。


…ほぉ?久しぶりに聞いた。まだ歌える人間もいるのだな。

…珍しい組み合わせね。笛将軍と宰。


顕現した『金狼スコル』『銀狼ハティ』『竜輝』『緋燕』の4体は動かない。各々の主の足元に座り、じっと耳を傾けている。

地上におりてきたランセルも、緊張した面持ちで行方を見守っていた。


「星を指す木の骸も、眠りについた獣も、あなたの口づけをうけ、ふたたび生まれ変わる。」


歌詞に使われているのは精霊が人に伝えたとされる古代語。紡ぎだす音、響き、言葉すべてが力をおび、精霊を魅了し、獣を物狂わせ、龍の気を高ぶらせると言われる呪歌なのだ。

ルシアスも自分の力試しのつもりで練習していただけで、まさか実際に戸外で謡うとは思っていなかった。ただヘルター公爵と競いあうのなら、この曲しかないと直感したのだ。

銀笛フルートは他の木管楽器に比べ高音部のトリラー音をだすのが難しい。しかし稀代の奏者と称えられるヘルターの表情には余裕がある。手の構えはぶれることがなく、一音の狂いなくトリルを完成させていく。見事だ。静と動。慰撫と激情。重厚で抒情的なバリトンの響きを凌駕する勢いで立ちのぼる笛の音。相反する旋律を支えるのは、営みを育む大いなる力への畏怖と愛着。ヘルター公爵は、やはり王の器なのだ。



…ああ、いい声ね。さすが風の宰だわ。

…この豊かな笛の音。すばらしい表現力だ。


誇り高く気まぐれな精霊たちが、音に誘われ集まってくる。

精霊の心を真にとらえられたとき、そこには祝福がみちる。


制限時間内に終わるのは、第一楽章のみ。

もっとも過酷な山場に入る。

刻まれる二人の音。紡がれる言の葉。

ヘルター公爵は赤銅色の髪が乱れるのも厭わずただ演奏にのみ集中している。

毎日きちんと鍛錬しなければ、武術も教養もその質はすぐに落ちてしまう。

学術院アカデミーを卒業し、実務を担うようになった今でも、手をぬかずきちんと練習していることが互いに分かった。



…お前はなんのために力を欲する…

…お前はなんのために我らをよぶ…

…私欲のためか。それともこの地の安寧のためか…


最後の音が消える。

ヘルター公爵はゆっくりと笛を下ろし、口の端をもちあげる。

…両方、か。欲張りだな。まあ、それも良いか。

「声に深みが増しましたね。心に決めた思いがあるようだ。まだ粗削りなところもありますが、あなたならやっていけるでしょう。私はまだ軍部省で片づけねばならないことが残っておりますゆえ、この競いあい、退かせていただく。」

金狼スコル銀狼ハティの頭をなでてやりながら、ヘルターはランセル子爵に目配せした。

「第3試合、ルシアス・ヴァールブルク殿!よってこの競いあいの勝者はルシアス殿です!」


「…ありがとうございました。」

ルシアスの金の瞳がゆるぎなくヘルターを見返した。




「ヴィル殿を陥れたあんたが王だなんて、俺は認めない!」

安定しかけた空気を破り捨てるように大音声が響いた。

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